シネマ歌舞伎『野田版 研辰の討たれ
』映画館上映記念~玉川奈々福に聞く
研辰の魅力、浪曲のアプローチ

新作歌舞伎『野田版 研辰の討たれ』が初演から20年を迎える今年(2021年)、シネマ歌舞伎『野田版 研辰の討たれ』が、5月14日(金)より全国の映画館で上映される。木村錦花の原作を下敷きに、野田秀樹が脚本・演出を手がけ、十八世中村勘三郎が主演し、2001(平13)年8月に上演された。そして2005(平17)年5月には十八代目中村勘三郎襲名披露狂言として再演された。出演は、中村勘三郎、中村福助、中村扇雀、松本幸四郎、中村勘九郎、中村七之助、中村獅童、片岡亀蔵、そして坂東彌十郎、中村芝翫、坂東三津五郎※。
上映に先がけて、現代の浪曲界をその芸とプロデュース能力で牽引する浪曲師の玉川奈々福にインタビューをした。奈々福は『野田版 研辰の討たれ』を浪曲にしており、今年6月、8月にも披露する予定だ。奈々福は研辰の物語をどう捉え、いかにして浪曲にしたのか。作品の魅力とともに話を聞いた。
<あらすじ>
舞台は、赤穂浪士討ち入りのニュースに沸く近江の国・粟津城。そこで1人、仇討ちに対して冷めた見方をする男が研屋あがりのにわか侍・守山辰次(勘三郎)、通称「研辰(とぎたつ)」だ。赤穂浪士たちの討ち死を小ばかにした態度で家臣たちの反感を買い、家老の平井市郎右衛門(三津五郎)に鍛錬と称してコテンパンにやられてしまう。奥方さまの前で恥をかいたことを逆恨みし、市郎右衛門の髷を切り落とす大がかりな仕掛けを作るが、ひょんなことで市郎右衛門が落命。市郎右衛門の2人の息子(現・幸四郎と現・勘九郎)は、研辰を親の仇として追いかけることになる‥‥。
※キャスト名はすべて、上演当時ではなく、2021年4月28日現在の名前で表記しています。
■『研辰』は人間の本音の物語
──『野田版 研辰の討たれ』を初めてご覧になったのは、十八代目中村勘三郎襲名披露狂言として上演された2005年5月の歌舞伎座だったそうですね。
震えるほど面白かったです。浪曲には色々な演題があり、その中で大きな位置を占めるのが『忠臣蔵』、『赤穂義士伝』です。色々な方によって語られていますが、基本的にはどれも忠義の物語です。研辰は、それを徹底的にバカにする男ですよね。バカにしながら仇討ちに巻き込まれ、仇討ちから徹底的に逃げようとする。逃げ続けて逃げ続けて隙あらば逃げる。それを勘三郎丈がなさったものですから全編に愛嬌が溢れているんです。
忠義が建前の物語なら、『野田版 研辰の討たれ』は人間の本音の物語。人の心を描くのが浪曲であるなら、嫌なことから逃げたい気持ちも大事な人の心。浪曲師として、一方では王道の義士伝をちゃんとやりたい。もう一方では、180度振り切った人間の本音の物語を、自分の体で浪曲としてお客さんにお見せしたいと思いました。
シネマ歌舞伎『野田版 研辰の討たれ』予告動画

──勘三郎さんが勤めた守山辰次は、刀研ぎだったところを口の上手さでのお殿様に召し抱えられた町人あがりの武士です。一部からは好かれ、一部からは嫌われています。奈々福さんはどうご覧になりましたか?
かわいいと思いました。家老を殺す気はなかったのだから、もう少し身の処しようはあったと思う。でも仇討ちに巻き込まれてしまう間抜けなところもある。こずるいけれど悪人ではなく、自分の本能に素直な人。
追いかける側の兄弟たちも、悪人ではありません。心の中では『正直もう、仇討ちとかどうでもいい! 自分は自分の楽しい人生を生きたい!』と思っている。でも建前に強制されて研辰を追い続ける。だからこそ、あのラストだったのだと思うんです。兄弟がその後楽しい人生を送るために。本当の悪人にはなれない、どこかばかで、どこか悪くて、どこか愛らしいちっちゃい人間たちが、それでも自分の幸福やわがままを通そうとする。登場人物みんなにそれを感じます。
──浪曲にしようと決めたきっかけはありますか?
惚れちゃったとしか言いようが……。初めて観た時から「これを浪曲にしたい!」と思いました。でも舞台が完璧すぎて、好きすぎて、実際に取り掛かるまでには大変時間がかかりました。十八世勘三郎丈の七回忌の年(2018年)、この機にやらなければ一生リスペクトで終わってしまう。この時にやらずにどうすると思い、作らせていただきました。
──勘三郎さんは、奈々福さんにとってどのような存在なのでしょうか。
えーー! 私にとってお芝居の神様みたいな方ですから! (少し考え)勘三郎丈にしたらお芝居の神様は六代目菊五郎でしょうし……。(さらに考え)勘三郎丈に限定したことではないのですが、“家の子” には絶対にかなわないと思っています。生まれた時からその芸能の中で育っていらっしゃる本当の玄人。私は途中から浪曲の世界に入り、この道で一生懸命にやらせていただいてはいますが、やはり子どもの頃から芸の世界で生きてきた方々には、恐れ入りますとしか言いようがありません。私は個人的にそれを“血中芸ノウ度”と呼んでいるんです(笑)。
──血中ゲイノウ度とは、芸能度でしょうか?芸濃度でしょうか?
両方です。その濃度が超絶高い。歌舞伎、文楽、狂言、能。すごいものです。歌舞伎はスペクタクルだから、海外の方の目に訴えやすいといった言われ方をすることがありますが、そんな簡単なものではありません。
──8月には台東区の西徳寺で、浪曲の『研辰の討たれ』をされるそうですね。
勘三郎さんのお墓がある西徳寺さんの本堂で、奉納という形でやらせていただきます。及ばないのは百も承知で……でも……たぶん勘三郎丈という方は、それを面白がってくださる方なんじゃないかな、という気もするんです。半端なことはできませんので大変緊張しますが、リスペクトを込めてやらせていただきます。

■『研辰の討たれ』は超絶な幸せを味わう浪曲です
──『野田版 研辰の討たれ』を浪曲にされた時についてお聞かせください。
歌舞伎と縁のある作品は、いくつかございます。元は講談で河竹黙阿弥さんが歌舞伎にした『河内山宗俊』(『天衣紛上野初花』)ですとか。語り芸と歌舞伎は縁のあるものだと思いますが、表現の形は違いますから、できるものとできないものはあります。
野田さんの演出は、視覚的な面白さも満載です。たとえば片岡亀蔵さんがからくり人形として登場されるシーンを、歌舞伎では大仕掛けでみせますが、あれは語り芸ではできないことです。浪曲ではシンプルな落とし穴にするしかない。では逆に、それを節でどう表現したらいいのかを考えました。
疾走する場面では、曲師(三味線)の沢村豊子師匠に、古典とは違うラップのような節を弾いていただいたりも(笑)。浪曲に譜面はありませんから、口頭で説明をして。そして通常は浪曲師と曲師の2人でやるものですが、本作では邦楽囃子方の望月太左衛先生にお囃子をお願いしています。大衆に囲まれるシーンでは、若い浪曲師たちに舞台袖からガヤを入れてもらったり。お客様から「浪曲ってこんなに自由なんだね」と感想をいただき、嬉しかったです。
──みなさんのご協力があるとはいえ、奈々福さんがお一人で語られるのですよね。歌舞伎では約80名の俳優が出演したそうです。
歌舞伎では俳優がそれぞれの役をそれぞれの性根で演じられます。浪曲では私1人ですから、兄弟2人の演じ分けだけでも工夫が必要です。語り芸でやるために、人物や台詞を整理したところもあります。たとえば巡礼の姉妹を、原作の錦花版に従って老人と娘の設定にしたりしました。悩ましかったのは、ラストシーンです。野田さんの選曲が素晴らしい。ばかな人間たちのばかなドラマが、あの壮大な音楽と景色で終わる。オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」を浪曲でやるのは難しい! 歌舞伎の囃子方はそれを再現されていましたね。すごいと思いました。
──浪曲にするにあたり、シネマ歌舞伎のDVDはご覧になりましたか?
シネマ歌舞伎のDVDで何度も見直しました。同じシーンの所作1つとっても「ちょっともう1回!」と何度も戻して確認させていただいたり。舞台と違い、勘三郎丈が大汗で、体の限りを尽くして演じていらっしゃる様をアップで観ることができます。劇場の客席で舞台全体を俯瞰するのと違い、役者さんたちのすごさをより感じられる部分があったように思います。
──舞台で役を勤めた歌舞伎俳優さんのキャラクターに、引っぱられることもあったのではないでしょうか。
ものすごく引っぱられています。『研辰の討たれ』の浪曲をはじめてスタッフに見せた時、私があまりにひっぱられていたので、もうDVDを見るのをやめるように言われました。「あなたにはあなたの浪曲があるはずだから、DVDから一度離れてみては」と。真似できるものではありませんから、自分の力でやるしかない。分かっていても、やっていると出てきてしまうんですよね。これは浪曲でも同じです。師匠の玉川福太郎や三代目玉川勝太郎先生のネタをやると、やりながら聞こえてきてしまう。惚れた弱みと申しましょうか、しょうがないかなと思っています。
──奈々福さんの『研辰の討たれ』の中で、注目してほしいポイントはありますか?
辰次が宿屋で兄弟に見つかり、逃げ出すシーンでは、おじいさんがものすごい身体能力を発揮します(笑)。生身の役者さんではできない、語り芸だからこその疾走感を楽しんでいただきたいです。そして、太左衛先生と豊子先生の連携。お二人の名人が丁々発止でやられている。クラクラっとするようなすごいことが起きているんです。それをバックに、野田作品を元にした浪曲をやらせていただき、若手も手伝ってくれて、お客様に見ていただけるんですから、私にとって『研辰の討たれ』は、超絶な幸せを味わう浪曲です。

■浪曲は今日を生きることしか考えていないんです。
──奈々福さんは本作に限らず『シンデレラ』や周防監督の映画など、様々な題材で浪曲を作られています。どんなジャンルでも扱えるものなのでしょうか。
芸能にはその芸能の手柄があります。たとえばお能は、この世で報われなかった方の残念を昇華させてあげるための芸能。だから能楽堂には神様が宿っていて、舞台では神の依り代である影向の松(ようごうのまつ)を背負います。いくら物語に惹かれるものがあったとしても、そこを心得ていないといけないんだなと思っています。
かたや浪曲は新しい芸能で、徹底的に現世(うつつよ)。あの世の人のことは考えず、いま目の前にいるお客さんを楽しませることに徹底しています。浪曲には怪談がありませんし、浪曲界の人もそう。誰かが亡くなるとものすごく泣くのに、すぐに忘れるんですから(笑)。浪曲って、今日を生きることしか考えていないんです。
──先ほど浪曲には譜面がないとおっしゃっていましたが、何をどのような形で継承される芸能なのでしょうか。
物語を継ぐのは講談ですね。浪曲には自由もありますが、型はあります。型を一度仕込まなければ浪曲になりません。たしかに受け継ぐ譜面はないのですが、譜面や台本といった二次元のものになった途端、零れ落ちるものが出てきてしまうと思うんです。はじめたばかりの頃、豊子師匠の言っている日本語の意味さえ分からないことがありました。浪曲の中だけで生きてきたお師匠さん方は浪曲の中だけの日本語でしゃべるんです。「あんた声が高いよ」、「違うよ、高いよ」と何度も言われ、「音程はあっているはずなのに」と思いながら、こうかな?こうかな?と声を出し続けていた時期がありました。半年たったある時、初めて「そうだよ」と言われて分かったんです。高いのは音程ではなく、声のツボの問題だったって。
1つ分かるのに半年かかりました。でもその間、私は声の色々なことを試し、これも違う、これも違う……が体に蓄積されました。違う違う違うの末にやっと1つ分かる。これを百辺くり返すと「このツボで声を出しましょう」と書かれたもので学ぶより、体から体へ伝える方がよほど正しく継承されます。下掛宝生流の安田登先生の言葉ですが「日本の芸能にメソッドがないと言われる。たしかにメソッドがあると、8割が80点いく。メソッドがないと8割が脱落する。でも残った2割が120点いく」と。
──二次元の譜面や台本に書き留められないものも、まるごと体で受け継いでいくのですね。最後に『研辰の討たれ』をきっかけに浪曲に興味を持たれた方のために、浪曲を上手に聞くためのアドバイスがありましたらお聞かせください。
音楽的に聞く人、物語的に聞く人、どちらもいらっしゃいます。個人の趣味趣向で良いと思います。浪曲に限ったことではありませんが「分かろう」と思わず、まず目の前にあることが楽しいか。その時間が自分にとって心地良いかが大切ではないでしょうか。私は歌舞伎を観ている最中、素晴らしい舞台をやっているのに、ふっと自分のことを考え始めてしまう瞬間があります。目の前にあるものが素晴らしい!と感じられることも、そこから離れて心を遊ばせる時間を得られるのも、どちらも芸能の効能なんじゃないかなと思っています。
インタビュー中には「勘三郎丈は、まさしく辰次を生きていらっしゃいましたね」、「三津五郎丈の台詞術! 身体能力! すばらしかったですね。あのイチローのマネ!」などなど、声を弾ませ作品の魅力を語ってくれた。そんな奈々福の浪曲『研辰の討たれ』と、映画館のスクリーンで上映される当時の空気を映像に収めたシネマ歌舞伎『野田版 研辰の討たれ』、両方を体感し心を遊ばせてほしい。
取材・文・写真撮影=塚田史香

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