【氷川教授の「アニメに歴史あり」】
第33回 「アニメージュ」創刊、月刊
雑誌誕生の意味

 「アニメージュとジブリ展 一冊の雑誌からジブリは始まった」が東京・松屋銀座で2021年4月15日から開催された。残念ながら非常事態宣言を受けて5月5日までの会期を繰りあげて4月24日で中断してしまったが、全国巡回も予定されているようだ。

 これは日本初の月刊アニメ専門誌「アニメージュ」(徳間書店)が創刊された1978年ごろから、ジブリが設立されて「天空の城ラピュタ」が公開される1986年ごろまでに対象を限定し、他誌状況も交えて「アニメブーム」を回顧するものとなっている。ファンのムーブメントと誌面編集のシンクロが、いかにして世界的にもアニメーション文化として評価されているジブリを生みだしたか、そこにフォーカスした点で希有な展覧会である。同じ時代を過ごした者としては見逃せないし、「ジブリを当たり前のようにあるもの」と思っている世代にも、ぜひその作られるプロセス、それを支える熱気の原液を浴びてほしいと思った。
 自分は内覧会に呼ばれて駆け足で見た。しかし会場に集まったのメンバーが久しぶりの懐かしい顔ぶれで、まるで「青春の同窓会」のようなことにもなり、冷静には見られなかった。会場の最後には、造形作家・竹谷隆之氏による「風の谷のナウシカ」から、ナウシカの装備と朽ちた巨神兵の新規展示がある。これをTwitterで紹介したら、「いいね」「リツイート」合わせて1万件を超える状況になって驚いた(https://twitter.com/Ryu_Hikawa/status/1382638923256528899 )。しかも海外からの引用リツイートやコメントも多く、展示会の意味合いが、想像を超えた広い領域に及ぶものではないかと再確認させられることにもなった。
 自分自身は、この時期のアニメージュに数号しか関わっていない。むしろ「アニメージュ創刊以前」の活動が主であった。会場にも展示してあった「月刊OUT 創刊2号 宇宙戦艦ヤマト特集号」がデビューで、そのヒットから発展した不定期増刊号「ランデヴー」など、みのり書房の雑誌が多かった。説明が面倒なので「ライターデビュー」としているが、その意識は乏しい。カメラマンもやったし、原稿運びのお使いもしたし、なんでもやった。珍しい仕事としては、テレビ画面を撮影してそれを元にアニメーター(同世代の新人)が原画を起こし、セル画を起こす作業を、カメラマンとして関与したりもした。
 「未来少年コナン」放送直前の宮崎駿監督、「無敵鋼人ダイターン3」放送直前の富野由悠季監督、同作放送中で作画をしていたスタジオZのメンバー(金田伊功氏を含む)へ、アニメージュ誕生前なのに自分の発案で取材をしたのは、ひとつ誇れることだ。とは言いつつ、しょせん素人考えの延長に留まってもいる。「何かを成し遂げる(何者かになる)」とも考えていなかったし、ギャラは得られても「これで食える(プロの職業として選ぶ)」と自信を持てる額でもないし、定常性はまるで見通しが立たなかった。
 一方で、大学生だったとは言いながら、アルバイトだとも思ってはおらず、謎のプライドがあった。SFの世界では学生や社会人ながら執筆をする立場を「セミプロ」と呼んでいたから、総じてそういう意識だったのだ。
 作品作りも雑誌も何もかもが出来上がってしまって枠組みがしっかり確立し、ましてやアマチュアでもそれなりにネットで発信できる今の時代、なんだか分かりにくい話かもしれない。ただ、認識してほしいのは「アニメージュ創刊前」はそういう状態だったという事実だ。「やりたい気持ち」が先走り、人間関係などの「縁」だけが頼りで、まったく細分化、専門化されていない未開の地。そこにうっかり飛びこんでしまった。回想すると、たいした覚悟はなかったし、むしろ恥ずかしい気持ちが先にたつ。
 だけど「目の前に来たこと」に懸命に対処し続け、続けたことが次の縁をつなげた、これだけは確かだ。この「つながる」「継続させる」ための「場」として、アニメージュはやはり大きな機能を果たした。これは一種の「回路」なんだなと、それが総覧で再確認できる展覧会であった。
 さてこの展覧会は、昨年末に発売された「ALL ABOUT TOSHIO SUZUKI」(発行:KADOKAWA)に関連している。初期のアニメージュ編集者(後に編集長)で、ジブリ設立にも大きく関わった鈴木敏夫プロデューサーの仕事をまとめたムックだ。このムックと展覧会をプロデュースした高橋望氏とは初期段階から話をしていて、「アニメージュの果たした歴史的役割」についても意見を述べた。
 そんな経緯もあって、FM東京のラジオ番組「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」4月18日放送分「アニメージュとジブリ展 出演:氷川竜介さん、高橋望さん」に出演することにもなった(Podcastで配信中https://www.tfm.co.jp/asemamire/ )。
 そこで確認できたのは、やはり鈴木敏夫氏と初期アニメージュは「人への興味」が中心にある、ということだった。これは自分には乏しい要素でもある。それよりモノやプロセス、構造に興味がある。あくまでも技術者的な発想ベースだと、「属人性」は他者に移転至難であり、量産に向かない、みたいに考える。人(人格)を理由に作品分析したところで、その人とともに失われてしまうものであったら意味が半減する。クリエイターたちだって、本人ではなく作品を観て欲しがっていると、幾多の取材を通じて実感している。
 なのに、なぜアニメージュは「人」にフォーカスしていたのか? ひとつはアニメファンが注目していたのは、まず「キャラクター」だったから。もうひとつは、そこに生命を吹きこむのが「声優」と認識されていたから。厳密には集団で作業する作画には、まだ個性のバラツキがあったが、声優で「一人」に収斂されていた。おそらくその次に「作家」が来る。モデルにした雑誌は「平凡」「明星」といった芸能雑誌であるとも明言されていた。ラジオで鈴木氏はそうは言っていなかったが、同じ徳間書店の週刊誌「アサヒ芸能」から児童向けテレビ雑誌「テレビランド」を経て、アニメージュ創刊に至った経緯も、「人中心」に大きく作用しているはずだ。
 「人は人にしか興味がない」とも言われている。だから作家の中でも宮崎駿監督に接近した理由も、改めて得心がいった。自分なりの解釈を交えて整理すると、それは「宮崎駿がアニメーターだから」になる。つまりカットの根本を「芝居」で考えている「人」。キャラと作り手が一体となった「人中心主義的」なのだ。一方で富野由悠季監督、押井守監督らはコンテや世界観など「フィルムの構造」を優先して発想している。そこにどうやら大きな興味関心の差があるようなのだ。
 そしてアニメージュは、かつて半世紀ほど前、欧米の批評誌が映像作家を生みだした歴史などを踏まえて、場面写真を多用した技術解説や名場面分析の記事も載せ始める。その動機は鈴木敏夫氏が映画の雑誌や書籍がスチル写真しか掲載せず、画面そのままを載せない慣習への不満に起因しているようで、その点は大きな共感があった。
 自分も雑誌掲載写真の「わざとらしさ」「完成画面との差」が、小学生のころから気になっていた。なぜスチル写真のウルトラマンはスペシウム光線を発射していないのだと。それゆえテレビ画面を複写する技術を磨き、その延長で16ミリフィルムの複写技術も獲得して、先述のカメラマン仕事をするようになった。500ワットのライトが発する高熱の中、細いフィルムをにらみながら、どのコマが動画ではなく原画なのか苦しみの中から見きわめた経験は、現在の分析スキルの基礎として役立っている。だがそれは、黎明期ならではの乱暴で野蛮なものだった。
 こうして記憶と記憶が接着され、他者の記憶や想いとのクロスチェックが加わり、さらに初期アニメージュの構成要素を物証として総覧できる体験は、大きな収穫があった。何かしら新しい「回路」が形成される感覚が生じたのだ。ネット検索で単品情報は手軽に得られるようになった現在、固有性を超えた「雑味」の集積「雑誌」の総点検もまた、必要とされる時期ではないか。感染症対策が好転し、展覧会との再会の日に期待したい。

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