パンダ音楽祭10周年記念対談 曽我部
恵一×パンダ音楽祭のパンダ「パンダ
音楽祭の10年、僕らの10年」【前編】

2012年より上野恩賜公園・水上音楽堂で開催されてきた弾き語りアーティスト中心の音楽フェス『パンダ音楽祭』が、今年で10周年を迎える。一音楽ファンである主催者のパンダ氏(なかじまえいた)と友人たちの手作りによる『パンダ音楽祭』は、初夏の野外の心地よい空気感とオーディエンスの自主性を尊重した運営、そして何よりラインナップの良さで、商業フェスとは異なる形で緩やかに発展してきた。

第1回からトリを務めてきたのはサニーデイ・サービスのボーカル&ギターで、弾き語りによるソロ活動でも多くのステージに立つ曽我部恵一。レーベル「ROSE RECORDS」主宰、レコード店やカフェ、カレー屋といったショップ運営とその活動は多岐にわたる。
ミュージシャンでありながら、音楽だけではない「場所」を作ってきた曽我部恵一。一方で主催のパンダ氏も一般企業に勤める会社員でありながら、仕事とは異なる「場所」として『パンダ音楽祭』を作ってきた。
『第1回パンダ音楽祭』の2012年、40代の始まりに人生の転機を迎えていたという2人はどんな思いで「場づくり」をしてきたのか。そして40代の10年とはどんな意味の時間だったのか。5月22日(土)に開催される『第10回パンダ音楽祭』を前に、曽我部恵一と改めて語り合いたいというパンダ氏の要望により対談が行われた。
■曽我部恵一がギター1本でステージに臨むモチベーションは「人間が生きている姿を見せたい」。
パンダ:曽我部さん、第1回のパンダ音楽祭のことって覚えてらっしゃいます?
曽我部:あれ、どれが第1回目だったかな?ずっと出させてもらってきたから。
パンダ:ですよね。今は5月開催が恒例になってるパンダ音楽祭ですけど、第1回目は11月だったんです。しかもめちゃくちゃ寒い日で、お客さんに慌ててカイロを配ったくらい。で、僕が忘れられないのが、そんな日に曽我部さんが白い半袖Tシャツ1枚でステージに出てこられたことで。
曽我部:ああ。僕ね、野外の寒い日にTシャツで演るとなぜか気合いが入るんですよ。なんだろう、寒中水泳とか乾布摩擦に近い感覚というか。
パンダ:あの曽我部さんを見て、僕ちょっと泣いたんですよ。フェスを作るなんてそれまでの人生でやったことがなかったし、本当にできるか当日まですごく不安だったんです。それでもなんとか滞りなく進んでいって、最後の最後に曽我部さんのTシャツを見たときに、曽我部さんが気合いを入れてパンダ音楽祭のステージに立ってくれてる!ということにめちゃくちゃ感動したんですよね。
曽我部:たしかにパンダ音楽祭って気合いが入りますね。たぶん営利目的じゃないからだと思うんですけど。
パンダ:スポンサーもずっと付けてないですしね。
曽我部:うん、そこが実は重要なのかもしれない。作り手が手弁当でね。商業じゃなくて好きでやってるから、コイツら"お仕事"じゃOKしてくれないぞって、それはほかの演者もみんなわかってるんじゃないかな。
パンダ:スタッフは音響さんと照明さんだけプロにお願いしていて、それ以外はみんな僕の友だちなんです。言ってみれば素人の集まりなので、その中でできることをやってるみたいなところはあって。
曽我部:そういうレールが敷かれてないところでやるのも好きなんですよ。最初から最後まできっちりプロフェッショナルに流れが固められてないところでは、自分がステージで何ができたか、どんだけお客さんを掴めたかが重要になるので。だからアウェイな対バンと演るのもすごい好きで、そういう場では「よし!」って気合いが入ります。パンダ音楽祭はいつもそうかな。でも、お客さんはアウェイじゃなくてすごく主体的ですよね。
パンダ:パンダ音楽祭はステージが1つなので、普通のフェスと違って好きなアーティストを転々とすることができない。お客さんには5時間6時間、「これを見ろ」という形にならざるを得ないんです。そこには曽我部さんお目当てじゃないお客さんもいて。だけどその人たちの心もちゃんと掴んで、毎年ツイッターに「やっぱり曽我部ってすげーな」というコメントが上がるんです。それを見て僕も何かやったわけでもないのに、「そうでしょ」って言いたくなる(笑)。その繰り返しで10年ずっとトリをお願いしていて、毎年違うタイプの感動と興奮をいただいてます。選曲も毎年「おっ!」っていうのがありますし……。選曲は当日するんですか?
曽我部:当日ですね。いつも会場に着いてから考えます。
パンダ:毎年、ステージの裏手のところで声出しされてますもんね。
曽我部:そうそう。だけどステージに立って変わっちゃうこともよくあります。天気とかで。
パンダ:お客さんの感じとか?
曽我部:うん。この空気に委ねてこっちに行ってみようか、みたいに。弾き語りってそれができるのが面白いところなんですよね。で、パンダ音楽祭って作り手もお客さんもみんなユルく楽しんでるふうだけど、実はすごい本気だっていうことを僕はわかってるんです。本気の玉をぶつけてくるから、こっちも倍返しじゃないけど、そうじゃないとこの人たち納得してくれないだろうなって。
パンダ:曽我部さんの本気は伝わってます。毎年、弦が何本も切れることからも。でもなんですかね、ギター1本で1人の声なのに、あの圧倒的な存在感というか。
曽我部:(サニーデイ・サービスの活動休止中に)1人になって、ライブしかやることがなくなったときからかな。ライブで食ってかなきゃいけなくなった時期があって、ツアー生活みたいなのをしてるといろんな猛者に出会うわけですよ。「ステージでは誰にも負けねえ!」みたいな。そういう中で生き残っていくには、それまでの「じゃあ聴いてくださーい」というやり方じゃ通用しない。ギミック的な盛り上げ方でもなく、どこまで本気で全身全霊ウソでじゃない自分をお客さんにぶつけるか。それだけの勝負なんだというのが、やっていくうちにわかってきたんですよ。もちろんコール&レスポンスみたいな仕掛けでも、お客さんは盛り上がるんです。だけどその先の、なんて言うんだろう──。「すごい生き物を見た!」みたいな感じというか(笑)。
パンダ:曽我部恵一というすごい生き物を(笑)!
曽我部:そこに行き着きたくてやってる気がしますね、ずっと。たぶん演劇でも舞踏でも表現は全部そうだと思うんだけど、人間が生きてる姿を見せるのが一番のエンタテインメントなんじゃないかって。別にそれが理解できるできないとか、言葉とかも関係ないところで、圧倒する何かというかね。
パンダ:子どもの反応は如実ですよね。パンダ音楽祭の曽我部さんのステージでは毎年ちびっこたちがめちゃくちゃ盛り上がるんですけど、彼らもわけもわからず心が打たれてるんだろうな。
曽我部:人間って理屈でなく感動する生き物ですからね。そこに向かってやるだけだと思ってます、僕は。
■混沌に始まって人と仕事をする遊びと楽しさを覚えた、曽我部恵一とパンダ音楽祭の40代
パンダ:ステージと向き合う姿勢を聞いて、改めて曽我部さんにトリをお願いしてきて良かったと思いました。僕は勝手になんですけど、曽我部さんのことを出演者というよりパートナーとしてお願いしていたところがあって。さっきも言ったように僕は普通の会社員で、フェス作りなんてやったことなかったんです。そんな初めての船を漕ぎ出すときに、誰が隣にいたら怖くないかな? と考えたときに、まっ先に浮かんだのが曽我部さんだったんですよ。
曽我部:いや、光栄です、本当に。
パンダ:もちろん曽我部さんの音楽が大好きだということもあるんですけど、パンダ音楽祭って"40歳のオジさんが頑張ってみるプロジェクト"なところもあったんです。ちょうど僕は第1回パンダ音楽祭の年に40歳になったんですけど。
曽我部:僕の1コ下ですよね。
パンダ:はい。会社員をやってると40代ってこれから枯れていく入り口だったりするんです。それもいいんだけど、この期に及んで何か新しいことに挑戦する時間もまだ十分に残されている年代でもあって。それでできるかどうかわかんないけど、とりあえず2012年11月25日にあの会場を押さえたんです。締め切りを決めちゃえば、やらざるを得ないだろうって。
曽我部:おっしゃってましたよね。会社に行く道すがらの空を見て、「やろう」って決めたって。
パンダ:はい。それも1歳上の曽我部さんが、あの頃すごく精力的に活動されてるのを見てたからなんです。
曽我部:10年前か。いや、なんかバタバタしてたんですよ。その少し前からエントロピーが増大していて、ちょうどピークに来た頃だった。仕事もたくさんやってて人生も家庭もゴチャゴチャ。部屋に例えると、モノが散らばって足の踏み場のない状態でした。
パンダ:あんなにたくさんステキな楽曲を作ってたのに。
曽我部:でも振り返ると、楽曲にも頭の中がカオスというか、混乱してるのが明らかに現れていますよ。あんなことやりたい、こんなことやりたいというのがどんどん溢れてきて、だけどどこか足場が定まってない感じ。お酒もけっこう飲んでたな、その頃は。
パンダ:混沌とした40代のスタートというのは、わりとよく聞く話ですね。人によるのかもしれないけど、僕もそうでした。曽我部さんとほぼ同時期に家庭の環境が変わって。
曽我部:環境が変わると自分も切り替わらざるを得なくなりますよね。
パンダ:はい。この混沌の波に飲まれるか、その中でもがいてどこかの岸に辿り着くために自分で船を作ろうか、みたいなことは考えてました。その船がパンダ音楽祭でもったので、僕の40代はパンダ音楽祭の10年もであるんです。
曽我部:僕は1人で子どもたちを育てるという生活が始まって。だからお酒をやめたのも、2012年くらいだったような気がします。パンダ音楽祭の打ち上げで、すごい飲んだという記憶もないな。
パンダ:クルマで来られたりしてましたもんね。
曽我部:そう。お酒をやめて、運転免許を取ったのも40代になってからでした。40代の始まりに一気にそれまでの反省とか後悔が押し寄せてきて、だから今日を丁寧に生きようとしてきた10年でしたね。
パンダ:音楽はどうなんですか? 20代とか30代の頃とは違いというか。
曽我部:なんかね、人と仕事をするのが楽しくなりました。20代の頃ってわりと黙々と1人でものづくりをして、自己完結するのがいいと思ってたところがあったんです。30代も多少はそんなところが残ってたかな。でも40代になって1人じゃ成し遂げられない何かを、誰かとドリームするのってすごくいいなと思うようになったんですよね。それはやっぱり本気の人といっぱい出会ったからでもあって。えいたさんもその1人だけど。
パンダ:(照)。
曽我部:本気の球を投げてくる人に対して、どんだけこっちもデカい球を打ち返すか。それによって思ってもみない作品ができるのが一番面白い。パンダ音楽祭もそうで、いつもどんな作品ができるかわからないようなところがあるじゃないですか。
パンダ:どこに向かってる船かわかんないですよね(笑)。
曽我部:だからこそ毎回新しいものが生まれるんだと思うし、そういう場をえいたさんたちと一生懸命作り上げるのはすごく楽しい。そういう大人の遊びみたいなことは、自己完結型だった20代の頃にはぜんぜんできなかったですね。
(後編へつづく ※後編は4月30日[金]公開予定)
取材・文=児玉澄子 撮影=勝永祐介

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