ゴダイゴの初期傑作
『DEAD END』に見る
汎用性の高いメロディーと
充実のアレンジ力
ミッキー吉野のアレンジの妙味
それでは、タケカワのメロディー以外にゴダイゴには魅力がなかったのかと言ったら、もちろんそんなことはない。そのサウンドの多彩さというか、縦横無尽さと言ったものが、高レベルで発揮されていることが本作からもうかがえる。ディズニー映画の劇伴のようなM1から始まって、ブギー、ソウルと続き、前述したようにM6でプログレ、M7でファンクと、バラエティーに富んだサウンド、バンドアンサンブルを聴ける。M8「A FACE IN THE CROWD(孤独な面影)」を“柔らかくも力強いメロディーライン”と書いたが、サウンドはややスリリングな印象がある。とりわけキーボードが不穏な雰囲気を醸し出しており、歌の主旋律だけのイメージでは語ることができない複雑な世界観がそこにあるように思う。“吉野メロディーはブラックミュージックのフィーリングが強い”と書いたが、M10が若干ゴスペルチックなのはその辺の関係があったのかもしれない。いずれにしても、どの楽曲も編曲担当のミッキー吉野が大車輪の活躍をしていることが分かる。ニコイチのM4やM6もアレンジの妙味があったのだろう。個人的にはキーボードがやや前に出すぎかも…と思わないこともないけれど、それにしてもシンセによってそれまで他になかったサウンドを作ろうとした結果だったと考えることができるし、好意的に受け取れる。本作は[終わりの見えない社会状況をテーマにしたアルバムである。そのため全アルバム中、最も暗く渾沌としており、ロック色も最も強い]と言われており、それはリーダーである吉野が強く意識したものであったようだが、実際そういう手触りになっているのだから、事の良し悪しはともかくとして、その試みが成功したと言えるであろう([]はWikipediaからの引用)。
また、この時すでにゴダイゴは映画やドラマの音楽も手掛けていたわけで、そのキャリアも十分であったが、『DEAD END』の充実っぷりからもさまざまなサウンドを司るに足るバンドであったことはよく分かる。『西遊記』のスタッフもその辺を見抜いたのだろうか。実際のところは分からないが、『DEAD END』に宿るメロディー、サウンドからは、バンドのポテンシャルを充分にうかがい知ることができたと思う。“勝因”はばっちりあったと言えるし、“勝ちに不思議の勝ちなし”なのであったのである。…ここまで書いて、音楽、エンタメ業界では“不思議な勝ち”なないことは何となく分かったが、とすると“不思議の負け”があるのかもしれない。それも調べてみたいところではあるが、それは別の講釈で──。
TEXT:帆苅智之