小泉今日子が恩人・筒美京平楽曲を歌
う、配信ライブ『唄うコイズミさん
筒美京平リスペクト編』への思い

いつもいつも歌を楽しむことを教えてもらってたんだって、今でも自分が好きな筒美さんの曲を歌うと思います。
来たる3月21日、小泉今日子の配信ライブ『唄うコイズミさん 筒美京平リスペクト編』が開催される。
2020年8月21日に配信され、大好評を博した『唄うコイズミさん』に続く2回目となるこの試み。無観客ではあったものの、久しぶりに行われた単独ライブは、コロナ禍にあって多くのファンを楽しませ、勇気づけるものだった。ギターとピアノだけをバックにしたアコースティックな編成も、歌声の変わらぬ魅力と人柄をやわらかく、そしてまっすぐに画面の向こう側にあるそれぞれの特等席に届けた。
また、第一回のセットリストは、「あなたに会えてよかった」「優しい雨」「The Stardust Memory」「夜明けのMEW」「渚のはいから人魚」「100%」といった大ヒット曲、シングル曲だけでなく、「二人」「連れてってファンタジェン」「赤い金魚」「三日月ストレッチ 背すじのばし編」などファンに愛されている隠れ名曲も交えた、彼女の音楽キャリアを自然体で振り返るような構成だった。
初回のライブについて、彼女はこう語っている。
「配信を見た周りの人からも“さっと来て、さっと歌って去る”みたいな感じが良かったよ、って言われました(笑)。“泣いてた”みたいな人も多かったですけどね。みんな心がすごく弱ってたんだと思う。でも、そういうときに“元気出しましょー!”って感じは私はできないんですね。なんか、猫がすっと何気に隣で座ってくれる、みたいな感覚のことがやりたかった。猫ってそういうところあるじゃないですか。“ここにいたの? あったかいと思った”みたいなね。そういう感じでこれからもやっていきたいです(笑)」
約半年ぶりに行われる第二回は、自身の音楽キャリアにとって唯一無二の恩人と言える筒美京平の楽曲集だ。昨年10月7日に80歳で世を去った筒美京平が生涯に手がけた作曲は3000曲を超え、1960年代から2010年代まですべての年代でトップ10ヒットを作曲している。
小泉今日子作品としては、1983年5月5日にリリースされた5枚目のシングル「まっ赤な女の子」が最初。このシングルで、彼女のイメージがガラリと変わったことを覚えている世代も少なくないだろう。
「あの曲からディレクターが田村充義さんに変わりました。田村さんという人は、“この子っていったいどういう子なんだろう?”って興味で初めて私を見てくれた気がするんです。田村さんは私に“どんな音楽聴いてるの?”とか“好きなミュージシャンいる?”みたいなことを聞いてくれたんです。それに答えたら“この子、オタクっぽいとこある。おもしろいじゃん”って思ってくれて、そういう曲を(筒美京平と)考えてくれたんだと思います」
以降、1995年11月1日リリースのシングル「BEAUTIFUL GIRLS」(作詞・小泉今日子)まで、シングルのカップリング、アルバム収録曲を含め、筒美が小泉今日子に提供したオリジナル曲は30曲をゆうに超える。80年代にデビューした女性アイドルとして、これは群を抜く数字だ。シングル曲を並べてみるだけでも、圧倒されてしまう。
・まっ赤な女の子(1983年5月5日)
・半分少女(1983年7月21日)
・迷宮のアンドローラ(1984年6月21日)
・ヤマトナデシコ七変化(1984年9月21日)
・魔女(1985年7月25日)
・なんてったってアイドル(1985年11月21日)
・夜明けのMEW(1986年7月10日)
・水のルージュ(1987年2月25日)
・夏のタイムマシーン(1988年7月6日)
・BEAUTIFUL GIRLS(1905年11月1日)
決まりきったイメージにとらわれずにアイドルの既成概念を破るようにさまざまなスタイルの楽曲を歌っていた彼女が、筒美楽曲をこれほどたくさん歌っていたという事実にもあらためて驚かされた。
「(当時は)みんな結構、筒美さんの曲が欲しくて順番待ちしてたくらいだったと聞くんですけど、よく私にいっぱい書いてくれたなと思いますね。かわいそうだったからかなぁ(笑)。
(デビュー直後は)私自身まだカラーが迷走してたから、逆に“何でもあり”だったんだと思うんです。だから、たとえば他の歌手の人だったら“こういう戦略でこういうタイプの曲が欲しいんです”という発注になるところが、私の場合は“なんかおもしろいことやりましょう”みたいな感じだったのかな。そうすると筒美さんはアレンジのこともすごく指示をされる方だったと聞いたことがあるので、“じゃあこういうことも試してみようか”みたいに思える自由さが、もしかしたら私に書く曲にはあったのかなと思ったりします」
なかでも、今なお小泉今日子のヒット曲として伝説的とも言える型破りなパワーを持ち続けているのが、「なんてったってアイドル」(1985年11月21日)だ。作詞が秋元康、作曲が筒美京平。当時、新進気鋭の作詞家だった秋元の大胆な歌詞を、すでに大御所であった筒美が遊び心で受けてたった最高のコラボレーション。しかも曲のイントロで《なんてったってアイドル》と高らかに宣言するように歌うアイデアは筒美のアイデアによるものだったという。
「なんてったってアイドル」を受け取ったときのことを彼女はよく覚えていた。
「あのイントロはすごいですよね。ヒットする曲って一音目から様子が違いますもんね(笑)。でも、最初に曲をもらったときは“これ歌うんだ? でもまあ、他に歌える人いないのはわかるっちゃわかるよ”みたいな気分でやってたのを思い出しますね(笑)」
筒美京平が小泉今日子にもたらした楽曲は、そんな突拍子もない冒険ばかりではない。彼女自身も気がつかなかった歌手としての魅力や、歌うことの楽しさを名曲の数々が引き出す役目を果たしていた。
「(筒美京平楽曲は)歌いやすいですね。演じやすいという感覚だったかもしれないです。『まっ赤な女の子』って、サビですごく音符が飛ぶんですよ。《まっ赤な女の子》の“子”のところ。私は歌があんまりうまくなかったから、その分“おもしろい”とか“楽しい”と思えるところを作ってくれたんだと思います。メロディでキャッチーなところを作ってくれて、そのキャラクターに私が引っ張られていった感じもあるんです。
《ぬれたTシャツ、ドッキリ》っていうフレーズも、自分で言うのもなんですけど、歌がうまい人が歌ったらそんなにおもしろくないと思うんです。そこをおもしろく感じて演じるように歌ったことで、どんどん“小泉今日子”というキャラクターがはっきりしていったところは今、思えばあるかもしれません」
■私と筒美さんのつながりって曲を通じてでしかなかったのに、それだけでその人を語ってしまうのがなんかイヤだなと思ったんです。
小泉今日子に筒美京平が提供した数あるヒットシングルとは別に、特筆すべき作品として挙げるべきは、5枚目のオリジナルアルバム『Betty』(1984年7月21日)だろう。全曲の作曲を筒美京平、アレンジを船山基紀で統一した意欲作だった。ファンに愛される名曲の多いアルバムだし、今回の『唄うコイズミさん 筒美京平リスペクト編』ではここからのセレクトも期待してしまうと伝えたら、「『Betty』からの曲もやりますし、B面の曲もあるかも。お楽しみに」と教えてくれた。普段は歌番組などの表舞台に出ることが少なかったそういった楽曲にも思い入れがたくさんあるのだという。
「(筒美さんには)シングルのB面用に作ってもらった曲でも、次の可能性みたいなものを感じさせてもらったりしてましたね。“この子、バラード歌ったらどうなんだろう?”とか、“シングルにはなかなかできないけど、実は声にはミディアムテンポが合ってるよね”みたいなことを、B面の曲やアルバムの曲で私もいろいろ教えてもらってた感じなんです。自分でも“こういうのも歌えるんだ”とか“こういう声が出るんだ”って驚いていたし、コンサートでそういう曲を歌えることをすごく楽しんでました。
デビュー前のレッスン曲には南沙織さんに筒美さんが書かれた曲もありましたし。『サザエさん』の主題歌も筒美さんだったし。歌手として出会うずっと前から筒美京平ソングを見ていたし聴いていたし、子どもの頃からきっと筒美さんの曲だと知らずに歌ってたんですよね。いつもいつも歌を楽しむことを教えてもらってたんだって、今でも自分が好きな筒美さんの曲を歌うと思います」
音楽を通じてそれほどまでにつながりを感じていながらも、自分と筒美京平の関係はあくまで音楽を通じてのものだったと彼女は振り返った。だから、お返しをするのも音楽を通じて、という誠実さが小泉今日子らしい。
「筒美さんがお亡くなりになったとき、いろんな新聞社やテレビ関係の方から“一言いただけませんか”という取材の依頼が来ました。だけど、私と筒美さんのつながりって曲を通じてでしかなかったのに、それだけでその人を語ってしまうのがなんかイヤだなと思ったんですよ。当時の私はあまりにも子どもすぎて、ちゃんとお話をした記憶がなかった。
大人になってから一度だけお食事をご一緒した記憶があるんですけど、何を話したのかとかあんまり覚えてないんです。筒美さんはすごくおしゃべりなさる方でもないし、私もそんなにしゃべらなかった。もちろん筒美さんの声やいろんなお姿は覚えてますけど、語れる感じじゃないんです。もちろんレコーディングには来てくださって、キーを決めるためにピアノ弾いて“ちょっとここ歌ってみて”みたいなことは何度もあったと思うんですけど、私が本当に大人としゃべらないタイプだったので(笑)。なんていうんですかね、かわいくできなかったというか。“京平先生!”みたいにできなくて、“こんにちは”みたいな感じだったから。
だから、筒美さんが描いてくださった曲を歌うことでしか語れないと思ったし、今回のライブでそれができたらいいのかなという感じです」
■しばらく歌う意味を自分のなかでなくしていたんです。だけど、コロナ禍になって、また小さな意味が見つかったというか、思い出したような気がして。
こうして『唄うコイズミさん』への意気込みを聞いていると、彼女の内側で“歌いたい気持ち”が高まってきているのを感じる。事実、『唄うコイズミさん』だけでなく、2020年、気がつけばこのコロナ禍にあっても、あちこちから彼女の歌声は聴こえてきていたのだ。
岩井俊二監督の映画『8日で死んだ怪獣の12日の物語』で、1987年発表の「連れてってファンタァジェン」をセルフカバー。豊田利晃監督の映画『破壊の日』では、テーマ曲「やり直し音頭二〇二〇」に、向井秀徳 、マヒトゥ・ザ・ピーポー、ILL-BOSSTINO伊藤雄和というすごい面々と参加。のんとも。M(のん、大友良英、Sachiko.Mのバンド)でのアルバム『ショーがはじまるョ!』では、「明日があるさ」に渡辺えり、尾美としのりなど『あまちゃん』ゆかりの面々と参加した。
ライブ活動でも『TOKYO DANCE MUSIC WEEK 2020』での無観客配信ライブ(9月13日)や、自ら企画にたずさわった下北沢本多劇場でのシリーズイベント『asatte FORCE』の『こころ踊らナイト』(10月15日/出演:高木 完、スチャダラパー、川辺ヒロシ、Chieko Beauty、Ed TSUWAKI、小泉今日子)でも歌っていた。
「みんな世の中にメッセージを送りたいときに私のことを思い出してくれるんだなと思いました。だから私も、仲間が“力を貸して”って言ったときにいつでもパッと行ける人でありたい」
「急にやるのも恥ずかしいので」と彼女は笑いを交えて語ったが、そういう思いを受け取ることが、身軽な気持ちと歌いたい気持ちがうまくつなげる助走にもなっているだろう。そして、『唄うコイズミさん』は、さしづめその先に続くバトンリレーのような役割も果たしていると思う。
今回は、彼女がデビュー以来、数々のレコーディングで慣れ親しんできたビクタースタジオからの配信が予定されている。バンドメンバーには前回の『唄うコイズミさん』で素晴らしい演奏を披露したギターのオオニシユウスケ、ピアノの真藤敬利、さらに今回はコーラスに加藤いづみ、パーカッションに中北裕子も加わるので、きっとカラフルな彩りを添えてくれるだろう。
「筒美さんの曲で歌ってみたいのはたくさんあるんですけど、この『唄うコイズミさん』のバンドだったらこういう曲が似合うかなと思って選んでます。
あとは、Instagramのストーリーとかで、ファンの方が写真や動画に私の曲をくっつけてアップしてくれているんですけど、わりと通な人が選んでる曲をリサーチしたりしながら。もちろん、もっとゴージャスなアレンジの曲もあるから、そういう曲はいつかビッグバンドでもやってみたいですよね、大人な感じで。それはまた考え中です」
そしてこの歌に向かって自然な気持ちで向き合えるいい流れのなか、来年、小泉今日子はデビュー40周年を迎える。『唄うコイズミさん 筒美京平リスペクト編』の配信日である3月21日は、39回目のデビュー記念日でもあるのだ。
「“歌いたくなってきた”というよりは、それまでしばらくは歌う意味を自分のなかでなくしていたんです。だけど、コロナ禍になって、また小さな意味が見つかったというか、思い出したような気がしていたので、今回の筒美さんの曲を歌うという試みもそうだと思うんです。何のために歌うのかという理由が自分のなかにあれば歌えるんだなという感覚があるんです。
でも、これは前々から思ってるんですけど、いつもは無理でも、デビューからの周年とか、節目節目では責任取っておかないと、という感じはしてます。SNSを通じて“中学生からずっと好きです”とか書いてあるのを見つけると“ありがてえなあ”みたいな感じにもなるんです。そういう皆さんは、私が映画やドラマに出たりするのも楽しんでくださっているんでしょうけど、そういう人たちがあげるストーリーには必ず曲がついていたりするので、彼らの青春に対して責任は取らないとなという気持ちはずっとありますね」
取材・文=松永良平

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