サルトルを喜劇的に。オフィスコット
ーネ『墓場なき死者』演出・稲葉賀恵
インタビュー

呆然とするしかないような読後感だった。『墓場なき死者』。ジャン=ポール・サルトルが残した戯曲は、ドイツ支配下のフランスで起きたレジスタンスの兵士たちと政権寄りの民兵のあいだで繰り広げられる壮絶な拷問を描く。かつてサルトルは、「私は暴力に対して一つの武器しか持っていなかった。それは暴力だ」と書いた(『歯車』より)。偉大な哲学者の人間観が地続きになったような作品だ。深遠な戯曲だと思う。簡単な代物ではない。そんな難物に正面から挑んでいるのが、演出家・稲葉賀恵だ。地獄のような環境にある人々から、喜劇的側面を読み取ったという。カミュ『誤解』(新国立劇場)が高く評価された気鋭の若手演出家。オフィスコットーネプロデュースで上演される『墓場なき死者』を手がけるにあたって、その思いを聞く。
◆滑稽さを包み込むような作品に
――『墓場なき死者』の上演にいたるまでには、どのような経緯があったのですか?
プロデューサーの綿貫(凜)さんが声をかけてくださったことからスタートしました。どんな作品を扱うか考えるなかで、いくつかの戯曲が候補に上がりました。綿貫さんが提案してくださったサルトルの『墓場なき死者』が私にはとても面白く思えて、演出上でやってみたいポイントもたくさんあったので、それで決まったという感じです。
――どんなところに魅力を感じたのですか?
とても重い内容なんですけど、私はあんまり悲劇的なものとしてはとらえなかったんです。むしろ喜劇的な要素が詰まっているんじゃないかと思いました。それから、何もしゃべらないコルビエ(民兵)という役があり、この人物の目線はどこにあるのかすごく興味がわきました。
ドイツ占領下のフランス人たちは、拷問を加える側と受ける側に分かれるわけですが、正義と悪で語られる関係ではないんです。フランス人同士のあいだで起こる極限状態のなかで、誰にも自尊心があって、そこからどう振る舞うかが描かれている。すごく他人の目を気にしていて、言葉は悪いですけど、滑稽な部分があるというか……。そういう面の喜劇性を感じていました。でも、稽古を進めて少し違うイメージも持つようになりました。
――そのようにイメージの変化があったのはなぜですか?
私も芝居を作っているときに、「これが認められるものになるのか」「価値はあるのか」と不安になることがあります。これって存在を認めてもらいたいという欲求ですよね。『墓場なき死者』でも、そこが描かれています。サルトルは、自分が存在することの切実さを書いていて、戯曲上の人物たちは悲惨な状況なかである種の醜態をさらすのですが、あがいて生きていることの尊さを語っているように思いました。もちろん喜劇的な面はありますが、もっと滑稽さを包み込むような作品にできたらと思うようになりました。
――生き残りのために残酷なこともしてしまうシーンがありますね。それでも登場人物にシンパシーを得るような演出にしたいということですか?
そうですね。何かしらのシンパシーがないと、ただイヤなものを見せられているだけになっちゃいますから。むしろ、今の私たちと同じ一面があるということをお客さんに感じていただきたいですね。戦争のさなかという時代性も作品の重要なモチーフですが、どの時代でもあり得そうな関係性を描いている戯曲だと思います。
稲葉賀恵
◆ギザッとするものを入れたい
――今回のキャスティングについて聞かせてください。
バランスがよくて、本当にベストキャストです。それぞれやっていらっしゃる舞台のジャンルが異なるのに、みんながこの作品を中心にして対等に話せる関係なので、現場に垣根がないです。
――このインタビューの前に稽古を拝見しました。出演陣のみなさんは膨大な台詞があるのに台本は手にしていませんでしたね。
今回はかなり本読みの時間をとれたんです。もともと、稽古の初期はできるだけ本読みに時間を割きたいんですが、今回ほど潤沢に本読みができることってなかなかないです。順調に進むことはよいと思う反面、固まってくるとつまらなくなるときがある。私、そうなると「バーン!」ってひっくり返しちゃうんです。でも今回は理解力があり自立している俳優さんたちだから、なんでもできちゃう気がします。
――ちゃぶ台返しみたいなやつですか(笑)。
芝居作りの過程でのサプライズ(笑)? あるいはアトラクション(笑)? ある程度決め打ちしなくてはいけないことはありつつも、積み上げていく過程ですんなりさせたくないというか、ギザッとするものを入れたいというか。あくまで稽古が一定のところまでたどりつけたことが前提の話です。何しろ今回は対応力の高い俳優さんばかりなので、助かる現場です。
――稲葉さんが俳優さんと共同作業するうえで望んでいることを教えてください。
ええと……。(少し考えて)揺らいでいる人、不安定な人がいいですね。芝居で、相手から何かを受けたときに、ちゃんと揺らぐ人。何かの拍子で予定と違うことをしたときに、それを受けられる人。そこが揺らがないということは、相手の動きに反応できていないということでもありますし。常に疑問を持っている俳優さんは信用できますね。だから、面倒くさいくらいのほうがいいです。すぐに結論までたどりつけなくてもいいから、揺らいで、悩むことができる人と仕事したいですね。
稽古場の様子(提供:オフィスコットーネ)
◆稽古場で楽しむ俳優との「共犯関係」
――そういうお考えは、劇団(文学座)にいることも影響していますか?
それが、劇団からの影響ではなくて(笑)。
――諸先輩の演出家の方々から教わった面も多かったですよね。
それはもちろんです。先輩からたくさん教わることができたのは劇団に複数の演出家がいて、演出部で議論する環境もあったのが大きいと思います。劇団って、よくも悪くも仲間意識や共通言語を持っている錯覚があるんです。劇団員が多いので、ほとんど会ったことのない俳優さんもけっこういます。それでも、同じ劇団というだけで、なんとなく理解し合えてしまうことがあります。劇団のよさであると同時に、危険なことでもあるような気がするんです。
集団内で密接な関係があるのはいいのですけど、劇団から出ると、ひとりの演出家としては自分のやり方を手放さなければならなくなるときがあります。それは俳優でも演出家でも言えることなんですよね。劇団で得たものを現場で手放せるかということは、外部で演出するようになって、よく考えるようになりました。演出の仕事そのものは、劇団の外も中もあんまり変わらないですけど。
稲葉賀恵
――今回の演出で、ご自身が課題としていることがあったら教えてください。
自分のやりたいことやこだわりを疑うということですね。自分が「こうだ!」と思ったことを一度疑って、それでも残るものが本当のこだわりだと思います。その消えない部分を大切にするために、ふわっとした願望を、自分のなかで焦らず、入念に疑って、作品への理解を深めたいです。
つまり「これでできた!」って思わないことですね。あと、稽古場で、そこで起こっていることに対して取捨選択しようと心に留めています。自分のなかの理想だけを追求しない。ついそうなってしまう時期も前にはあったけど、今は俳優さんたちとの共犯関係を、毎日の稽古場で楽しんでいます。
取材・文/田中大介
撮影/福岡諒祠
※編集部注:感染症対策をおこなったうえで、取材・撮影をしております

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