L→R SHOUYA(Ba)、SYUTO(Pf)、YAFUMI(Vo)、SEIJI(Dr)、KAZUKI(Gu)

L→R SHOUYA(Ba)、SYUTO(Pf)、YAFUMI(Vo)、SEIJI(Dr)、KAZUKI(Gu)

【LAID BACK OCEAN インタビュー】
パンクロックから始まった俺が歌う
繊細な歌を俺自身が聴きたがっている

自分自身をどう掘り下げたのか、
社会とどう向き合ったのか

今、おっしゃられたことは“分かりやすい反抗だけを表現したいわけではない”ということだと思うんですけど、そういう傾向が強まるに連れて、どんどん歌詞の情報量が増えていきますよね?

情報量が増えちゃう。そして、正確性も求める。今回は入ってないんですけど、LAID BACK OCEANに「めくれる」(2019年7月発表のアルバム『DEFY』収録)という曲があって、物事が動く時の最小単位を考えた時、俺には“めくれる”という言葉がそれにフィットして、何かがめくれる時を表現した歌なんですけど、それって本質的には反抗なんですよ。めくれるわけですからね。かさぶたがめくれる時、嘘がめくれる時みたいな話を歌にして、それを付加していくのって飛距離が出ない表現になりがちなんですけどね。

めくること自体には大きな変化が見られないですからね。

そうなんですよ(笑)。“何かを蹴り飛ばせ!”“誰かをぶん殴れ!”のほうが歌としての飛距離が出る。だから、そういうのは何のかは考えてますし、だんだんとそういうことがやりたくなっているのは間違いですね。

核にあるものは変わってないものの、表現の幅がどんどん広がっているし、歌詞の内容も膨れ上がってきていますよね。象徴的なのはDISC2の11曲目「透明人間」や14曲目「SHINE」じゃないかと思います。この辺になると伝えたいことが溢れていて、言葉がメロディーを超えていますよね?

あははは。超えがちっスねぇ(笑)。俺の職業はヴォーカリストというよりはステイトメントですね(笑)。何かしらのステイトメントを表し続けていくということになってきている。

シンガーから逸脱してきていますか?

まぁ、何がしたいのかと言われたら──もしも俺からいろんなものが奪われていったとして、“最後に何が残るんだろう?”と考えると、俺が残したいのは“どう生きるか?”“どう生きてきたか?”ということなんですよね。あとは社会に対する距離感。そのふたつなんですよ。自分自身をどう掘り下げたのか、社会とどう向き合ったのか…そういうことなんですよ。

表現することに対して躊躇がなくなった印象もあるんですが、その辺はどうですか? “いつかやろう”ではなく、“今すぐにやる”みたいな歌詞もわりと見受けられますし。

でも、そうやって訊かれると、俺ってね、“まぁ、いいや、明日で…”というタイプなんですよ。LAID BACK OCEANを立ち上げる時も、メンバー探しにまるっと2年使って何十人というミュージシャンとセッションしてて、周りに“ゆっくりしすぎじゃね?”みたいなことを言われたり。結構、石橋を叩いて渡るタイプで、やる前に考えちゃうんですけど…そういう意味では、急かされるものを感じているのかもしれませんね。それは何なんだろうな? 年齢かもしれないし、今やらなければならないことが確実にあるという想いには確実になってきているかな?

《最後》や《終わり》を感じさせるフレーズも多いんですよ。

そうですか!? それは自分では気づいてなかったけど、何か出ちゃってるのかもしれないですね。

DISC2の13曲目「その歌の名」には、《僕ら死ぬ前に最後に奏でる その歌の名は その歌の名は/僕が死ぬ前に最後に歌う その歌の名は その歌の名は》とありますし。

あぁ…これは面白いことに、「その歌の名」はLAID BACK OCEANが始まった時に作った曲なんですよ。これには明確なストーリーがあって、ドラムのSEIJIくんと一緒にバンドをやっていますけど、なぜSEIJIくんとやり始めたかと言うと、もともとSEIJIくんはdrug store cowboyをやってたんですね。で、drug store cowboyのベースだったT$UYO$HIくん(現Pay money To my Pain、The BONEZ、Dragon Ashサポート)から“SEIJIが今後バンドをどうするか悩んでるから、一度スタジオに入ってみてよ”って言われて、それがSEIJIくんとやり始めたきっかけで、そこから加入することになったんです。まだ表に出る前の2年間くらいは名前を出さずに練習ライヴみたいなことを結構やってて、それをT$UYO$HIくんが観に来てくれたんですけど、その時はいろいろと模索しながらピアノロックをたどたどしくやってたこともあって、ライヴが終わってから飯を食いに行った時に“お前らさ、今やってるバンドの曲を自分が死ぬ時、最後の曲としてやるの? そういうつもりでピアノロックやってんの? それならいいけど、俺にはそんなふうには全然観えなかった”って言われて。俺はもちろん本気でやってたから、“いやいや、舐めんな。俺は本気でやってる”って反論したんですけどね(笑)。その時に“死ぬ時に一曲やるとしたら何なんだろう? それはLAID BACK OCEANの曲であってほしいな”と思って、その想いでできた曲なんです。

なるほど。DISC1の14曲目「こんな僕らが戦うべきもの」(色+色ver.)にも「その歌の名」に近い匂いがありますし、LAID BACK OCEANを始めるにあたって、そこには真剣な決意があったわけで、それが歌詞にも宿ってしまったんでしょうね。冒頭でLAID BACK OCEANが鍵盤奏者をバンドに迎えたのは、JELLY→との差別化であり、新しいサウンドを模索する意味合いがあったとうかがいました。実際、『色+色』を聴いても、最初期においてはそのサウンドはパンクロックとピアノの融合という印象でしたが、最近はそれだけに留まらず、どんどん新たなサウンドが増殖している感じがします。その辺は音源制作毎に感じているところでしょうね。

JELLY→の時は4人で演奏していることの意味をすごく追及していたと思っているんですけど、LAID BACK OCEANはピアノが入った段階で“いかに構築した自分の内面を表現していくか”というところにシフトしたと思うんで、どんどん進化していったと思います。一番はKAZUKがミックスをすることになったのが大きいと思いますよね。

まさにそこを訊きたかったところで。LAID BACK OCEANの10年間を振り返ると、 KAZUKIさんのアーティストとしてのレベルアップの凄まじさを感じざるを得ないですよ。

そうですよね。俺の音楽の歴史はイコールKAZUKIとの日々というか、KAZUKIとの共同作業の歴史なんで、奴の探求心が俺の想像力をいろんなところに連れて行ってくれるのは間違いない…うん、そこですよね。

初期はJELLY→時代にもプロデュースをしていた平出 悟さんがやられていましたが、KAZUKIさんが自分でミックスをしてみたいという話になったんですか?

そうです。もともとそういう気質なんですよ。探求型なんで、自然とそっちの方向へ流れていきましたね。

思えば、JELLY→でもものすごくいいギターリフを考える人ではあったんですけど、今はギターに留まらず、プログラミングも手がけていますしね。

いやもう、そこはすごいスよ! ずっとそれやってますもん。ミックスもそうだし。奴は科学者ですね(笑)。頭が下がります。

OKMusic編集部

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