首振りDolls ナオ、横浜銀蝿 翔

首振りDolls ナオ、横浜銀蝿 翔

首振りDolls、
マンスリーインタビュー第22弾は
ナオ vs 横浜銀蝿 翔!

第一に自分たちがやってて楽しいと
思える音楽をやるべきだと思ってた

首振りDolls ナオ

首振りDolls ナオ

――アルバム制作の中に、何かキッカケがあったんですか?

翔:そう。映画『ボヘミアン・ラプソディ』のシーンの中にもあったけど、レコーディングでいろんな音を使って音楽を作れることに感動したんだよ。俺たちは遊びの延長線上で音楽やってた人間だったから、いろんなことが出来ることに感動して。そんな中で、雨の曲には雨の音を入れたい、とかそういうことを考えるようになって。

ナオ:あ! 集会に音を録りに行ったって話に繋がっていくんですね、そこ!

翔:そうなんだよ! 最初、エンジニアさんにバイクの音入れたいって言ったら、“あるよ!”って言われて聞いたんだけど、全然イメージと違くてさ。ダメだ、これは自分たちで集会行って録って来なくちゃって(笑)。

ナオ:あははは。めちゃくちゃリアルじゃないですか(笑)! どこの集会に行かれたんですか?

翔:そりゃ地元だよ。仲間が居るし、自分もそこでちょっと前まで走ってたんだからさ(笑)。

ナオ:あははは。すごい! 本物だ!

翔:そう(笑)。みんなのとこ行って、“ちょっと音録音させて!”って。カセットデッキ持ってね(笑)。

――カセットデッキ!?

ナオ:すごい! 本当にリアル!

翔:時代を感じるだろ(笑)。“んじゃ、みんな遠くからこっちに集まってくる音録音したいから、よろしく!”って、録音ボタンをガチャって押して(笑)。いい音が録れてさ! “いいねいいね! 最高じゃん!”って思わず声出しちゃって、あ、声入っちゃったからもう1回やらせてっていうエピソードもありつつ(笑)。その音をアルバムの一番最初に入れてもらったんだよ。エンジニアとか、そんなアナログで録った音を入れろって言われたから、頭抱えちゃってる訳よ(笑)。

ナオ:音が割れちゃってるとかですか?

翔:まぁ良質な音じゃないからね。いろいろと工夫してやってくれて、完成形になったんだよ。その音を入れたことによって、若者達がそのリアルに気づいてくれて、“なんか横浜銀蝿ってすげぇんじゃん!”みたいになったらしく(笑)。それが口伝てになって、一気に広がって。シングルの後を追う様な感じになって、“横浜銀蝿=ぶっちぎり”みたいなイメージが定着し始めて、あ、これは行くかもな、っていう感触があったというか。レコード会社としても、既にそのとき隠し玉として「ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編)」があったことから、そこから先の爆発が予測出来ていたってのがあったんだよね。

ナオ:すごいですね! なんかワクワクしますね!

翔:そう。まさに仕掛けられる手応えがあった。

――勢いに乗ったところで、更に勢いが出るものを投下できる準備は整っていた訳ですからね。

ナオ:すごいなぁ、めちゃくちゃカッコイイですね、それ!

翔:“これ、なんか行くんじゃないの?”っていう感覚って、周りにも伝わるんだよね。9月にシングル「横須賀Baby」とアルバム『ぶっちぎり』で、その後すぐ、年明けて1月にシングル「ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編)」とアルバム『ぶっちぎりII』が出る流れが出来てたのもあったから、レコード会社的には“絶対に行くな”っていうのが確信的だったんだろうね。そのとき、“1月からは状況が変わると思うから、覚悟して”って言われたんだよ。

ナオ:すごい! 言われたい!

翔:あははは。本当だよね(笑)。でも、その言葉通り、1月に「ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編)」がリリースされたら、それが一気に2位に躍り出て。本当にそこからはレコード会社の人が言う様に世界が一気に変わった。『夜のヒットスタジオ』とかから声がかかり、『ザ・ベストテン』で注目曲として取り上げられたことで更に数字が上がっていって。4カ月くらいで、世間が知ってくれる存在になっていったっていう。

ナオ:すごいですね! 

翔:そうだね。本当に一気に世界が広がった。本当にいろんな番組から声かかったからね。『8時だョ!全員集合』とかバラエティにもガンガン出ていったからね、ロックンロールバンドなのに(笑)。でもほら、モテたいからさ(笑)。

ナオ:あははは。やっぱりそこですね(笑)。

翔:そう(笑)。そういうバラエティに出られるのは本当に嬉しかったから。ドリフターズと一緒に踊ったもん(笑)。素人だった俺たちが、結成からデビューまでの1年間でいろいろ頑張って、音楽的な面も叩き上げな訳だけど、俺たちは難しい音楽をやってる訳じゃなくて、単純な音楽をやってる訳でさ。ロックンロールって楽しけりゃイイんじゃないの? って思ってたから、学ばせてもらったことや覚えて世間が広がると思ったことはちゃんと吸収したけど、やっぱ第一に自分たちがやってて楽しいと思える音楽をやるべきだと思ってたから、そこを突き通したところが功を奏した感じだったね。

ナオ:さっきチャック・ベリーがお好きだって話が出てましたけど、翔さんの音楽ルーツをお聞きしてもいいですか?

翔:中学入った頃くらいかな、音楽が好きってとこからではなく、“とにかくモテたい”ってところから音楽聴き始めたって感じだったからさ(笑)。

ナオ:あははは。“とにかくモテたい”ってところは絶対だったんですね(笑)!

翔:そうなんだよ(笑)。申し訳ないが、そこが第一だった(笑)。学校で人気者になりたかったってのもあったから、フォークギターを触りながら歌謡曲を歌う様になって。Fが押さえられないっていう壁にぶつかったりもして。でも頑張って弾きながら歌った訳。小学校の頃から「戦争を知らない子供達」って曲が流行っていたんだけど、その曲をみんなの前で歌いたくて頑張ったんだけど、Fが押さえられないと弾けないんだよ。それで死ぬ程練習して弾けるようになった。吉田拓郎の「結婚しようよ」、泉谷しげるの「春夏秋冬」、小坂明子の「あなた」とかも頑張って弾き語りしてた。

ナオ:フォークソングからだったんですね!?

翔:そう。中2、14歳の夏だったかな。髪の長い背の小っちゃい暗いイメージの同級生が居たんだけど、そいつのことが妙に気になって友達になりたいなと思って近づいて、いろいろと話す様になったんだよ。それで、そいつん家に遊びに行ったら、ローリング・ストーンズとかデヴィッド・ボウイとか洋楽のアルバムがいっぱい部屋にあって。そういう音楽の魅力をいろいろと話してくれて。“あ〜、だからオマエ、そういう髪型とかしてんだ!”って話になって。学校でもすぐに上半身裸になったり、たまに化粧してたりしたりもしたから、変わりもんだなって思ってたんだけど、なるほど、ここからの影響かぁ! って分かって。ミックジャガーになりたかったんだよな、そいつ(笑)。

ナオ:僕、その子と絶対に仲良くなってたと思います! 何故なら、自分もそういうタイプだったので!

翔:あ、そうなの?

ナオ:はい! 同世代の友達とは全く話が合わないタイプだったんです! うっすらお化粧もしたりしてたし!

翔:ナオ、そういうタイプなの!?

ナオ:はい。そういうタイプです(笑)!

翔:そうなんだ(笑)。そいつ、修学旅行でミックジャガーになりきって服脱いで、先生にめちゃくちゃ叱られてたりもしたんだよなぁ〜。

ナオ:ん〜! その気持ち、めちゃくちゃ分かります! そういう憧れって可愛いですよね(笑)。

翔:そうだね。それで、俺はそいつの家でチャック・ベリー の「Johnny B Goode」を初めて聴くことになったんだよ。そんときの俺の衝撃ったらなかった訳!

ナオ:突き刺さっちゃったんですね!

翔:そう。突き刺さっちゃったんだよ!

ナオ:イナズマ走っちゃうやつですよね!

翔:そう。ギターのサウンドもそうだし、声もそうだし、もうイナズマ走りまくりよ! ちなみにそいつ岡野っていうんだけど、

ナオ:実名(笑)!

翔:あははは。出してやろうぜ、名前(笑)。

ナオ:今の翔さんを作ったキッカケの人ですからね!

翔:そうだよ! で、岡野が“「ジョニー・B.グッド」は、いろんなアーティストがカヴァーしてるんだよ”って教えてくれて、マウンテンってバンドや、ジョニー・ウィンター、ジェリー・リー・ルイスの「ジョニー・B.グッド」も聴かせてくれた。それまで歌謡曲しか知らなかった俺としては本当に目の前の世界が広がった瞬間だった。自分たちが良いと思って、リスペクトの気持ちを持って憧れのアーティストのカヴァーをするってことは誇りなんだよね。

ナオ:まさしくその通りですよね! 本当にリスペクトしかないですからね、カヴァーって。

翔:そう。そうやっていろんな人にカヴァーされてるチャック・ベリーってどういう人なんだろう? ってすげぇ興味が沸いちゃって。めちゃくちゃ知りたくなったんだよ。でも、当時なんてパソコンもなかったし、レコードに付いてる解説を読むくらいしかなかったんだよ。とにかく動いてるチャック・ベリーが見たくてさ。岡野に頼んで半年後ぐらいに海外のフェスの映像をダビングしたやつを見せてもらったんだよ。ダビングのダビングのダビングくらいの映像だから、チャック・ベリーだか何だわかんないくらい荒れ荒れの画像だったんだけど(笑)。うわぁ! このおじさんすげぇな! って思った。それ見てからだね。ロックンロールがカッコイイ! ってなってのめり込んだ。当時キャロルとかも居たけど、それを見たときはそんなにビビビってこなかった。でも、チャック・ベリーを知ってから、日本でロックンロールやってる人たちのことを調べていってキャロルに行き着いたときには、“ヤベェ、キャロルカッコイイじゃん!”って思えたんだよ。

――そこにルーツを感じたんですね。

翔:そう。それまで泉谷しげるとか吉田拓郎って言ってたのに、急にロックンロールとか言い出したっていう(笑)。それが14歳の頃だったね。そこからもうエレキギター欲しさにアルバイト始めて。そこから50年代の洋楽をさかのぼって、“やっぱバンドっていいな”って思う様になってったんだよ。でも、まだまだ当時は学校の文化祭でバンドをやるなんてのはポピュラーではなかったから、中3のときに友達と“めちゃぶつけ”っていうフォークデュオとかしてた。でも、やりながら、“いや、俺のやりたいことってこれじゃないな。やっぱ俺はチャック・ベリーになりたい!”って思ったんだよね。それで、高校に入ったところで、Johnnyに会ったのよ。

ナオ:出逢っちゃったんですね!

翔:出逢っちゃったよね〜(笑)。俺は当時からリーゼントだったから、Johnnyがいきなり来て、“俺Johnny。一緒にロックンロールやろうぜ”って。 え? みたいな(笑)。

ナオ:もうJohnnyさんの中では固まってたんですね!

翔:そう。いろいろ構想があったみたいだった。そこからだったね。俺とJohnny。

――横浜銀蝿の基盤ですね。

翔:そうだね。後に嵐さんをドラムとして入れて、そこから横浜銀蝿の本当の基盤がスタートしていったんだけど、嵐さんは高校生の頃、ギターでバンド組んでたんだよ。シカゴとかクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルとかが好きで、よく聴いてた。その影響でクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルを好きになった。「トラベリンバンド」って曲聴いたら、完全に3コードのロックンロールでさぁ! 最高じゃん! コレだぜ! って思ったね。

OKMusic編集部

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