新国立劇場でオペラ《アルマゲドンの
夢》が世界初演! ディストピアが現
実になる時

世界中のオペラ・ハウスが一時閉鎖に追い込まれているこの時期に、2020年11月15日、東京の新国立劇場で新しいオペラが誕生した。今という時代を鏡のように映す新作が、世界の一流アーティストによって上演される稀有な機会だ。ここでは最終舞台稽古(ゲネプロ)の様子を舞台写真と共にお伝えする。
新国立劇場オペラ《アルマゲドンの夢》 (撮影:長澤直子)
新国立劇場の芸術監督 大野和士による日本人作曲家への新作委嘱シリーズ。2018/2019シーズンの《紫苑物語》に続くのは、SFの父と呼ばれるH・G・ウェルズの短編小説『世界最終戦争の夢』を原作とするオペラ《アルマゲドンの夢》だ。ハリー・ロスの英語台本、藤倉大作曲。新国立劇場オペラ 2020/2021シーズンの新制作である。
新国立劇場オペラ《アルマゲドンの夢》 (撮影:長澤直子)
藤倉はこれまでレムのSF名著を原作とするオペラ《ソラリス》(2015)と、青少年のためのオペラ、ポー原作の《黄金虫》(2018)を作曲している。今回のオペラ制作に関しては、芸術監督の大野から「現代との共通点が見出せる作品を作ってほしい」というリクエストがあり、藤倉がウェルズの短編小説を選び、これまで多くの仕事を共にしているロスに台本を依頼した。
新国立劇場オペラ《アルマゲドンの夢》 (撮影:長澤直子)
ウェルズの『世界最終戦争の夢』は1901年に書かれた予言的な小説だ。社会の流れが変化し世界が全体主義に傾いていく時代の、あるカップルの悲劇が夢の中の物語として語られる。だが、オペラは小説をそのままなぞっているのではない。名もなき存在だったヒロインにベラという名を与え、夢の語り手である主人公クーパーよりも、ある意味重要な人物に仕立てたのだ。現実から目を背け愛に溺れるクーパーは社会の危険な変化から逃避しようとするが、ベラは悪に立ち向かう決心をする。
新国立劇場オペラ《アルマゲドンの夢》 (撮影:長澤直子)
コロナ禍の状況の中、オペラの上演を延期するべきかと検討していた大野監督に、この時期における上演の大切さを説いたのは演出のリディア・シュタイアーだった。シュトックハウゼンの《光から木曜日(DONNERSTAG aus LICHT)》演出やザルツブルク音楽祭の《魔笛》演出などで知られるシュタイアーは、オペラの裏に隠された政治やジェンダーの問題をえぐり出すアプローチで知られており、このオペラの政治的なメッセージを伝えるのは、今をおいて他にはないと確信したのだ。疫病に加え、政治的な問題が山積みの世界は、今日、小説や映画などの多くのディストピア芸術で語られている。このオペラはこの世界において今後どのような役割を果たすことになるのだろうか?
新国立劇場オペラ《アルマゲドンの夢》 (撮影:長澤直子)
オペラは今から50年前の通勤電車の中から始まる。登場人物は主人公のクーパー(テノール)。電車の中でクーパーに話しかけられる男フォートナム(バリトン)、フォートナム役はクーパーの夢の中に出てくる独裁者ジョンソンも二役で演じる。クーパーの妻ベラ(ソプラノ)。独裁者の広報を担当するインスペクター(メゾソプラノ)。歌手(テノール)、歌手役と同じ歌手によって演じられる冷笑者。そして少年兵(ボーイソプラノ)。
新国立劇場オペラ《アルマゲドンの夢》 (撮影:長澤直子)
小説の中では未来として語られる夢の中の世界は、オペラでは夢を超えて現実となっていく。独裁者は、カルト集団のリーダー的な存在でもある。鏡やスクリーンを大胆に使った大がかりな装置、電車の中と夢の世界の移行はスムーズだ。
新国立劇場オペラ《アルマゲドンの夢》 (撮影:長澤直子)
電車の中で奇妙な会話が交わされた後の、クーパーの夢の中の世界。自然豊かな南国の部屋にある鮮やかなピンクのベッドで愛を交わすクーパーとベラ。彼らの愛は象徴的に描かれる。そしてパーティーで突然起こる独裁者への熱狂。迫りくる戦火。ベラの意外な出自と彼女の決意。残酷な運命を背負った少年兵。
新国立劇場オペラ《アルマゲドンの夢》 (撮影:長澤直子)
今回、藤倉は《ソラリス》のようなエレクトロニクスの音響を使わず、オーケストラのみでこのオペラを書いた。恋人たちの世界を描く流麗な美の世界は弦や木管楽器、チェレステなどが活躍し、全体主義が迫りくる恐ろしい世界はリズミカルな、金管楽器が咆哮する音楽で描かれる。波の音、銃を乱射する音などの響きも印象的だ。
新国立劇場オペラ《アルマゲドンの夢》 (撮影:長澤直子)
ロスの台本は詩的な抑揚を帯び、シンプルな単語の羅列という趣もある。言葉の反復が多く、中でも「アルマゲドン」「ザ・サークル(カルト集団の政党?の名前)」などの、キーとなる単語のイントネーションを見事に活かした音形が繰り返されることにより、これらの言葉が頭に刻み付けられるのはまさにロスと藤倉のコラボレーションの賜物だろう。
《アルマゲドンの夢》の大きな特徴は合唱の重要さだ。群衆、兵士たちなどの役割を担い、合唱のみのアカペラや、主人公たちと一体になった曲など、多くのシーンで効果的に使われている。
新国立劇場オペラ《アルマゲドンの夢》 (撮影:長澤直子)
今回の公演がこれだけのインパクトを持つのは、新国立劇場合唱団の活躍が大きな部分を占めている。音楽的に卓越していることは言うまでもないが、作品の理解力が高く内容がよく伝わる。合唱指揮は冨平恭平。
新国立劇場オペラ《アルマゲドンの夢》 (撮影:長澤直子)
上演するにあたり集まったキャストも充実している。三人の海外からの参加組は、演出チームと同様に2週間の自己隔離の後にリハーサルに参加した。クーパー役のピーター・タンジッツは現代オペラのエキスパートで複雑な心理描写も巧み。ベラ役のジェシカ・アゾーディは男性の夢想の中の美女から、ピュアでしかも意志の強いヒロインへと成長を遂げる表現が素晴らしい。独裁者のセス・カリコはカリスマティックでしかもどこか滑稽な演技が劇を活気づける。インスペクターの加納悦子は平凡な悪を好演。(女装)歌手と冷笑者を演じた望月哲也は、謎の人物を演じ切り、シェイクスピアの「柳の歌」の引用歌における謎めいた哀愁はこの登場人物の末路を予感して悲しい。
新国立劇場オペラ《アルマゲドンの夢》 (撮影:長澤直子)
新国立劇場オペラ《アルマゲドンの夢》 (撮影:長澤直子)

考えさせられる結末にはボーイソプラノが重要な役割を果たす。映像に登場する少年の演技も、最後に歌う少年の歌唱も深く心に残るものであった。
新国立劇場オペラ《アルマゲドンの夢》 (撮影:長澤直子)
シュタイアーの演出は、出演者の間に距離を保たねばならないという制約を感じさせず、人物描写において見事であった。クーパーとベラの寝室のシーンもそうだが、ベラの死もその姿が目に焼き付いていつまでも残ってしまう。バルバラ・エーネスの硬質な美術と、ウルズラ・クドルナの色を効果的に使った衣裳、オラフ・フレーゼの照明も舞台と映像のバランスが秀逸だった。雄弁な映像はクリストファー・コンデクの作。
新国立劇場オペラ《アルマゲドンの夢》 (撮影:長澤直子)
そしてこれら全てをまとめる芸術監督としての役割に加えて、重要なのが指揮者としての大野和士の存在である。数々の現代のオペラを指揮してきた大野は、作曲者の意図を汲み、歌手や演奏者たちの表現を方向付けるために大きな指針となっていた。東京フィルハーモニーも集中力のある演奏。
休憩なしの約100分。見終わった後には、自分を取り巻く現実を見る目が変わり、自分自身に対する目も変わってしまう、そんなオペラである。
新国立劇場オペラ《アルマゲドンの夢》ゲネプロカーテンコール(撮影:長澤直子)
取材・文=井内美香  写真撮影=長澤直子

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