L→R トサキユウキ(Gu)、堂野アキノリ(Vo)、阿部樹一(Pf&Key)、大塚篤史(Dr)

L→R トサキユウキ(Gu)、堂野アキノリ(Vo)、阿部樹一(Pf&Key)、大塚篤史(Dr)

音楽クリエイター集団
TOKYO RABBITを紐解く【前編】
“出し惜しむことを恐れていたら
次はない”

数多くの著名シンガーに楽曲提供を行ない、幾つものヒット曲を生み出してきたシンガーソングライターの堂野アキノリ(Vo)が中心となって結成されたTOKYO RABBIT。堂野が代表を務める配信中心のレーベル『TOKYO RABBIT RECORDS』の核となっているバンドが2020年11月より本格始動した。TOKYO RABBITとはいったいどんなバンドなのか? ゼロから紐解いていくことで、彼らが普通のバンドではないことが分かってきた。

演奏力の高いメンバーが揃ったが
編曲ができる人がいなかった

L→R 阿部樹一(Pf&Key)、堂野アキノリ(Vo)、大塚篤史(Dr)、トサキユウキ(Gu)

L→R 阿部樹一(Pf&Key)、堂野アキノリ(Vo)、大塚篤史(Dr)、トサキユウキ(Gu)

吉本の養成所に通いお笑い芸人として活動をし、その後はスキューバダイビングのインストラクターを経て、L.A.のLos Angeles City Collegeで映像制作の勉強をしたり、サラリーマンになったりと幅広い経歴を持つ堂野の主軸にはいつも音楽があった。その彼が旧友でプロドラマーとして多くのアーティストをサポートしている大塚篤史(Dr)とTOKYO RABBITの前身バンドを組んだのは2017年。その当時、堂野はどのようにしてプロモーションをするか分からずに模索していたと語る。

「2017年に昔バンドを一緒に組んだこともある大塚と“バンドをもう一回やろう”という話になったんです。ですが、その当時はまだプロモーションの仕方も分からなかったんですよね。僕はとりあえず、ユニバーサル音楽出版と作家契約をしていて、でも、ある程度縛りはありますから、バンドとしてはあまり動けなかったので作家契約を辞めたんですよ」(堂野)

その経験を経て、堂野は2018年に独立をするため『TOKYO RABBIT RECORDS』を立ち上げた。基本的にひとりで経理や事務、宣伝などを行なっていたが、会社として環境が整ってきた時、今はなきライヴハウスの青山HEAVENで阿部樹一(Pf&Key)と出会う。
「青山HEAVENの店長だったハマさんに“ハマさん、ピアノでいい人いませんか?”と訊いたら“阿部ちゃんだよ! 阿部ちゃんうまいんだよ”と言ってくれたので、阿部さんと会うことになったんですけど、彼がほとんどしゃべらないんですよ(笑)」(堂野)
「そんな感じの紹介だっけ?(笑) もともと僕もハマさんは知っていたので、それで紹介してくれたのかな」(阿部)
「それで、僕と阿部さんとベースをひとり入れて青山HEAVENでライヴをしたんです。その後、ライヴをしたし、一緒に作品を作りますかということなってバンドに加入してもらいました」(堂野)
堂野アキノリ(Vo)

堂野アキノリ(Vo)

阿部は年間200 本以上のライヴを全国各地で行ない続けるジャズピアニストだ。そんな彼が加わったことでTOKYO RABBITはもちろん、『TOKYO RABBIT RECORDS』は本格的に始動するかと思われたが、堂野の中では足りないものがあったという。曲作りはできるが、それを装飾する編曲家がいなかったのだ。しかし、MINMIなど著名アーティストのツアーサポートも経験しているトサキユウキ(Gu)と出会ったことで、またしても経験値と技術力が各段に高いメンバーが加入することとなる。
「『TOKYO RABBIT RECORDS』のレーベルをスタートする中で、考えたらサウンドメーカーができる人がいないという話になって。阿部さんも大塚も演奏力が高いし、僕は曲も作れるけどアレンジができる人がいなくて。それで、僕としてはレーベルもバンドも停滞してるし、どうしようかと思っていたんですね。僕はレーベルで新人のプロデュースもやっているんですが、その中で別のアーティストの編曲をしていたのがトサキだったんです。彼が作るサウンドがとても良かったので、一緒にやってほしいと声をかけました」(堂野)

OKMusic編集部

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