【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#168
シンガーソングライター・武田鉄矢の
言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

どんなに歳をとっても、学ぶ姿勢を保っ
ていれば孤立しないでいられるんですよ

より

このインタビュー記事によると、武田鉄矢は、61歳の時に心臓に欠陥が見つかり、人工弁を入れる大手術を受けている。その頃から精神的にも弱り、「気持ちが常に落ち込むようになってしまった」という。紅白出場も果し、人気ドラマで名優としても脚光を浴びるなど、順風満帆とも思える半生を歩んでいても鬱状態に陥るのである。それを打破したのが、65歳から始めた合気道。「『お願いします!』と大きい声で教えを乞い、『ありがとうございました!』と畳に額を擦りつけてお礼を言う。そんなことをやっていると、体が快調に回り始めましてね。歳をとって曇ってきた心が、晴れていったんです」と明かしている。今回の名言は、鬱状態から合気道を習うことで得た一つの真理であり、武田流の良い年の重ね方なのだ。
武田鉄矢(たけだてつや)
1949年4月11日生まれ、福岡県福岡市出身。海援隊のボーカル、シンガーソングライター、歌手、俳優、司会者、タレント、作家、脚本家。1972年、フォークグループ・海援隊のボーカル兼リーダーとしてアルバム『海援隊がゆく』でデビュー。1973年、「母に捧げるバラード」が大ヒット。1977年、映画『幸福の黄色いハンカチ』で俳優デビュー。1979年、TVドラマ『3年B組金八先生』に出演。主題歌の「贈る言葉」も大ヒットした。1982年、海援隊解散。1983年、「未だ僕の旅」でソロデビュー。1986年、漫画『お〜い!竜馬』の原作を担当。1987年、「男と女のはしご酒」で芦川よしみとのデュエットが話題となった。1993年、『ドリームライブ in 福岡ドーム』にて海援隊が1日だけ再結成された。1994年、海援隊の活動を本格的に再開。同年、ラジオ番組『武田鉄矢 今朝の三枚おろし』のパーソナリティを担当し、2020年現在も続いている。東洋水産『マルちゃん赤いきつねうどん』のCMキャラクターを1978年の発売当初から務めている。2019年、同商品は「同じ俳優を起用したTVCMを、最も長い間放映し続けている商品」としてギネス世界記録認定される。2020年8月に著書『人生の教養を高める読書法』(プレジデント社)を発売。
仲村 瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。

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