洞口朋子さん

洞口朋子さん

中核派として革命を目指す女子・洞口
朋子インタビュー 取材・構成/姫乃
たま

中核派によるユーチューブチャンネル・前進チャンネルが面白い。一般的に「過激派」と言われるそのイメージを覆すような、ユーモラスな動画をアップし、注目を浴びている。チャンネルに出演する洞口朋子に話を聞くべく、姫乃たまが前進社に潜入した! 初めて会う洞口朋子さんに大きく手を振りながら、どうして手を振っちゃったんだろうと思っていました。ここはお辞儀して名刺でも出すべきなのに、なんだか友達と待ち合わせたみたいな気持ちになってしまったのです。年齢が近いからかもしれません。ひょこっとお辞儀をしてから、小さく手を振り返してくれた洞口さんは(編注:2018年取材当時)29歳。前進社に住む中核派の女性です。
彼女が所属する中核派とは 中核派というのは「革命的共産主義者同盟全国委員会」の略称で、えーっと、新左翼の党派のひとつです。60年代と70年代に安保闘争をしていて、大学をバリケード封鎖したり、警察と衝突したり、それでマスコミからは時々過激派なんて呼ばれたりして、えー、ごめんなさい、私全然よくわかってないんです……。
 中核派の人は現在でも全国に5,000人ほどいるそうですが、あくまでも警察発表であって実際の人数は把握できないと洞口さんは言います。集会やデモに参加していても、正式に加盟していない人もいるんだそうです。
 中核派って思想を持つだけじゃなくて、加盟もできるって知りませんでした。ほかの党派の人に党員が殺されてしまったり、仲間内で党員が殺し合ってしまったり、血が流れていたことはなんとなく知っています。
 洞口さんは1988年に生まれて、闘争の経験はないけれど、活動家だったご両親は身の危険を案じて、洞口さんが生まれるまでは夫婦別々に暮らしていたそうです。
 私では話にならないので、中核派について洞口さんから聞いたことを書きます。
 彼らの目標は革命です。なぜなら資本主義の中で人間が豊かになっていると思えないから。世界は便利になっているはずなのに、それを成り立たせているはずの労働者がないがしろにされている、と。資本家が存在しない、搾取のない世界を実現するのが洞口さんたちの目標です。
「私も資本主義社会の中で生きてきたけど、労働者を使い捨てするんじゃなくて、人間が人間らしく生きていく世界を社会制度そのものでつくることが革命なんじゃないかと思っています。よく宗教と勘違いされるんですけど、お祈りじゃなくて私たちは現実を変えたいんです」
 洞口さんは真剣な眼差しで話します。
19歳から前進社で共同生活 洞口さんは同じく革命を志す中核派の人たちと、前進社で共同生活を送っています。前進社とは『前進』という新聞を刷って発行したり、YouTubeの広報アカウント「前進チャンネル」を運営したりしている事務所であり、中核派の人たちの住居にもなっている建物です。いま(編注:取材当時)は女性が2名、男性が10数名暮らしています。
 2018年6月に「前進チャンネル」で、前進社の内部を紹介する動画( https://youtu.be/C3rnM0JHNlM )が公開されて反響を呼びました。秘密めいた印象の内部があっけらかんと映し出されていることにも驚きましたが、何より内部を紹介している洞口さんに私は興味を惹かれました。可愛らしい若い女性が、壁にずらりと張り出された公安警察の顔写真を見て悪態をつく姿は、なんともミスマッチだったのです。これはどういうことなんだろう。私はさっきのように革命について話す女性を初めて見ました。同じように感じている同世代の人は多いようで、前進チャンネルの視聴者は10代と20代がメイン層だそうです。最近ではビラ配りをしていると声をかけられることもあるようで、その多くが高校生だと言います。
「良くも悪くも中核派を知らない人が見てるんですよね。なんか面白いって言われることが多くて。私は普通に喋ってるだけなんですけど……」
 首を傾げる洞口さんの後について、公安警察のキャンピングカーに見張られながら前進社にお邪魔しました。頑丈そうな鉄製の扉は公安警察が家宅捜査で突入する際にこじ開けた傷の修復跡だらけです。しかし入口は鉄製扉ではなく、実はその隣にぽつんとありました。こっちの扉切ったほうが派手ですからね、と洞口さんが言います。インターホンを押すと、監視カメラから視線を感じて、ややあって中にいるお兄さんが二重の扉を開けてくれました。外部の人はもちろん、住んでいる人たちも自分で玄関を開けて入ることはできないようです。
 中に入るとすぐ、扉を開けてくれたお兄さんが複数の監視カメラの映像を見張っていました。ここは24時間いつでも誰かが交代で見張っているそうです。こんな冷やかしみたいな感じでお邪魔していいものか申し訳ない気持ちでしたが、監視中のお兄さんも、中核の旗の前で煙草を吸っているおじさんたちも、暑い食堂で野菜や魚をさばいているおじさんたちも、みんなすごく笑顔でした。そう、みんなすごくいい笑顔だったんです。街中では滅多に見かけないくらい。
 事務所のテーブルにはおびただしい数のデモや集会のチラシに、『前進』も積まれています。同じ志の人たちが一緒に暮らすって、すごく幸せなことなのかもしれません。急に親戚の家に帰省したみたいな気持ちになって、自分でも驚きました。洞口さんは19歳から10年間、ずっとここで暮らしています。
「あの、今日は洞口さんのことが気になって来たんです」
 私がそう言うと、洞口さんは少し驚いたように笑いました。休みの日は何してるんですかと聞くと、洞口さんはもっとはっきり驚いて笑います。
「なーんですかね。趣味もないし、ぶらぶら1人で歩いたり、カラオケに行ったりとか。高校の同級生に会ったりします」
 私は洞口さんについて、カラオケでは中森明菜から演歌まで歌うこと、特に安室ちゃんと椎名林檎が好きなこと、中核派にもそうじゃない人にも友達がいること、髪型やメイクについて中核派では特に規定されていないことを知りました。
「革マルって党派と戦ってた時は、いつやられるかわからないのでヒールとかスカートとかはダメでした。私は集会の時は警察とか右翼からの襲撃に備えて、ヒールとかスカートは履かないです。ほかの女性活動家はヒール履いてる人もいます。70年代からやってる人からすると、いまの中核派はゆるくなったって思われてるかもしれません」
 前進社にはアルバイトをして暮らす人も正社員として勤めに出てる人もいて、中で結婚した人も、結婚相手がほかの場所に住んでいる人もいるそうです。ちょっと変わったシェアハウスみたいですが、洞口さんは社員寮みたいなイメージだと言います。
「公安のキャンピングカーが誰が何時に出かけたか記録してるので、新しいメンバーが入ると自転車で追いかけてきて顔とか覗いてくるんですよ。マジで気持ち悪いです」
 社員寮にしては少し変わっているところもあるようですが、とにかく洞口さんはここに住んで活動に専念しています。
「カンパで生活しているので豊かな生活ではなくて、フリーターやってたほうが好きに生きられたかなって思う時もあるんですけど、こっちの生き方でよかったなって思ってます」
 最近の前進社は秋の臨時国会に向けて改憲問題の話で持ちきりだそうです。
「みんながいるから力を合わせればなんとかなるかなって思ってるんです」
 突然、地鳴りがしたので息を飲むと、「これ下の鉄扉が開いている音なんですよ」と洞口さんが教えてくれました。こういうのにも慣れちゃいましたね、と苦笑いしています。
中核派の両親の元に生まれて 洞口さんは宮城県に生まれました。父親は高校生から政治ストを始めて、70年安保闘争の終わり頃に大学で学生運動をした末に逮捕。釈放を求めて運動していた母親と巡り会います。
 小学生の頃から、週末は遊園地に連れて行ってもらっている同級生を見るにつけ、週末は集会に連れて行かれる我が家が少し変わっているのではないかと疑問に思っていました。その疑問は、習字の時間に家から持参した新聞がほかの子たちと違う(私の新聞だけ「天皇制打倒」とか書いてある!)ことや、先生からの視線で確信に変わります。絶対にそんな活動はしないと母親に大声で反発したこともありました。デモで両親が言っている「戦争反対」が大事なことなのはわかっていましたが、それを声に出す人たちが少数派なのが気にかかっていました。
 どうやって活動と向き合うべきなのか悩んでいた小学校6年生の頃、母親が病気で亡くなってしまいます。当時のことを洞口さんはよく覚えていないそうです。どんな思い出よりも覚えていないという事実が、幼い洞口さんの深い悲しみを表しているようで胸が締め付けられました。そんな折に、イラク戦争が始まったのです。
「中学生の時でした。戦争って本当にこうやって始まっちゃうんだって思ったらなんかやらないといけないと思って、父親のツテで東北大学の学生たちと仙台市内でデモをするようになったんです」
 高校生になってからは、原爆の日に広島に行くようになって、その習慣はいまでも続いています。きっと真面目な高校生……かと思いきや、意外にも不真面目なギャルだったと本人は言います。
「前進社のメンバーは進学校の人も多いんですけど、わたしは全然。ギャルっていうか元ヤンですね。成人式の写真とか、多分驚かれちゃう(笑)」
 アルバイトに明け暮れてぎりぎりで高校を卒業するような生活でしたが、当時から政治に疑問を感じた時には友人に知らせていました。
「こういう法案が通りそうになってるとか話すようにしてて、でも何言ってんのって反応がほとんどでした。いかんせん友人もヤンキーだったんで……」
 卒業後、フリーターになって宮城県の居酒屋で働いていたある日、法政大学で学生運動をしていた学生が一斉に逮捕されたニュースが飛び込んできました。逮捕者の中にはデモで交流のあった人たちも含まれています。一体何が起きてるんだろう。 「親とか周りの活動家を小さい時から見てるので、私も大変になるだろうと思ってたんですけど、おかしいことはおかしいって言わないといけないし、中核派の運動を支えたいから加盟しました」
 19歳。洞口さんは仙台市にある喫茶店で書類にサインをして正式に中核派に加盟しました。法政大学に合格したのをきっかけに、上京して前進社に住み始めます。
 しかし大学に入学してすぐ、沖縄のデモに参加している最中に公安警察がやって来て東京に連行されました。駅前でのビラ配りなど、学生運動をしている学生の一斉逮捕が強行されたのです。洞口さんは手錠をかけられながら、飛行機でミネストローネを飲んでいる警察たちを見て、絶対に飲まないぞと心に誓っていました。
「留置所では高校の恩師が書いた手紙を警察に読み上げられました。近しい人に活動を辞めるように説得させたかったみたいなんですけど。父親が説得役として使い物にならないので(笑)」
 男手ひとつで育ててくれた父親とは離れて暮らしているいまも頻繁に連絡を取り合う仲で、2人の信念は今日も変わっていません。
いつか革命の日がきたら なんとなくほかの党の人とお付き合いすることもあるのか聞いたら、洞口さんが「それ恋人じゃなくてスパイですよ!」とすごい必死に言うので少し吹き出してしまいました。少しだけ恋愛話なんかをして笑いあった後に、火炎瓶の話が普通に出てくるので、ミスマッチ加減がだんだん可笑しくなってきます。洞口さんも、革命の日がきたら戦ったりするのかなあ。
「いずれ、資本主義の終わりにはそういう風になるんじゃないですか。革命ってなった時に警察や政府と話し合いで折り合いをつけることには絶対ならないと思うので、血みどろの戦いと、名もなき人の必死の抵抗が歴史をつくってきたし、そうなると思います」
 そうかあ。目の前にいる女の子が怪我をしたりさせられたりしたら、悲しいなあ。でも彼女の目標は革命なのです。仕方がない。
「その日には絆創膏を持っていくよ」
 私がそう言うと、洞口さんは大きな声で、可愛い顔で笑っていました。
(実話BUNKAタブー 2018年10月号掲載)
※元記事掲載の雑誌は、現在、紙の雑誌版は販売終了しております。電子書籍版「実話BUNKAタブー」2018年10月号はバックナンバーとして主要電子書店で配信されております。
※取材は2018年雑誌初出当時のもので、現在とは一部異なることがあります。

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