MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』
第二十四回目のゲストはカツセマサヒ
コ 憧れていた場所にたどり着いた時
、男の目に映った世界とは

MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』第二十四回目のゲストは小説家のカツセマサヒコ。カツセといえば、今年6月に出版した『明け方の若者たち』がデビュー作にも関わらず、6万部以上を売り上げ、今注目されている新人作家である。会社員やライターを経て、好調な作家人生を歩み出したかと思いきや、カツセ自身は恐怖と葛藤の中にいるという。実際、対談の中で「こんなはずじゃなかったと思うのは、これで何回目だろう」という発言をしている。今回はアフロとカツセによる他ジャンルで活躍する者同士が、一体何と戦い、どこへ走り出そうとしているのかが映し出されていく。
●出版界隈からしたら異質だし王道ではないから、どうしても尖った部分をピックアップされがち●
アフロ:先日、曽我部(恵一)さん、(鈴木)圭介さんとトークイベントをされていたんですよね?
カツセ:下北沢のB&Bで配信イベントをしました。お二人とも僕からすれば憧れの方なのに、特に曽我部さんは飄々とされていたのが印象的でした。僕は今33歳で曽我部さんとは15歳も離れているんですけど、ひと回り以上も僕の方が年下なのに、すごく真摯に対応してくださりました。
アフロ:だからこそ、(曽我部さんは)底が知れなくて怖くなりますよね。
カツセ:そうなんですよ。大先輩には昔話を聞かせてもらう方が、上下の差が出るから安心するんです。だけど、そんなそぶりは一切なかった。お話をしていて、何か吸い取られそうになる感覚は、糸井重里さん以来でした。糸井さんとはお仕事で対談をしたことがあるんですけど、一度も糸井さんご自身の話をさせてくれなくて。ずっと「君はどういうことをやっているの? どんな人なの?」と聞かれるんですよ。僕は『もののけ姫』のコピーの裏話とかを聞きたいのに、そんな話は一切させてもらえなかった。やっぱり、長年キャリアを積み上げて最前列にいる人たちって……違うんですよね。「昔は良かった」みたいな話を全然しない。
アフロ:それで言うと曽我部さんから、新しいアルバムを作る時はまず最初に前回のアルバムを全否定するところから始める、という話を聞いたことがあって。
カツセ:はぁー……すごい!
アフロ:俺も電撃が走ったんですよ。曽我部さんのそういった逃げ場なしの開拓精神に触れた後で新しい曲を聴くと、更に伝わってくるものがあったりして。それこそ対談をされて、今まで以上に曲が入ってくるようにならないですか。
カツセ:ありますね。今日もそれを楽しみに来てますから。
アフロ:むしろMOROHAが響かなくなる可能性もありますよ。喋ってみて「こんなに情けない人なんだ」と思って曲が味気なくなるかも。でも、そしたらそれは曲の上で俺がカッコつけてしまっているという事だから、ありのままを伝え切れていない俺の実力不足でしかない。そう考えたら、曲作りでも、ライブでも、取材でも、全部を曝け出していかなくちゃなと思いますね。とは言いつつもレコーダーが回っていると、いいこと言わなきゃみたいなことってないですか?
カツセ:ありますよ。本を出してすごい数のインタビューを受けることになったんですけど、「どれが自分にとって本当の答えなんだっけ?」と思いました。これは作り手の方によって全然違うのかも知れないんですけど、僕の場合は最初からテーマやコンセプトがしっかりあって「この作品はこういう人に伝えたい」と目指した小説ではなかった。だから本が完成した直後にインタビューを受けて「さあ、どんな作品ですか?」と聞かれた時は戸惑いましたね。「え? それは読んだ人によっての受け取り方でいいだろう」と内心は思いつつ、そういう回答が許されない世界なんだなと感じました。
アフロ:作った側が作品を言葉で説明することの野暮さ、キツいですよね。カツセさんはライターとしてインタビューをする側でしたよね?
カツセ:そうです。前はインタビュアー側にいたので「あなたにとって青春とはなんですか?」みたいなくっさい質問とか平気でしていた時期もあったんですけど、ここ2年くらいでスタンスがだいぶ変わりました。ライターとかインタビュアーはいかに1を10へ変えていけるか、という世界だと思うんですけど、それが0から1を作る側になった時の正解のなさというか。で、ぽろっと言ったことが答えかのようにそのまま取り上げられてしまう感じも「いやいや、今の待ってよ」みたいな。
アフロ:多分、インタビュアーさんの書きたい記事が既にあるんでしょうね。こうであって欲しいという願望というか。自分の言ったことでも活字になって編集された瞬間に、ニュアンスが変わってしまうこともあるし。
カツセ:「そこを切り取られちゃうんだ」みたいなことが、今までのインタビューにもあったりして。そもそも、みんな色目で入っちゃうんですよね。「Twitterの世界から出てきた人がいきなり書き下ろし小説を出版しました」みたいな畑の違う人扱いをされることが多い。それは出版界隈からしたら異質だし王道ではないから、どうしても尖った部分をピックアップされがち。「140文字のツイートと小説はどう違いますか?」というのが一番多い質問なんです。
アフロ:だけど、それを聞きたい人の気持ちはわかりますよ。
カツセ:僕も頑張って答えるんです。「短距離走と長距離走みたいな筋肉の違いがあります。文節とか言葉の選び方も違う。140文字は強い言葉を入れた方がシェアされるとか、ハックできる要素が多いんです」みたいなことを言うには言うんです。でも、本音はそんなの意識したことはないんですよ。だって全然違うものを作っているんだから、「そこにTwitterの要素は入っていますか?」と聞かれても、大体は意識をせずに書いているわけで。
アフロ:言語化するのは難しいですもんね。
カツセ:音楽もそうじゃないですか?
アフロ:その日の状況にもよりますからね。攻撃的なモードに入ってる状態で「音楽とはなんですか?」と聞かれたら「ただの手段ですよ」と突き放すように答えちゃう。嘘ではないけど、それはそれで白々しいなと思う自分もいます。音楽は手段を超えた膨よかなものだ、って感覚になる時もあるし。作り方に関してはカツセさんと同じく俺もよくわからずに作ってて。基本は自分が体重の乗せられる言葉を探し出すという感じです。そういえば我々の「tomorrow」という曲のMVを監督した松居大悟さんが言っていたんですけど、撮影をする時の1つの手法として「この場面を撮りたい」というアイデアから物語を広げていくらしいんです。例えば、クリープハイプの「エロ」というMVで男女が駅で別れる時に、男の子がビニール傘を女の子に差し出す場面があって。女の子が傘を受け取ったその腕を男の子が掴んで引っ張っていく。その画が撮りたいと思ってから、その男女の関係や設定などを考えていくらしいんです。
カツセ:へえ! じゃあ、まずは明確なカットが決まっていて。
アフロ:カツセさんが小説を書く場合も、色濃い場面を1つ決めておいて、それを描く為に前後を広げて作っていったのかなと思ったんです。
カツセ:ビジュアル先行でこのシーンを書きたいなと思ったのは、何ポイントかあって。それを繋ぐために物語を紡ぐ感覚はあったかもしれないですね。だから断片的な小説だと言われることが多いです。確かに時系列が5年間もぶっ飛んでいくし、それって一連の流れがないから小説っぽくなくて。何か日記を読んでいる気分と言われることがあったりして、そういう受け取り方をされることが面白いなとも思いますし「文章って何なんだろうな」という気持ちになりながら書いてましたね。で、一冊書いたらコンプレックスや欲が出てきて、この程度しか書けなかったと気持ちが落ちることもあります。それはマイナスだけではなくて、次は今作を超える作品を書けるだろうという自信にもなります。
●純音楽や純文学というジャンルがあるからこそ、俺らはカウンターを打たしてもらっている感がありますよね●
アフロ:これもめっちゃ聞かれていると思うんですけど、『明け方の若者たち』はやはり自伝的な要素が強いですか?
カツセ:ありますね。社会人になって良い配属先へ行けなくて、どんどん落ちこぼれていくのはまんま過去の自分を書いてます。他にもウジウジしていたり、色んなことにコンプレックスを抱えているところは今の僕にもだいぶ近いですし。そこは主人公に自分を投影してます。
アフロ:今はどんなコンプレックスがあるんですか。
カツセ:先ほども言いましたけど、どうしても「インターネットの中の人」というイメージから出られないのは、僕としては嫌なんです。それこそ、たまたま同時期に『破局』という作品で芥川賞を受賞した遠野遥さんという方は、まだ20代の男性なんですよ。同じ大学4年生をテーマにしてて「同じ年代の主人公を描いておきながらこんなに真逆か」と言われたりもしました。それは自分の文体がすごくライトであったりとか、大衆へ届けるために色んな固有名詞を入れているのも要因だと思います。文芸は純文学が頂点にあるのだとしたら、僕はすごく外側の飛び道具のようなものを作ってしまった。それは差別化しないと周りに勝てないと思ったからなんです。「デビュー作は絶対にヒットするものを」と意識していたんですけど、売れたら売れたで自分が本物ではないことが如実に表れたような気がして。
アフロ:差別化しないと周りに勝てないという気づきは、新しいものが生まれる瞬間ですよね。純文学への憧れはあるんですか?
カツセ:あります。むしろすごく強いです。それは売れることと別で、資本主義で文化は作れないだろうと言われている気がするんです。純文学と呼ばれる作家先生の作品は今後も書店に置かれ続けるけど、僕の作品は2020年6月頃に流行った作品として「あの時の作品だね」と言われてしまう恐怖心もすごくあります。
アフロ:あー、音楽もそういうのあるかも。音楽業界にも純音楽というものがある気がするんです。でも俺はそこに対して憧れよりも「クソッタレ」の感情が強い。なぜなら権威的かつ虚構の部分が物凄くあるように感じるから。あのフェスに出ているから音楽的に凄いとか、そういう自分にも染み付いてしまっているブランド感覚が本当に卑しいなと思っていて。高尚な顔しててもそう言った体裁を気にした時点でファッションだろ、と。とにかく俺は此処にいるぞ、ってことをわかって欲しい。あとは金、そして人。だからこそ音楽を目的にしたくないんです。俺は聴き手の想像力に一切期待しないぞ、という意識でMOROHAの歌詞を書いてて。俺が見たものをそのままお客の脳裏に映すつもりでやっているんですよね。それをする為にはわかりやすさが必要で。ただ、一方でわかりやすさを追及することは、純音楽的には禁じ手という風潮も感じてる。複雑でないと軽んじられてしまうというか。とはいえ、そういう純音楽や純文学というジャンルがあるからこそ、俺らはカウンターを打たしてもらっている感がありますよね。
カツセ:あぁ、なるほど。確かにそう思います。
アフロ:逆に、インターネットに対して憧れている世代がいるじゃないですか。彼らからすれば、俺らにとっての純音楽や純文学がインターネットなんだけど、今さら我々はそこと同じ目線にはなれない。
カツセ:そうなんです。だからレガシーメディアへの憧れがすごく強い。「僕はこういうテレビやラジオの番組に出たい」とか、「こういう雑誌に載りたい」という欲が、インターネットの人より強いと思います。むしろWEB媒体で指標とされている「何PVも閲覧数を伸びました」と言われてもどうでもいい。それは全然違うんだと。
アフロ:先日、芸人さんと話してて印象的だったのが、テレビの世界はダウンタウンさんや明石家さんまさんが何十年もお笑いの頂点にいて、もはやどれだけ頑張っても天下は取れないと。じゃあ何をすれば良いのか? まだ芸人の天下が定まってないYouTubeを始めれば、天下を取れる可能性がある。そこまでわかっているけど、テレビに憧れた世代の芸人はそこに力を入れずらいみたいなんです。
カツセ:やるべきことはわかっているけど、そっちへ進む自分が許せないんですよね。
アフロ:それはものすごい葛藤だなと思って。
カツセ:すごくわかりますし、MOROHAさんもそうだと思います。「本当はこうした方が稼げるのはわかっているけど、俺らはこういうスタイルだから」と勝負する姿に僕は痺れています。
●俺は、その生き方を余裕で凌駕するほど「金が欲しい」という感情の方が強かったんですよ●
アフロ:それでいうと、初めてCMのナレーションをやる時はめちゃくちゃ悩んだんですよね。音楽以外に声を使うと安っぽく映ってしまうんじゃないかと。でも俺は、その生き様を余裕で凌駕するほど「金が欲しい」という感情の方が強かったんですよ。とにかく金を稼がないと生きていけない。その真実に背を向けるほうがリアルじゃないと思って、ナレーションの仕事を受けることにしたんです。ただ、テレビから自分の声が流れてきた時に、何か大きなものが欠けてしまったような感じはしました。もう後戻りはできないなという。その時に書いた曲が「米」だった。<働け 何でも屋の頑張り屋 ラップ 文章 CMナレーション 共通言語 限度なき熱量 俺を求めてくれてありがとうございます>という歌詞があるんですけど、あれは最初からそういう思いがあってナレーションの仕事を受けたわけじゃなくて、もうやると決めたんだから、それを真実にしていくんだという決意なんです。そもそも、安っぽく映る、というのも体裁じゃないですか。それを気にして整えるよりも、金が欲しい、という確かな情念の方が表現に強く作用すると信じたんです。そんなふうに奮い立とうとする自分が俺は愛しいし、そうやって戦っている人にこそグッとくる。
カツセ:そこまで曝け出して、リアルを見せて勝負できるのはすごいと思います。
アフロ:きっとみんな何かしら、最初は絶対に譲れないものが10くらいあったんですよ。だけど、それが1つ削れて、2つ削れて、最後に残った1つだけを掲げて戦っている人が多いんじゃないかなと。その人達と同じく葛藤も曲にして、自分自身のことを偽らずに「金が欲しかったんだ」と歌う。その選択に胸張れるように、歌でポリシーにしていく感じですね。ただ、CMのナレーションを断っていれば音楽としてのCMオファーが来ていたんじゃないかなと。
カツセ:よぎることはありますよね。
アフロ:だけどそっちの未来は知らんのです。俺はナレーションで稼いだお金で親をグアム旅行へ連れていって、軽く調子こいた後に日本に帰ってきたら、駅前にWANIMAのポスターがデカデカと街中に貼られてて。「あいつらの方がよっぽどグアム感あるな」というのと「マジで売れてんだなぁ」と痛感して浮かれていた自分を恥じて悔しがる。そんなリアルを歌っていく未来しかないんです。
●僕は本を通して「俺の人生はこんなはずじゃなかった」ということを書いているんです●
カツセ:僕も自惚れと自己喪失をずっと繰り返しているタイプですね。
アフロ:どう自惚れているんですか?
カツセ:しょっちゅう自惚れているんだと思います。2年前まで憧れていた場所に今いるじゃん、と思ったら嬉しい気持ちと恐怖心がつきまとっている。
アフロ:怖いというのは、どういう意味で?
カツセ:来年になったら、もういないかもなと。ツイートが注目されてフォロワーが増え始めた時くらいから、一発屋芸人さんみたくメディアで擦られて、数字が取れなくなったらポイッと捨てられちゃうかも、という怖さとずっと戦っていて。そのためには自分ではなくて作品で売れなくちゃという焦りの中、ようやく1作目を出せた。だから僕自身が売れるより作品で世に出なくちゃいけない、というのはすごく感じてますね。
アフロ:作品よりも自分が売れていくことは、カツセさんの中でマイナスなんですか。ミュージシャンの俺からすれば、理想だと思うんですよね。ただ、それはライブがあるかどうかで違うかもしれないけど。
カツセ:そうですね。しかも小説の場合は「これってご自分のことですか?」みたいな質問も多いですし、どうしても文脈を粗探しされるので、自分が前に出過ぎること対しては嫌な感じがあります。とはいえ、矛盾するようですけど、作品を売るために僕自身がメディアに出たい気持ちはあるから、出演の機会をいただくのはすごく嬉しくて。ただ、やはり作品ありきでいないと、正直怖いです。「あいつ口では大きなことを言ってるけど、何もやってないな」というのが一番ダサいから、ちゃんと作品で売れたい。あと自惚れで言えば、決して口には出さないですけど、本を作る人たちに対して「色んなことを言ってますけど、俺よりも売れてないですよね」と言えるようになっちゃったこと。「じゃあ、その方法で5万部以上のヒットが出ていたんでしたっけ?」と。最初にセールスを出したことで、そこのマウントを取れるようになってしまったことにより、過信してしまっている部分はあります。
アフロ:数字という、揺るがない結果を作ってしまったからこそですね。
カツセ:今年はすごく良い本と沢山出会ったんですよ。でも、それらの作品が売れているのかと言ったら重版がかかっていないこともザラで。小説や文芸の世界は、「良い作品が売れる」というのと乖離した世界にある気がします。
アフロ:俺もこの数年は、とにかく数字を出したいという思いが強かった。仕事相手との関係性も結果にかなり左右されていたと思います。
カツセ:それは切り捨てる方をやってましたか? 言い方は悪いですけど「MOROHAはこの規模の仕事をしているんだから、このレベルの人たちとは一緒にやらない」みたいな。
アフロ:切り捨ててました。でもそれは同業者に対してではなくて、イベンターとかレーベルですね。彼らにとっては俺達は数あるバンドの中の一つ。その中で俺達の優先順位はどうなのか。それをずっと見極めてました。そして、その先の結果だけを見ていましたね。ある意味、人間的な付き合いはその次だと思っていたんです。それがコロナの影響なのか、今まで自分がやってきたスタンスに寂しさを感じるようになって。これまでこだわってきた数字や結果とか、そういうものの価値がコロナで崩れていった感じがあったんですよね。逆に、イベントで一緒になった農家さんが野菜を送ってくれたり、音楽をしていたから出会えたデザイナーさんから服やストールをプレゼントしてもらったりして、モノもそうですけど何より「気持ち」ってこんなに嬉しいんだなと思ったんです。この関係性もMOROHAでやってきたことの成果なんだと思えました。
カツセ:数字ではないところで、自分のやってきた実感を得られるようになったんですね。
アフロ:それをきっかけに愛され待ち、ではなくて先に愛してみようと思ったっすね。とはいえ今の話って、最初は尖っていたけどだんだん丸くなったミュージシャンが言いそうなことじゃないですか。そこに抗いたい自分もいるんですよね。
カツセ:歌詞を読んでいても、抗いたい気持ちが伝わってきます。その一方で、「生きていくために迎合しないといけないものもある」という生き方が出ているから、アフロさんの歌詞はすごくリアルだなと思います。僕はMOROHAさんの「スコールアンドレスポンス」がすごい好きで、<なあなあ、家族のためにやめるってことはさ 家族のせいでやめるってことか?>という歌詞が刺さったんです。毎日、ネクタイを締めて満員電車に乗って、これは何のためだっけ? 家族のためだよね?と思った時にそれが本当に嫌になって、電車の中で泣いちゃったりもしてて。このまま定年を迎えるまで、残り40年間もこんなことをやるの? と思ったら自分が許せなかったんです。それでライターになり、本を出せるようになった時にMOROHAさんを聴いて。久々にすごく刺さる音楽が来たなと思って、めちゃくちゃ聴いていました。
アフロ:あの歌詞は反感もあると思ってます。でも、もし聴いた人に「そうじゃねえよ!」と言われたら真っ向から「ごめん!」と言おうと思ってたんです。俺がそうだったからそう書いただけで。やっぱり親にとっては、安定した職についてくれた方が良いんだろな、とは思っていたんです。ただそれを挑戦しない言い訳にしようとしている部分も感じてて。最後は俺が生き甲斐を持って生きていることが親にとっても喜びのはずだ、と強引に思い込んで音楽の道へ進むことにしたんです。ちなみに小説の中で、仕事には減点方式のものと加点方式のものがある、という話があったじゃないですか。自分は加点方式の仕事を選んだと思っていたんです。でも気付けば減点方式になりそうなことがあって。ライブでも「ミスらないようにしよう」と考えた瞬間に、100点を守り切って終えることを目的とする、減点方式の考え方になってしまう。そうならない為に不要な誇りは捨てなければと思います。「俺みたいなもんが」と思って、0点の気持ちでステージに立つ。そしてそこから2万点をねらうことが原点に近い。そういう意味でずっと劣等感を持たないといけないなと。
カツセ:僕は本を通して「俺の人生はこんなはずじゃなかった」ということを書いているんです。きっとイチローだって本田圭佑だって、僕からすればMOROHAさんだって「こんなはずじゃなかった」と言い続けるんだろうなと思ってて。40代や50代の方達を見ていると「これで満足です」と言えるようになった人から人生が止まってしまうような気がしてて。抗い続けることは苦しいけど、それが人生そのものじゃないかなと思うんです。ある日、友人に「もうバンドは辞めて、これからは会社員として真面目に働きます」と言われまして、その選択は否定しないけど、そういう人たちを見ていると寂しくなっちゃうんですよね。土日の家族サービスのためだけに働く。ストレスを抱えて家に帰り、お酒を飲んで少しの幸福を感じる。それが幸せなんですと言われた時、その人が幸せならそれが良いはずなのに「本当にそれで良いの?」と言いたくなってしまう自分がいて。
アフロ:それを口にしたら、その後の自己嫌悪が半端ないでしょうね。とか言いつつ俺は歌の中で言っちゃってますけど。でも、そう言いたくなるのはカツセさんが自分で道を選んで、結果が出て充実してるからだと思いますよ。
カツセ:それが一番のおごりな気がしちゃいますけどね。
アフロ:「こんなはずじゃなかった」の話で言えば、カツセさんの中でご自身はどうなるはずだったんですか?
カツセ:メディアに出たいと思って学生時代を過ごしていたけど、あまりに漠然としか考えてなかった。どういうふうにメディアに出るのが理想なのか考えたら「消費されていくネタ扱いで良いんだっけ?」とか「偉そうにコメントをしている人で良いんだっけ?」とか「それとも何か作っている人として呼ばれるのが良いんだっけ?」とか、その都度その都度で見つかる問題が、当初は見えてなかったですね。人気者になりたいとか、有名になりたいとかだけ。
アフロ:わかるなぁ。俺は高校を卒業したら、服飾の学校へ行きたいと思っていたんです。田んぼ道や牛舎ばっかりの田舎で、ファッション雑誌に載っているような華やかな世界に憧れを抱いていたんです。進路を選択する時期にそれを親父に伝えたら「お前は洋服の仕事をしたいんじゃなくて、洋服屋さんがしているようなライフスタイルに憧れているだけ。芯じゃなくて周りの部分に惹かれているんだ」と言われた時に何も言い返せなくて。あまりに的を得てた。ただその後、俺がラップを始めた時も結局その要素はあったんです。メディアに出たい、有名になりたいとか、そういう上澄みの部分に対しての憧れ。それも背中を押してくれる一つなんですよね。
●どんなに頑張っても村上春樹にはなれないんだから、やることはたくさんあるだろうっていう●
カツセ:上澄みを描くことって一緒くたにばかにはできないですよね。そこはすごい大事かもしれないですね。
アフロ:どんな中身であれ、欲望は力をくれますよね。ちなみに欲望で言えば欲しいものとかあるんですか。
カツセ:冗談半分に聞こえるかもしれないですけど、土地とか……。1作目が出たことで、これまでと仕事のやり方を変えていかざる得なくなったんですよ。ライターの依頼が激減して「物語を描いてください」みたいな仕事が多くなっている。かえって仕事の数は不安定になったので「なんか売れるために作家をやっているけど、結果的にすごい貧乏になるかもしれない」みたいな怖さをここ2ヶ月くらい感じてます。他力本願で、何もせず生きられる方法はないのか? とか考えていたら、土地っていいなあと……。
アフロ:なるほどなぁ。ただそれも上澄みかもしれないですね。土地を得て、アパートを建て、家賃収入が入ってくるというイメージは楽そうだけど、実際の中身は修復費とか空室とか諸々大変でしょうし。お金があるってどうなんだろう? あるバンドマンの人が「俺たちは1度も売れなかったから、バンドを続けてこれた」と言ってて。
カツセ:ああー、そうかも。そうですね。僕の場合は、本が売れたことによって貧乏になりそう、という未来が見えてしまって「やりたいこと」と「生きること」のバランスの悪さに直面して、ビビってるんだと思います。本が売れたし、生活も楽しくなるだろうと思ったら、やっぱりそこは揃わない。それは作家の先輩たちを見てても実感することが多くて。伊坂幸太郎さんクラスになれば別ですけど、ずっとヒット作を作り続けることなんて無理なわけですよ。結局、自転車操業なら前と変わらねえじゃねえか、と思った。たどり着いてから「こんなはずじゃなかった」と思うのは、これで何回目だろうと。
アフロ:ただその立ち位置ってすごくありがたくて、まだ挑戦者でいられるの理由であるというか。これで本当にウハウハになってしまったら。
カツセ:そうですね。1作目が出て、それなりに重版されたからと言って、又吉さんの『火花』がいきなり253万部いったことを考えると、6.8万部なんてショボいじゃんと。ずっと挑戦者でいられそうだなと思える。上を見たらいくらでもいるという安心感はありますよね。だって、どんなに頑張っても村上春樹にはなれないんだから、やることはたくさんあるだろうという。
アフロ:俺もそうですよ。同世代の活躍は胃が引きちぎれそうになりますね。我々はロックの畑へ行ってもHIPHOPの畑へ行っても「ちょっと違うね」と言われてきたんです。楽な方を選ぼうと思えば「オンリーワンだから、どれもライバルじゃない」と言えたんですけど、それは性格的に無理だったので全部がライバルだと思うことにしたんです。アンダーグラウンドで脚光を浴びている奴に対してもすごく嫉妬するし、すごく華やかな舞台で色んな作品の主題歌をやっている人たちを見ても嫉妬する。そこの最初の道選びは成功したと思います。やっぱり悔しさがないと燃えないから。そう思えば純文学に嫉妬して、又吉さんに嫉妬して、というのは……。
カツセ:うん。大事なんでしょうね。
文=真貝聡 撮影=森好弘

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