京都にたたずむ異界、トコヨノモリか
ら霧矢大夢らが「モリガタリ」配信~
森の生みの親であり番人の竹内良亮に
話をきいた

「常世(トコヨ)」という言葉がある。永遠に変わらないことを意味する。また古代日本人が思い描く海のはるか彼方にあり、そこに暮らす人は不老不死の理想郷=「常世の国」という意味もあるらしい。そんな世界があったら、行ってみたいと思う人も多いのではないだろうか。実は京都・下鴨に、「常世」を名乗る、なんとも不思議な森がひっそりと存在する。何か得体の知れない生き物が棲んでいそうな(不老不死かどうかはわからないが)。劇団悪い芝居などで舞台美術を手がけている竹内良亮が一人で、2年をかけて生み出した「トコヨノモリ」がそれだ。この空間は、さまざまなアーティストとのコラボレーションによって、また新たな表現を生み出していくことを目指している。
「トコヨノモリ」
古道具屋の奥、曇り鏡が現実と夢との境界をぼかし、惑わせる。
水面に映る灯りを頼りに行くと、あるいは忘れ去られた童話の森。
かつては花盛りの、妖精の舞う森だったかもしれない。
想像の主が近づく事がなくなっても尚、その奥に物語を隠している。
そして、幻想より深い無意識の森。
色もなく葉も茂らず、夢や狂気を介して覗き得る不条理の世界。
トコヨノモリ
2020年9月18日と25日には、トコヨノモリで収録された朗読劇『モリガタリ』がイープラスのStreaming+で動画配信される。出演は霧矢大夢、須賀貴匡、池田努の3人。3人による『牡丹燈籠』(脚色:大田雄史)と、霧矢の『夜に就て』(立原道造)、須賀の『待つ』(太宰治)、池田の『桃太郎』(芥川龍之介)というラインナップだ。
今回、トコヨノモリの番人、竹内良亮に話を聞いたーー。
竹内良亮

■舞台美術に決まったやり方なんてない
――竹内さんが何者なのかをまずお伺いしたいんです。舞台美術家さんということでよろしいですか?
竹内 最近はあまり自分からは肩書きを名乗らないようにしているんですが、大きなくくりとしては美術家ということかと思います。ただ、舞台美術家とは名乗らなくなったころから、逆にいろいろな方面からお声がけいただくようになってきたのは面白いなぁと。
僕は京都大学時代に学生劇団に所属していて、何回か舞台美術をやったことがあったんです。役者や舞台監督などいろいろやった中で、舞台美術がいちばん性に合ってたような気がします。無理せずマイペースにやれる、自分らしくいられるんですね。そういえば、もともと物づくりは好きで、高校のときに進学先の第三志望くらいに美大を混ぜていたのを思い出しました。その後、舞台美術がやりたくて、2011年から1年、在学中に、ロンドンの演劇学科のある総合大学ミドルセックス大学へ留学したんですけど、そこでの経験が大きかったですね。
――それはどんなことだったんですか?
竹内 舞台美術の先生がいる学校に入学して、二人のデザイナーさんのアシスタントになったんです。そのうちお一人はジェイソン・デンバーさんという国際的に活躍している方で、日本に帰ってきてからも遠隔で2年くらいご一緒させていただきました。その方は絵を描かずに、いきなり精巧な模型をつくり出すんです。その写真も送ってくれて、「こういうものなんだけど図面にしてくれ」というやり方だったんです。僕は美大とか芸大に行ってなかったので、舞台美術には決まったやり方があるんだと思っていて、その専門教育を受けてみようと留学したんですけど、人によって全然やり方が違ったんですね。つまり決まったやり方なんかないんですよ。専門教育を受けていないというコンプレックスもなくはないんですけど、アシスタントについた経験には今も励まされています。
トコヨノモリ
トコヨノモリ
■よく見る悪夢に登場する暗い森をつくりたくなった
――では、トコヨノモリについて教えてください。
竹内 そもそもは何をしよう、何を表現しようというつもりは全然なく、つくりたいものが浮かんでしまったからつくったという場所です。20代は舞台美術をメインでやってきました。その中で、物語を表現するためにではない舞台美術を先につくって、それをきっかけにしてお芝居やイベントをやるという企画を2回くらいやったことがあったんです。そんな経験もあったから、やりたいものができちゃったんですね。
――説明していただくのも野暮だとは思いますが、「つくりたいもの」「やりたいもの」とはどんなイメージだったのですか?
竹内 僕、よく悪夢を見ていて(笑)、暗い森の中にいるんですよ。それがかなり印象的で、あの世界をつくってみたい、あの森に行ってみたいと思ったわけです。僕は行ってみたいところをつくるクセがあるんですよ。いろいろ考えるうちに最終的にたどり着いたのは、夢から入って、概念的に何にもないシンプルな空間をつくろうということでした。でもいざつくり始めたときは、これじゃないなって。シンプルな形状、シンプルなラインでは自分の思う「何にもない」とは真反対のものができてしまいそうで、現状ではごちゃごちゃした感じになっているんです。そんなに広い空間ではありませんが、奥に行くに従ってものの具体性が崩れていくという空間のつくりになっています。また美術的なつくりとしては、生命力、現実感がどんどん薄れていって、輪廻なのか臨死体験なのか一回死んで帰ってくる、そういうことを感じてくれる人がいてくれたらいいなと。
そんなことをつくりながら考えてはいるんですけど、最初と最後では、つくろうとしていたものはちょっと違っているんです。ただ今つくれるものとしての「何にもない空間」にはなっています。
――お一人で、2年かけてつくられたそうですね。
竹内 制作ノートを2018年8月から始めているので、ちょうど2年ですね。もちろん仕事の合間にやったり、コロナの時期に一気につくったり。森の木々はダムに通ってもらってきた流木を使っています。置いているものすべてに意味づけはしているんですけどね。
――この森がある建物はもともとはどういう場所なんですか?
竹内 大学時代からお世話になっている古道具屋さんの倉庫なんですけど、昔は映画監督が劇場をやっていたり、ライブハウスだったりしたと聞いていたんです。オーナーさんが「また何かできたらいいなあ」と言ってらしたので、イベントをやらせていただきました。その第2弾がトコヨノモリというわけです。
――トコヨノモリをぜひ覗いてみたいのですが。
竹内 実は今、コロナの状況を見据えながら、一般公開に向けていろいろ整理しているところです。もう少し待っていてください。使われ方として今いちばん多いのは写真撮影。アーティストやコスプレイヤーの方がスタジオ的な使い方をしてくださっています。僕としては演奏会や身体表現はぜひやりたいと思っていて。ただ本当に狭いので、ソロか、二人組がいいかと思います。また僕自身も進めている企画があります。そもそもが何をしようと決めないで始めたものなので、いろんなアーティストさんとコラボレーションして、思いもよらぬもの、想定していなかった表情が見られればいいなと思っています。
――こんな不思議な場所が街中にいくつもあったら楽しいですね。
竹内 そう思います。本当はもっと大きな場所、街がつくりたいんですよね。見渡す限りの世界を体験してもらえるような。テーマパークをつくりたいです(笑)。
トコヨノモリ

■トコヨノモリで繰り広げられた朗読劇『モリガタリ』をオンライン配信
前述のとおり、トコヨノモリで収録された朗読劇『モリガタリ』がオンラインで動画配信される。以下の写真は『牡丹燈籠』の収録風景。そもそも『牡丹燈籠』自体が日本文学を代表する怪談ではあるが、トコヨノモリでつづられるそれは、異界の迷宮にさまよう妖(あやかし)たちの鬼気迫る戯れのように見える。
霧矢大夢 (撮影:堀川高志)
池田努 (撮影:堀川高志)
竹内 美術や小道具などもやらせていただきました。トコヨノモリは僕しか勝手のわかってないこともいろいろあるので、撮影期間はずっと現場におりました。空間を見て作品を選んでいただいているということもあるんですけど、トコヨノモリと重なる物語もあれば、ちょっと違った広がりのある物語など、トコヨノモリのさまざまな表情を楽しんでいただける内容になっていると思います。演出家も作品によって演出も変えたり、無観客であることを利用して、俳優さんの中に入り込んだりいろいろな視点から撮っていました。本当に面白いコラボレーションになったと思います。
須賀貴匡 (撮影:堀川高志)
(撮影:堀川高志)

取材・文:いまいこういち

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