舞台写真家 飯島隆と共に振り返る、
想い出に残るあのアーチスト

どんなに素晴らしい音楽でも、鳴り響いた瞬間から減衰し、やがて消えて行く。
しかし、そこで得た感動は深く心に刻まれ、ふとした瞬間に蘇る。
昔、コンサートホールで聴いた朝比奈隆のブルックナーの交響曲は、ライブ盤のCDで簡単に聴く事が出来るが、えー、こんなに傷が有ったっけ⁈ こんなに終始大きな音で一本調子だった⁈ 確かに想い出は美化されるのかもしれないが、それにしても…。
その点、一枚の舞台写真には、感動の瞬間まで時間を巻き戻し、創造力を掻き立てるチカラがある。朝比奈の指揮写真をじっと見ていると、聳え立つ大伽藍が浮かんでくるようだ。
これまで数多くの舞台写真を撮影してきた、ステージカメラマン飯島隆。
ザ・シンフォニーホール客席入り口前のスペースに飾られている写真の多くも、彼の撮影なので、目にした方も多いはず。
膨大な量の飯島隆の作品から何点かを選び、当時の想い出と合わせて語って貰おうという今回の企画。さて、どんな写真が飛び出すか。ご覧頂こう。
―― カメラを生業にして行こうと思われたのはいつですか。
それは、中学、いや高校の時ですね。中学の時は、古寺巡礼が好きで、変わっていたと思います。石山寺や貴船神社、鞍馬寺など、有名なお寺を巡って写真を撮っていました。他にも骨董品や水墨画も好き、お坊さんも好きでしたね(笑)。高校に入って、父親から一眼レフを買って貰ってからは、一層カメラにのめり込みました。カメラ誌を読み漁り、コンテストに応募して入選したことも。ある時、室生寺の五重塔の写真を撮影していた時に、それまでと違った何かを感じたのです。プロのカメラマンになりたいと思った瞬間です。
―― 大学で東京に出られたのですね。
東京工芸大学に入りました。写真界では旧称の東京写真大学の略称「写大」として知られ、立木義浩をはじめ、著名なカメラマンを多く輩出している学校です。カメラに関する事を手っ取り早く学び、世に出るには最適な学校でした。学校に行きながらコマーシャルスタジオでアルバイト。実地で商品撮影などを勉強出来、ここでの経験は随分役立ちました。学校の成績は悪くなかったですね。技量的には先生からも一目置かれていたと思います。
―― 就職はどうされたのですか。
学校を卒業するタイミングで、アルバイトしていたコマーシャルスタジオの紹介を受けて、あるカメラマンのアシスタントになりました。そこで食品やファッション関係を教わりながら撮っていたのですが、なにぶん給料が安い。生活が苦しく、カメラマンになるのを諦めかけていたある日、舞台の撮影依頼が入ったので撮って来て欲しいと言われ、良く分からないまま、ある舞台のゲネプロの写真を撮影する事になりました。東宝で活躍されていた藤木悠さんの舞台でしたが、望遠レンズもなく、動き回る役者を一発撮りするのがこんなに難しく、奥深いものだとは知りませんでした。無我夢中で自分なりに頑張って撮りましたが、ブレブレのボケボケ。自分で撮った写真が、これほど恥ずかしく思えた経験もなく、仕方なく先方に渡したところ、受け取ってはくれました。一生懸命撮ってくれたし、まあええやろ、という所でしょうか。あんずのお菓子を貰いましたが、それがギャラでしたね(笑)。
とにかく打ちのめされ、二度と舞台写真は撮るもんか!と誓ったのですが、からだのどこかに、いつかリベンジしてやろうという気持ちがあったのかもしれませんね。そんな事も有って、カメラマンの夢は破れ、大阪に戻る事にしました。
舞台写真なんて二度と撮るものか!と思ったんですけどね     (c)H.isojima
―― テレビドラマのような展開。楽しくなってきました。続きをお願いします(笑)。
24歳の時に大阪に戻って仕事を捜したのですが、見つからない。姉の旦那さんがあるテレビ局に勤務していて、紹介されたのがカメラマンだったのです。カメラマンの腕は有るのだから、それを活かしたらどうやと言われましたが、逆を返せば、カメラしか出来ない奴には他の仕事は無理という事でしょうか。紹介されたのは関西カラー写真という会社でした。朝日放送の仕事を受けている会社で、シンフォニーホールの撮影をする業務に経験者として採用されました。舞台写真の撮影という事で不安な点も有ったのですが、思い切ってやってみる事にしました。最初に撮影したのが、忘れもしません、キングズ・シンガーズでした。
―― なるほど、そこでシンフォニーホールとの接点が出来た訳ですか。舞台写真、大丈夫だったのですか。
さすがに舞台写真はどういうモノかも分かっていましたし、それなりに準備はしていましたが、シンフォニーホールの担当者にキングズ・シンガーズの写真を見せた所、「お、写ってるやん!」と言われました。全く信用していなかったんでしょうね。じゃあ、次はこれを撮って! といった具合に次第に撮影するモノも増えて行きました。
この時のシンフォニーホールの担当者が鈴木貞治さん、私にとって恩人です。鈴木さんの写真に対する姿勢からは、学ぶべきものが多かったですね。鈴木さんは私の事を買ってくださり、「飯島は良いセンスをしてる。ココという時、ちゃんと撮りよる。逃してない。」と言って下さいました。
そんな事から、大阪フィルと指揮者 朝比奈隆の「朝比奈隆の軌跡」シリーズを撮る事になり、朝比奈さんとの関係が始まりました。
 写真提供:飯島隆写真事務所
―― 朝比奈隆の写真で、目にするモノは殆ど飯島さんが撮影されていますね。今回、お話を伺うので色々と調べてみて驚きました。
ある時、撮影をお願いすると、「演奏会の後はしんどいから、先に撮りに来なさい」と言っていただき、本番直前の楽屋で撮っていると、「君はシャッターを切るタイミングがすごく良いね。指揮も同じ、タイミングが大切だよ。ハハハハハ」と豪快に笑われ、ステージに出て行かれました。
また、別の機会で、ゲネプロの撮影を遠慮しながら撮っていると、「君は写真を撮るのが仕事なんだから遠慮せずたくさん撮りなさい!」と言って頂いたこともありました。
まだまだ若造で、未熟な私に声をかけてくださり、その時々の言葉で随分勇気づけられました。これは、最初で最後、朝比奈さんに頂いたサイン。宝物です。
指揮者 朝比奈隆    (c)飯島隆
朝比奈さんの写真はやはり思い入れも強く、気に入っているモノも多いのですが、この写真はフェスティバルホールに突然呼ばれて、撮影した時のモノです。1989年に文化功労者として顕彰を受けられた直後の写真だったと思います。あのいつものカメラマンを呼べと言われたそうです。
指揮者 朝比奈隆     (c)飯島隆
コチラの写真も、私の大好きな写真の一つ、珍しく朝比奈さんが笑われている写真です。
朝比奈さんは笑っている写真が殆どありません。この時代の人にありがちな、写真は凛々しく写るものと思われていたのでしょうか。これはゲネプロの時の写真。一曲目の頭の音を出そうと指揮棒を下した瞬間、オーケストラが鳴らした音楽が、ハッピバースデートゥーユー ♬。この日は1994年7月9日。朝比奈さんの誕生日だったのですね。そして指揮棒を置き、腕を組んでこの表情。偶然その場に居合わせたことで、良い写真が撮れました。
―― よく見かける写真ですが、そんなエピソードが有ったのですね。大阪フィルの専属カメラマンになられたのはいつ頃ですか。
朝比奈さんが亡くなり、大植さんが監督になられ、定期演奏会の会場がザ・シンフォニーホールに替わる。その少し前あたりだと思います。
―― 朝比奈時代から大植時代に替わり、どんな印象をお持ちになりましたか?
大フィルのサウンドが変わったと思いました。大きな音を出すだけでなく、いい意味で小細工も出来る万能なオケになりつつあると思いました。大植さんのカラーになり、若返りましたね。大植さんがバイロイト音楽祭に呼ばれ、大阪クラシックや星空コンサートが誕生し、就任から2~4年目頃は、オーケストラに勢いがありました。
―― 大植英次は就任前から、ほぼ飯島さんお一人で撮影して来られました。こちらも多くの写真の中から、お気に入りの写真はどれになりますか。
指揮者 大植英次     (c)飯島隆
この写真は2004年7月9日のもの。この日と前日で大植さんが初めてブルックナー交響曲第8番を指揮する事で話題となった定期演奏会。7月9日は朝比奈さんの誕生日。大いに盛り上がったカーテンコール。これはきっと何かやるぞと、確信に近いものがありました。なので大植さんを狙っていました。何度か入退場を繰り返し、やおらポケットから朝比奈さんの写真、例の笑っている写真を高く掲げて、朝比奈さんに報告されているようでした。大植さんの誇らしげな表情が印象的でした。
指揮者 大植英次     (c)飯島隆
もう1枚は、2017年4月の定期演奏会から、カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」です。
大植さんの魅力の一つがファッションです。指揮者でこのファッション、なかなか出来ないでしょう。この日の「カルミナ・ブラーナ」は、とてもスリリングな演奏でしたが、客席は大変な盛り上がり。やはり、大植さんは大阪のお客さんに愛されていますね。このドヤ顔も含めて、好きな写真です。
―― 大植英次が2012年3月に音楽監督をやめて少し間をおいて、2014年4月から首席指揮者に就任したのが井上道義です。
道義さんには、駆け出しの頃から良くして頂いています。初めて撮影したのは私がまだ20代だと思います。怖い人だと聞いていたので緊張していたんだと思いますが、私の顔を覗き込んで「好きなだけ撮っていいよ」と言って下さりました。別の機会に楽屋で撮影した時「はい、笑ってください!」と言ったら、「面白くないのに笑えるか!」と言われ……怖かったです(笑)。大フィルの首席指揮者に決まった時には、フェスティバルホールに呼び出され、1日がかりで新しくなったフェスティバルホールの中を歩き回り、相談しながら色んな場所で撮影しました。
―― 井上道義のお気に入り写真、紹介してください。
ごめんなさい、先に言っておきますけど大フィルの指揮者は1枚に絞れませんでした。2枚紹介させてください。昨日からずっと考えていたのですが、やはり無理でした。
―― はい、結構ですよ。そうでしょうね、わかります。素敵な写真だと、ご覧頂いている皆さんも喜ばれると思いますので。
指揮者 井上道義     (c)飯島隆
1枚目は、2018年3月定期演奏会で、ショスタコーヴィチの第2番と第3番の交響曲をやった時のもの。何と言ってもこの日の演奏が良かったです。この2曲、ショスタコーヴィチが20歳、22歳の時の曲だそうですが、ファインダーを覗いていて、道義さんがふっと笑ったのが、若いショスタコーヴィチが笑ったような錯覚に陥り、すごく不思議な感覚になった事を覚えています。その日、バーバーのピアノコンチェルトを弾いたソリストもまだ若く、いつになく若い感性の道義さんが撮影出来たように思います。
指揮者 井上道義     (c)飯島隆
もう1枚は2018年6月18日に起こった大阪府北部地震の2日後に開催された「マチネ・シンフォニー」の写真です。この日のコンサート、地震の影響を考えて開催が危ぶまれたそうなんですが、その事を道義さんが本番前のプレトークで話されていました。「グラッと揺れただけで全てが止まるのはどうなんだ。何でもかんでも自粛。この閉塞感は一体何なんだ。こんな時こそ音楽を奏でるべきじゃないのか!」と、持ち前の道義節で熱く語られました。コンサートは、リハーサルが間に合わなかったことも有って、一部、曲のカットなどもありましたが、バーンスタインの「シンフォニック・ダンス」が凄い熱い演奏で、客席の拍手喝采もいつもより凄まじかったです。
これは道義さんのことなので、何かやるはずだと待ち構えていました。そうすると、道義さんが、こんな時こそ1歩踏み出すんだよ!とばかりに指で1を示して両手を広げて。
冷静に、スローシャッターで露光間ズーミングしてやれ!と計算して撮った写真です。上手く顔にピントが合って、バックは放射状に流れる写真。計算しないと撮れない写真ですが、コンサートの感動は計算できないから素敵なのでしょうね。
―― 井上道義の次に大阪フィルのシェフになるのが、井上道義の大親友だそうですが、尾高忠明です。
道義さんは常に全力疾走で、周囲にもそれを求める人なんだと思います。投げやりに見えて、愛情のこもった方で、緊張感を持たせるのが上手い指揮者だと思います。ハレーションも厭わない方ですし、皆さん大変だろうなと思っていました。
尾高さんは真逆の方なので、皆さん少しホッと出来ていて、尾高さんの音楽的な要求にどっぷり浸っている感じに見えます。今、凄くまとまりが良いのではないでしょうか。
そんな雰囲気が表れた写真を選んでみました。
―― それは楽しみです。よろしくお願いします。
どちらも今年の8月23日にフェスティバルホールで行われた、チャイコフスキー「交響曲全曲演奏会」の写真。この日は、尾高さんがコロナ後、大阪フィルを始めて指揮する演奏会でもありました。客席にも同じように、コロナ後初めての演奏会という方も多かったようです。
指揮者 尾高忠明     (c)飯島隆
オーケストラも良く鳴っていましたし、終始、尾高さんはニコニコされていました。1枚目はそんな尾高さんの人柄が表れた、表情が素敵な写真です。
指揮者 尾高忠明     (c)飯島隆
もう1枚はカーテンコールの写真。尾高さんを中央に、コンマスの崔さんはじめ、メンバーが笑っていて、いい写真だと思われませんか。実はこの直前、尾高さんとコンマスの崔さんが舞台上でじゃんけん!崔さんが尾高さんに、お一人でセンターに立って、お客様からの拍手を受けてくださいと勧めたところ、いや結構ですと遠慮され、ではじゃんけんで決めましょうという事になり、尾高さんが勝って全員が起立したところですね。声は聞えませんし、ファインダー越しに見ていて、そう理解しました。そんな事もあって、みんなこの笑顔。現在の大阪フィルを象徴する写真で、素敵だと思います。
―― 飯島さんは。大阪フィル以外にも、兵庫県立芸術文化センターのオーケストラも撮られていますね。佐渡裕もずっと撮っておられるはず。
そうですね。佐渡さんとは2005年に芸文センターが出来た時からです。撮影だけでいうと、もっと前からシンフォニーホールなどでは撮影させて頂いています。印象で言うと、プロ意識の塊のような方ですね。どんな事があっても舞台に穴をあけない。体調がよくない時でも、指揮されます。ファインダー越しに見ていて、かなりきつそうな時でも、カーテンコールではニコニコしながらお客さんの拍手に応えられています。そして、佐渡さんの魅力は、眼チカラの強さですね。そして、涙腺がゆるい方で、オペラのカーテンコールでは、決まって涙を見せられます。
―― そんな佐渡さんの写真を紹介してください。
指揮者 佐渡裕     (c)飯島隆
やはり眼チカラの強いこの写真はいかがでしょうか。2019年8月のスーパーキッズオーケストラを指揮した時の指揮姿。佐渡さんの演奏会に行った事のある人ならお判りでしょうが、凄い汗かきなのです。汗まみれで、髪振り乱して指揮されている写真も、迫力があって私は好きなのですが、佐渡さんは静的な写真がお好きなようで、最近ではだいたいこのような感じの写真になりますね。
―― よく見かける佐渡裕のイメージそのものの写真ですね。ではこれからは、飯島さんが気に入った指揮者やソリスト、その他の写真をお願いします。
はい、ではこの写真から。
ソプラノ歌手 佐藤しのぶ     (c)飯島隆
佐藤しのぶさんです。佐藤しのぶさんも長く撮らせて頂いています。初めて営利目的で私の写真を使って頂いたのが、当時のしのぶさんのレーザーディスクでした。訃報を聞いた時は、あまりに突然だったのでショックでした。
紹介する写真は、2008年の兵庫県立芸文センター、いわゆる佐渡オペラの時のモノです。
レハールの「メリー・ウィドウ」のハンナ・グラヴァリ。圧倒的に華があって、凄かったです。この時の写真、しのぶさんも気に入って頂いたようで、色々なカットの写真を、随分購入して頂きました。
―― いきなり佐藤しのぶ! 確かに華のあるソプラノでしたね。残念でなりません。次はどなたでしょうか。
ピアニスト 菊池洋子     (c)飯島隆
女性を続けましょうか。ピアニストの菊池洋子さんです。日本人としてモーツァルト国際コンクールを優勝されているモーツァルトの権威。この写真を撮った演奏会は、2018年12月に兵庫県立芸文センターで行われた「モーツァルト 音のパレット」の2回目。フォルテピアノで、モーツァルトのピアノソナタの第1番から第6番までを演奏するというスペシャルな演奏会です。美しい手の動きと彼女が時折見せる無邪気であどけない表情、それにフォルテピアノの優雅で軽やかな音色が相まって、若きモーツァルトをイメージさせる、印象に残る演奏会でした。
―― 赤のドレスが映えますね。菊池洋子さんは最近では、モーツァルトのピアノコンチェルトを弾き振りもされているようですね。機会が有ったら見てみたいですね。次も女性でしょうか?
指揮者 シモーネ・ヤング     (c)飯島隆
シモーネ・ヤングです。2016年の大阪フィル11月定期演奏会、オールブラームスプログラムを指揮された時の写真です。大阪フィルの定期演奏会を女性が指揮するのは珍しいこと。髪の毛を振り乱してパワフルに指揮されていましたが、女性ならではの繊細な部分も併せ持った、とても美しく、綺麗な指揮をされるなぁと思いながら撮影していました。個人的にはもう一度、見てみたい指揮者です。
―― シモーネ・ヤングですか。少し意外でした。メインのブラームスの交響曲第2番も素晴らしかったのですが、個人的には「運命の歌」の合唱が良かった印象が強いです。次も女性ですか?
指揮者 アンドレア・バティストーニ     (c)飯島隆
とにかく撮り応えのある指揮者、アンドレア・バッティストーニです。この写真は、2018年の大阪フィル2月定期演奏会のローマ三部作でしたが、まず、演奏が素晴らしかったです。
指揮はとにかく元気いっぱい。思う存分撮れて、どのカットも絵になる指揮者ですね。いやー、この指揮者は定期的に撮ってみたいです。
―― バッティストーニ、確かに絵になりますね。ここまでで9人紹介してまいりました。10人目はどなたでしょうか。
指揮者 ウラディーミル・フェドセーエフ     (c)飯島隆
ウラディーミル・フェドセーエフです。お父さんという感じで、大好きなんですよ。何故か朝比奈さんを思い出すんです。風格があって、表情が良いでしょう。大フィルでも指揮されていますが、コレは2017年11月に兵庫県立芸文センターで行われた、チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラの写真です。やはり手兵ということもあってか、伸び伸びとした良い表情をされています。本当は今年の6月にも兵庫県立芸文センターにTSOを引き連れて来られる予定だったのですが、コロナの影響で来年3月に延期になりました。また撮影できるのが嬉しいです。
―― 大フィルではなく、TSOの写真で、フェドセーエフですか。その辺りの表情の違い、ファインダー越しなら違いが分かるのでしょうね。次はどなたでしょうか。
指揮者 マリス・ヤンソンス     (c)飯島隆
私が一番好きな指揮者、マリス・ヤンソンスです。どこが好きかと聞かれても、難しいのですが、カリスマ性もあって、一瞬に空気を変えることが出来る指揮者です。
―― この写真はどこのオーケストラを指揮している時のモノですか? といっても、オーケストラは見えませんが(笑)。
バイエルン放送交響楽団、2016年11月の兵庫県立芸文センターですね。
―― マーラーの交響曲第9番をやった時だ! 私、客席にいました(笑)。
とにかく私と感性が合う指揮者です。どのポーズをとっても絵になります。こういう方の事をマエストロと呼ぶのでしょうね。実は2018年11月にも来られる予定だったのですが、健康上の理由で、アジアツアーをすべてキャンセルされて、代役がズービン・メータ。贅沢な代役で、多くの方は逆に喜ばれていたようですが、私はヤンソンスに会いたかったです。もちろん、メータもしっかり撮影していますが。ヤンソンスは、翌年に亡くなられました。
―― 飯島さんに思い出に残る演奏会を写真と共に紹介して頂いていますが、膨大な写真の中から選んで来ていただいています。だいたい、こんな感じですか。
パック・パーカッション!     (c)飯島隆
大阪フィルの事は触れて来ましたが、兵庫芸術文化センター管弦楽団(PAC)の事にも触れていいですか? 彼らは芸文センターのレジデントのオーケストラですが、アカデミー型のオーケストラでもあり、コアメンバーとしての任期は最長で3年。PAC出身者は、大阪フィルはじめ、色んなオーケストラにもいます。彼らは定期演奏会やオペラといった活動以外にも、セクションごとに面白い活動をやっています。ここではパック・パーカッション!を紹介させていただきます。このコンサート、毎回奇想天外な事をやるので、個人的にも楽しみにしています。この日、2018年11月は、パーカッション・メンバーに加え、元大阪フィルの中谷満さんと坂上弘志さんが特別参加されていました。写真はパーカッションだけで演奏する「ボレロ」の演奏風景。坂上さんのスネア、懐かしいでしょ。
―― カメラマンとしてだけでなく、PACの広報としての役割も果たされていますね(笑)。さっきから気になっているのですが、そのリヒテルの写真に書かれているサイン、本物ですか?
ピアニスト スヴャトスラフ・リヒテル     (c)飯島隆
スヴャトスラフ・リヒテル、ご存知ですか?
―― もちろん、大好きです。リヒテルといえばヤマハ「CF」。リヒテルが現在のヤマハ「CFX」を弾いたら何と言うか、大変興味があります。いやそんな事より、その写真も飯島さんが撮られたのですか? それ、たいへん有名な写真ですよね。
有名なんですか。はい、私が撮りました(笑)。1994年、リヒテルは結果として最後となる日本公演を行いました。大阪ではシンフォニーホールで2月にコンチェルトを、そして3月にはリサイタルをやっています。リヒテルは演奏中、写真を一切撮らせないアーチスト。リサイタルは演奏中、蝋燭の火くらいの明るさの中で演奏します。当時、デジタルのカメラはまだ無かったので、これでは撮れません。コンチェルトの方はさすがにオーケストラがいるので、そういう訳にはいかないので、交渉してカーテンコールのみ撮影OKとなり、撮ったのがこの写真です。
―― コンチェルトは誰が指揮して、どこのオーケストラで何を演奏したか覚えておられますか?
聞かれると思ったので、一応調べてきました。ルドルフ・バルシャイの指揮、センチュリー交響楽団で、モーツァルトの1番、5番、18番を演奏しているようです。この写真、自分では結構気に入っていたので、リサイタルで再びシンフォニーホールに来られた時に、1枚はリヒテルにプレゼント、そして1枚はサインをお願い出来ないかと、2枚を関係者に託したところ、リヒテルが喜んでサインしてくれたよと戻してもらいました。後で判ったハナシですが、実はこの写真、リヒテル本人がとても気に入ったようで、リヒテルの家に飾ってあったそうです。その話を聞いて、とても嬉しかったです。
―― いいハナシですね。この写真、コンサートのチラシかヤマハのピアノの広告か忘れましたが、見たことがありますよ。いい写真ですね。ところで飯島さんは、クラシック以外の写真を撮られる事もあるんですか?
兵庫県立芸文センターでは、こんな写真も撮っています。
落語家 桂米朝     (c)飯島隆
―― おー、米朝さんですか。
はい。2007年7月です。この日の米朝さんはあまり体調が良さそうでは無く、登場するなり、「何をしゃべるんやったかいな」という感じで、「私らこんなコトをしまんねん」と言いながら、扇子でキセルを吸って見せたり、うどんを食べたり。それが、あまりに痛々しくて。その後、何をしていいか分からない時間が流れ、弟子のざこばさんが「師匠、もうよろしいわ。帰りましょ。」と笑いを取りながら引っ込んで行かれました。
―― 最後が、リヒテルと桂米朝さん。色々な写真を撮って来られましたね。飯島さんのお仕事は、何と言えばいいのでしょうか。コンサートカメラマン? ステージカメラマン? 
何と呼んでいただいてもいいのですが、自分としては舞台写真家だと思っています。カメラマンだと、プレス的なイメージになってしまうかなと。単なる記録写真を撮るのでは無く、記録の先にあるものを撮りたい。1枚の写真で、見た人を感動の瞬間に回帰させるような写真を撮りたいと、常日頃から思っています。
見た人を感動の瞬間に回帰させるような写真を撮りたい!     (c)H.isojima
舞台写真は奥深いものです。ベストな条件が揃う中で、ハイどうぞお撮りください!なんて事はまずありません。被写体は遥か彼方。しかもその動きは予測不能。だとしたら、超望遠レンズは必要。シャッター音はさせられない。もちろんフラッシュは焚けない。急遽、ガラス越しに撮らないといけなくなっても、冷静にファインダーを覗き、ピントを合わせてシャッターを切る。
愛用のカメラ  (c)飯島隆
仮にカメラマンに用意された席があったとしたら、それは客席の最後方の更に後ろの席か、せいぜい舞台袖の小窓くらい。そこから、記録の先にある、見た人を感動の瞬間に回帰させるような写真を撮る為には、テクニックを向上させるための弛まぬ努力が必要となります。遠かったので上手く撮れませんでしたとは、口が裂けても言えません(笑)。プロフェッショナルとしてのプライドにかけて、今日ご覧いただいたような写真のクオリティはキープし続けないといけません。
―― うーん、舞台写真家、たいへんなお仕事ですね。ちなみに、飯島さんはコロナによるステイホーム中、どうして過ごされていたのですか。
大阪フィルの3月定期演奏会を無観客で配信してから、6月の定期演奏会まで、丸3ヵ月、家にいました。何もする事が無いので、家のバルコニーから夕陽を撮っていました。それがこの写真です。
 (c)飯島隆
―― おお、素晴らしいですね。この夕陽、家のベランダから見えるのですか。凄いですね。
 (c)飯島隆
これ、自分のiPhone7で撮ったものです。肉眼で見るよりは少し強調はしていますが。
―― ええ、iPhone7ですか。iPhone11や、カメラじゃなくて。
 (c)飯島隆
はい。撮った後に少し調性はしています。この山は六甲山ですよ。まあ、プロですからこのくらいは(笑)。
―― さすが舞台写真家、弛まぬ努力のなせる業ですね(笑)。飯島さん、今日は素晴らしい写真と素敵なお話、ありがとうございました。これからも感動の瞬間に回帰させる写真を、よろしくお願いします。最後に「SPICE」をご覧頂いている皆さまにメッセージをお願いします。
人気のエンタメ特化型情報メディア「SPICE」でこのような機会を頂きまして、ありがとうございます。最後までご覧いただいた皆さまには、感謝申し上げます。新型コロナの影響でコンサートも思うように開催出来ない状況ですが、少しずつ以前のような素晴らしい舞台が戻って来ることを信じて撮影していきたいと思います。そして、皆さまに少しでも舞台写真に興味を持っていただけたら大変嬉しく思います。
コロナ禍で1年延期になってしまいましたが、来年には私の所属する日本舞台写真家協会の写真展も、東京と大阪で開催される予定です。是非、見に来ていただけたらと思います。いつもと勝手は違いますが、今月は大阪クラシックも開催されます。皆様と会場でお会いする事があれば、また感想などもお聞かせ頂けるとありがたいです。これからもどうぞよろしくお願い致します。
舞台写真家 飯島隆     写真提供:飯島隆写真事務所
取材・文=磯島浩彰

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