鈴木慶一がその才能を
満天下に示した歴史的傑作アルバム
『火の玉ボーイ』
ティン・パン・アレイも参加
肝心のアルバムの内容を以下、ザッと解説していこう。グレンミラー風のピアノイントロから始まるM1「あの娘のラブレター」はロックチューン。跳ねるピアノ、ホーンセクションが全体に躍動感を与えているのもいい感じで、間奏に入るVeto GalatiのラジオDJも実にカッコ良い。M2「スカンピン」は、はちみつぱい時代に存在しているリフをもとに作り上げたというミッドバラード。イントロで主旋律を奏でるシタールや、スペクター風に鳴るドラムにこだわりが垣間見える。M3「酔いどれダンス・ミュージック」は、はちみつぱいのシングル「君と旅行鞄(トランク)」のB面だった同曲のセルフカバーだ。Aメロの頭からヴォーカルのファルセットが飛び出すソウルフルなファンクナンバー。アウトロで鳴るバイオリンがいかにもアメリカンな雰囲気を醸し出しつつ、エンディングではさまざまな和楽器が鳴り、不思議な感じで締め括られる。
M4「火の玉ボーイ」は問答無用のブルースナンバーである。ギターと鍵盤の流麗なプレイ、リズム隊のグルーブ、ブラスアレンジ、コーラス──どれをこれも震えるほどに素晴らしい。タイトルの“火の玉ボーイ”とは、この楽曲でベースを弾いている細野晴臣氏のことだそうで、だとすると《真夜中のスタジオで/あいつを見つけたら/サーチライトあてて 火の玉ボーイ/疲れた顔して去ってゆく/夜明けのほうへ》とのフレーズにはユーモアが感じられ、当時の細野氏の仕事っぷりを鈴木氏がどう見ていたのかも偲ばれて楽しいところでもある。M5「午後のレディ」はジャジーな鍵盤とウッドベースが印象的な洒落たナンバー。背後でずっと鳴っているバイオリンがポップさを与えているような気もする。A面はここまで。ちなみにA面=Side Aは“City Boy Side”なる呼称が付いていたが、それも納得の空気感である。
作曲家、歌手としてのすごさ
M9「髭と口紅とバルコニー」はカントリーロック調のサウンドではあるものの、メロディーは和風──誤解を恐れずに言えば、戦後の流行歌のような味わいがある。鈴木慶一というアーティストの本質には、ポピュラリティー、親しみやすさがあることをうかがわせるナンバーでもあろう。フィナーレであるM10「ラム亭のテーマ~ホタルの光」は、M6の「ラム亭のママ」の本来のテンポに誰もが知る「ホタルの光」をつなげてある。誰もが知る…と言っても、レトロチックな面白いエフェクトがかかっていて、これも誤解を恐れずに言えば、何か奇妙な感じで終わる。
本当にザッと解説してしまったけれど、このアルバムは細かい部分を指摘していくとキリがないところがある。例えば、M2「スカンピン」の後半でゲップしている音が聴こえるがそれは鈴木氏のものだとか、M9「髭と口紅とバルコニー」では“この曲にはこの人の声が合う”ということで斉藤哲夫、南佳孝にコーラス参加を依頼したとか、そんな具合だ。この辺は『火の玉ボーイ』のリイシューのライナーノートに詳しく、どんなシンセを使ったとか、効果音をどうやって作ったとか、それこそどんなふうに作曲したのかとかも、鈴木氏本人が解説しているので、興味を持った人はそちらをお読みいただけたらと思う。この駄文の何倍も音源を楽しく聴けるガイドである。なので、細かいところはそちらに譲るとして、今回『火の玉ボーイ』を聴いて気づいた点を最後に少し触れて本稿を締め括りたい。
それは──改めて言うことではないのかもしれないけれど、日本的なメロディーと、鈴木慶一の歌のうまさである。メロディーに関しては、上記のM9「髭と口紅とバルコニー」でも指摘したが、M2「スカンピン」やM3「酔いどれダンス・ミュージック」もそうで、そののちに鈴木氏がクレイジーキャッツなどへのリスペクトを公言したこともよく分かるというか、ここでも原型を見る想いである。歌のうまさについては全編がそうなのだけど、白眉はM6-1「地中海地方の天気予報」だろう。低音からハイトーン、ファルセットまで、様々な表情のヴォイスパフォーマンスをこなしている様子は天晴れと言うべき代物だろう。このコラムの冒頭で氏のさまざまな活動を紹介したように、鈴木慶一は多彩な才能を発揮している音楽家ではあるのだが、そもそもソングライターとして、シンガーとしての能力が半端ない人であることがよく分かる。『火の玉ボーイ』は鈴木慶一のデビュー盤にして、その天賦の才を満天下に知らしめた作品と見ることもできるだろう。
TEXT:帆苅智之
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