“今が一番いい”って
俺は常に思ってる
TAISEIさんはソロプロジェクトとしてやっていたSAと、バンドとして始めたSAの違いをどう感じていましたか?
TAISEI
まったく違うよ。バンドは4人でどう見えるかってことを常々考えてるからね。それに対して、ソロの時は自分がどうかっていう考え方だからさ。他がどうあってもどうでもいいというか、まず俺っていうキャラクターを全面に出そうとしてたね。“SAのTAISEIがいる”っていうのを念頭に置いていて。それから“SAってすげぇぞ”ってなったところで満を持してバンドでいこうって思ってて。だから、メンバーも総取っ替えでいったもんね。年を跨いだら今までのメンバーを全員替えてたから、ずっとSAを観てくれてた人は“誰だ!?”ってなっただろうね(笑)。
NAOKI
あの時も早かったね。今回もドラムがMATCHANになってから、すぐに50本以上のツアーを組んだし。
TAISEI
そういうのが好きというか、ズルッといきたくないんだよ。だから、MATCHANが入った時もすぐにライヴをやったんで、もう前のSAをみんな覚えてないの。今はこれがSAだし、俺はそうじゃないとダメだと思ってる。
2001年の時にバンドとして新たなSAを打ち出して、2019年にMATCHANさんが入った時にも同じスタンスを貫いてるってすごいことだと思います。カッコ良いし、メンバーひとりひとりの意志が揃わないとできないことなので。
TAISEI
ピンチになると力が出るんだよ。“やったるぞ!”みたいな。
MATCHANさんにとって加入する前のSAはどんなバンドでしたか?
MATCHAN
パンクロックの中でも異常に演奏力が高いバンドっていうのはずっと念頭にあったし、いわゆるバンドマンがバンドをやるのとは違って、ミュージシャンがバンドをやっているという印象でしたね。あとは、みんなが見た目ほど怖くないっていう(笑)。めちゃめちゃ厳ついんですけど、喋ってみるとすごくやさしいっていうのを知らいない人が意外に多いなって。
MATCHAN
だから、周りの人には“SAでいじめられてない?”ってよく心配されましたね(笑)。いつも“超楽しいよ”って返してます。
加入する前は演奏力の高さが印象的だったところから、初めて一緒にスタジオに入った時にはビビッときた感覚が一番の決め手になるという。
MATCHAN
やっぱり気持ちだったんでしょうね。人と人が出会うのって最高のタイミングがあると思うので、それがまさに重なったんだと思います。そういうふうに生きてこないといい音は出てこないと思うんですよ。特に自分と響き合うのって自分と似たような何かを経験してる人だと思うので、そこでいろんなものが重なるというか。
SAになる前からそれぞれの音楽活動があったと思いますが、振り返ってみて転機や大きな出来事を挙げるとしたら何ですか?
TAISEI
俺はSAを始めたことだよね。特にMATCHANが入ってからがでかいと思うよ。50超えてまた何かを始めるっていう。どこかで諦めじゃないけど、“これでいいかな”ってなってもおかしくないと思うんだよね。ある程度の名前もあってさ。でも、“まだ上に行きてぇ”って思えてるのはMATCHANが入ったからだと思うよ。それは常にそうなんじゃない? “あの時が良かった”というより、“今が一番いい”って俺は常に思ってる。
KEN
俺はSAがバンドとしてスタートした時が、まさしくそうだと思う。あのままSAというバンドに出会ってなかったら、俺は音楽を辞めてたでしょうね。辞めてたか、傍らでいいっていう気持ちになってたかもしれない。そういうタイミングでSAにバーン!と出会ってしまったんで、どう考えてもそれがターニングポイントです。これからもSAの中でいろいろ起きるでしょうけど、それも楽しみだし、今、すごく気持ちが自由ですよ。
NAOKI
まぁ、全部ですよ。COBRAやLAUGHIN' NOSEをやってなければSAとも会わないわけだし、その都度の運命に引っ張られながら、その過程の中で出会っていくわけだからね。でも、最終的にはSAで19年になるっていうのが全てだと思うよ。やってきたバンド年数の半分以上は全部SAだから。全部のバンドで駆け抜けたと思うし、やり尽くした想いもある程度あるけれど、それを全部上回る長さになったのはSAだから。そうじゃないと毛も立て続けないしね。どこかでビジュアル系みたいにある程度の年齢になったら寝かしてもいいんじゃないかって甘えが生まれるだろうに、何か甘えを許さないものがあるんだよ。やっぱり俺らみたいなバンドは吠えていないとダメだっていう気負いがあるし、“Fuck J-POP!”みたいなのは常に思ってる。それをずっと持たせてもらってるっていうのはすごいよね。このメンバーがいるからそういう気持ちになれてるんだと思う。全ては19年前のあの日から始まったんだなって、本当にね。
MATCHAN
僕は前のバンドを辞めてSAに入るっていうのが完全に転換期だったと思います。音楽の楽しみ方やバンドに対しての想いが180度別物になったので。
では、それぞれのキーパーソンとなる人物を挙げるとしたらどなたですか?
TAISEI
俺は先日亡くなったリトル・リチャードかな? あの人の映像を観て、ロックというか、歌うことでこういう表現があるって知ったから。だから、パンクってカテゴリーの人っていうよりは、ロックンローラーの人のほうがプライマルで、原始的で、エネルギッシュで…俺は“歌”ってものに関してはそういう影響があるね。50年代のロックンローラーを見るとパンクロッカーが弱っちく見えるし、圧倒的に強いって思うんだよな。
NAOKI
本当のことを言うとひとつに絞れないです。いろんな出会いがあったから多すぎて。
TAISEI
俺で言うと、THE STAR CLUBのHIKAGEのアニキもな?
NAOKI
そうだね。最初にTHE STAR CLUBのレーベル“CLUB THE STAR”から出たっていうのもそうでしょ?
TAISEI
うん。あの人のレーベルがなければ俺はここに立ってないからね。
NAOKI
中学の同級生だったメンバーと高校に入ってからCOBRAを結成したけど、それでLAUGHIN' NOSEから電話がかかってきて“東京に来い”って言われるところから始まるからね。そうじゃなかったら俺はずっと尼崎でバーテンをやってたと思うもん。東京に行くなんて発想はなかったよ。それなのに35年もいるからなぁ。やっぱりその都度に転機があるけど、最後のキーパーソンはやっぱりTAISEIだよ。彼が“辞める!”って言うまで俺は一緒に拳をあげたろうって思ってるし。で、それに賛同してくれるコムレイズ(ファンの呼称)がいてね。コムレイズっていうのは最高に可愛いんですよ。
KEN
もう同じですよ(笑)。メンバーとコムレイズ、それだけですね。いろんなきっかけがあるからそれを言い出しちゃうときりがないけど、過去を振り返って一番に出てくるのはこのふたつだし、いつもそう思ってます。
MATCHAN
僕は16の頃からいろんな人とバンドをやっていて、だいたい年上の人とやってきたから、最高で20個上の人もいて…ドラムがうまくなりたいっていう気持ちはあるけど、有名になりたい気持ちは全然ないままいろんな人に出会って、影響を受けてっていうのをひたすらに繰り返して今の自分があるので、今までいろいろ教えてくれた人たち全部のアドバイスで僕はできているんですよ。だから、僕はその人たちがキーパーソンですね。
最後にSAにとってのキーパーソンは?
TAISEI
コムレイズだね。19年もやってりゃライヴに来なくなった奴も新しく来た奴もいるけど、全部引っくるめてコムレイズ。そいつらの顔を観てたら、何かやれるんだよね…背中を押されるんだよ。それがでかい。地方に行ったら50人しかいなくても、その50人の顔が観れるしさ。そこしか考えてなかったと思うよ、俺は。ファンしか見てなくて、あとの奴らはどうでもいい。そういう意味では、俺は誰かの助言なんて聞く耳を持たないけど、この19年は“こいつらを楽しませるにはどうするか?”しか考えてなかったと思う。うーん…ちょっとカッコ良すぎるね?(笑) でも、これはメンバーみんな同じ気持ちだと思う。
取材:千々和香苗