ポーラ美術館『モネとマティスーもう
ひとつの楽園』開幕 オンライン会見
で知るふたりの楽園

展覧会『モネとマティスーもうひとつの楽園』が、ポーラ美術館(神奈川県箱根町)で6月1日(月)から11月3日(火・祝)まで開催されている。同館は6月18日(木)に本展のWEB記者会見を行い、学芸員とともに展示室を巡るオンラインのギャラリートークを配信した。解説は、モネのセクションを学芸員の工藤弘二氏が、マティスのセクションを近藤萌絵氏が担当した。開催にあたり近藤氏は「モネとマティス、この2人の画家は、年齢は30歳ほど離れ得意とした主題も異なる。しかし深いところで通じあう共通点がある。それを紹介できれば」と語った。
ギャラリートークでは、モネのセクションとマティスのセクションを交互に鑑賞しながら、ふたりが「楽園」に何を求め、どのように楽園を創り上げ、いかに作品に落とし込んでいったのかが紹介された。オンラインでの視聴内容から、展覧会の見どころを紹介する。
『モネとマティスーもうひとつの楽園』 展示風景 (c)Ken KATO
モネの庭、マティスの部屋
19世紀から20世紀にかけてフランスは、急速な近代化や度重なる戦争など社会が混乱した状況にあった。その中から美術や文学では「ここではないどこか」への憧れが表現されるようになった。本展では、これに「楽園」という言葉をあてている。エントランスでは2枚の大きな写真が来場者を迎える。モネとマティスそれぞれの「楽園」を撮った写真だ。
(c)Ken KATO
モネの写真は、ジヴェルニーの邸宅の庭。《睡蓮》で有名な池があり、奥には太鼓橋がみえる。モネは庭師を雇い、自身で花の種類や色の指示を出しこの庭をつくり上げたのだそう。工藤氏は、邸宅も庭も含めた敷地がモネの理想的な環境であり「楽園」であったと語る。
マティスの写真は、アパルトマンの室内で撮られたもの。テキスタイルや調度品が空間を埋めている。マティスは絵画のモデルの衣装も自作したという。自分の思い通りの空間を部屋の中につくり、自分だけの「楽園」の中で創作に向かったと言える。
モネらしさは、近代的なモチーフの中にも
急速に近代化が進む中、当時の画家たちにとって、同時代の出来事や新しく生まれたものは一つの画題だったという。モネも煙を出しながら走る列車や、煙の向こうのサン=ラザール駅舎、工場の煙突などを含む風景画を描いている。このような近代性をもつ絵画の中にも「モネらしさがみられる」という。
「モネは『光の画家』と言われ、煙や水、霧など光を媒介するものをよく描きます。列車を描いた絵でも煙に焦点が当たっている点がモネらしいです」。
(c)Ken KATO
この頃から鉄道の発展により市民も気軽に旅行ができるようになり、モネもフランス各地を旅した。景勝地のエトルタで描いた絵画からは、同じモチーフをくり返し描く“連作”につながる態度をみてとれる。その1点は海沿いの断崖を北東から描いた《エトルタの夕焼け》。もう1点は同じ断崖を南西側から描いた《アヴァルの門》だ。
「モネは良いポイントを探して辺りをウロウロ移動していたことが分かります。年代が下ると、同じ場所・同じ構図で連作を描くようになります。この時期の創作が同じ場所を描くことで違う光の効果を探す態度に繋がっていきます。そのようなモネの制作の経過を伺うことができます」
クロード・モネ《ポール=ドモワの洞窟》1886年 茨城県近代美術館
マティス、こだわりの部屋
マティスは若い時期に、モロッコやアルジェリアなどを旅行し、買い集めたものをアトリエに蓄積して、色々なモチーフを組み合わせ自分の理想的な空間を作っていったのだそう。マティスが特に重視したモチーフが、テキスタイルだと近藤氏は解説する。異国の織物は、エキゾチックな情景を演出する役割も担っていた。
(c)Ken KATO
マティスに影響を与えた存在として、本展ではピエール=オーギュスト・ルノワールについても触れている。マティスとルノワールは、旅の経験からエキゾチックな情景を創作に取り入れている点、そして「女性像」を得意とし力を入れていた点で共通している。
「マティスは最晩年のルノワールに、実際に会いに行っています。作品を見せてもらったり自分の絵を見てもらったり、師のように尊敬していました」
ピエール・オーギュスト・ルノワール《休息》1916-1917年 ポーラ美術館
「マティスはルノワールから女性の体の表現について多くを学びました。マティスはテキスタイルを組み合わせて自分好みの空間をつくりましたが、これもルノワールの影響だと指摘されています。ルノワールは《休息》において、テキスタイルや調度品で心地よく親密でエキゾチックな空間を作りました」
展示室ではルノワールの《ロバに乗ったアラブ人たち》も紹介されている。マティスがルノワールから引き継いだ要素を、意識しながらの鑑賞も楽しみたい。
モネ、ジヴェルニーと積みわらと水辺
都市から距離をおくようになったモネは、パリ郊外のジヴェルニーに移り住み、のこりの生涯を暮らした。連作《積みわら》は、ジヴェルニーの邸宅の近くにあった農園で描かれたものだ。モネは同じモチーフを同じ構図で固定し、季節や時間帯を変え、光の微細な違いを表現することを追求した。北フランスの繊細な光が、そのような試みを可能にしたと考えられている。
クロード・モネ《ジヴェルニーの積みわら》1884年 ポーラ美術館
ギャラリートークでは、後年の《睡蓮》につながる水辺の風景を集めたセクションも紹介された。水もまた、先述の煙と同じように光を反射し媒介するモチーフだ。
「モネは単に水辺の風景を描くだけでなく、水面にうつる現実の風景や、水面の下で水草がうねるような表現も描いています。水の奥底に広がる世界、水の表面にうつる世界、あるいはその両方を描こうとし、モネの作品は複雑化していきます。その後の睡蓮の連作ではどんどん水面にクローズアップしていきます」
(c)Ken KATO
マティス、南仏と窓とモデル
モネが北フランスのジヴェルニーの環境から影響を受けたのに対し、マティスは1917年に、南仏ニースにたどり着きホテルで暮らし始め、1921年からは市内のアパルトマンで生活をした。マティスは「ニースのまぶしいほどの強い光に照らし出される色の鮮やかさに感激し、強くインスピレーションを受けました」。そして強烈な眩しい光の表現に、黒を使うことにも挑戦した。
(c)Ken KATO
《窓辺の婦人》では、窓越しにニースの風景が見える。
「マティスにとって窓は、部屋の中と外、二つの世界を画面に再構成する作業が必要となる重要な課題であったため、マティスは窓を重要視していました」
ニースでは、マティスの晩年20年間を支えた、リディアという重要なモデルとの出会いもあった。マティスは「モデルはエネルギーの源」だと語り、モデルを前にした時の自分の感情を大事に制作するスタイルだった。《鏡の前の青いドレス》に描かれている女性がリディアだ。
アンリ・マティス《鏡の前の青いドレス》1937年 京都国立近代美術館
「右手に鏡がありリディアの姿が映っています。窓と同じように、鏡も2つの世界を再統合・再構築する重要なモチーフでした。見どころの多い絵ですが、ぜひご覧いただきたいのがドレスのすその部分です。青色の絵具を掻き落とし、下の白さを露出させ模様を描いています。マティスの制作の生々しい痕跡を見ることができる貴重な作品です」
睡蓮で追求した自分だけの光
ギャラリートークは《睡蓮》の展示室へ。パリのオランジュリー美術館には特大の《睡蓮》を展示する2つの部屋がある。2室はどちらも楕円形の白い部屋で、合わせると8の字を倒した形となっている。ポーラ美術館ではこれを模して、6点の《睡蓮》を白い壁の楕円の展示室で紹介する。
(c)Ken KATO
「水面に外の世界が反映している。目を凝らすと水面下も描かれている。《睡蓮》は、水にまつわる表現を範囲を限定することで追求した連作です。ジヴェルニーの地はモネにとっての楽園。それを絵画に描き自分なりの新しい光を付け加え、もう一つの楽園をモネ自身が描き出したのでは」と語り、モネの展示を締めくくった。
クロード・モネ《睡蓮の池》1899年 ポーラ美術館
クロード・モネ《睡蓮》1907年 アサヒビール大山崎山荘美術館
よい肘掛け椅子のような芸術を
最後にマティスが理想とした芸術の姿を見ていく。
「マティスは若い頃『私が夢見るのは、心配や気がかりの種のない、良い肘掛け椅子のような芸術』と理想を語る言葉を残しています。この思いは晩年の作品にも貫かれています」
1941年、マティスは大病の診断を受け、大手術により体力を大きく消耗した。第2次世界大戦が激化していく時期でもあった。そんななか、1943年に描かれたのが《リュート》だった。
アンリ・マティス《リュート》1943年 ポーラ美術館
「マティスは苦しみを絵画に持ち込まず、常に幸福で明るい情景を描き続けました。その情景に理想像を持っていたからだと考えられています。マティスの芸術への姿勢が貫かれていることが伺えます」
大病後のマティスはベッドで過ごす時間が長くなり、カンバスに向かうことが難しくなった。すると、絵筆をはさみに持ち替えて、切り紙絵を創作するようになった。空と海をモチーフとした《オセアニア、海》(滋賀県立近代美術館)は幅4m弱✕高さ2m弱の大作である。マティスが切り紙絵をつくり、自分で指示して壁に貼っていたものを、そのままテキスタイルにしたものだ。展示室では包み込まれるような魅力を体感できるという。
アンリ・マティス《オセアニア、海》1946年 滋賀県立近代美術館
切紙絵の《ミモザ》は「助手によりグワッシュで着色された紙をマティスが切ったものです。紙の重なりやピンのあとも残り、マティスの息遣いを感じるような貴重な作品」である。配信映像では広報担当者がこの作品の大きさに驚いていた。
アンリ・マティス《ミモザ》1949年 池田20世紀美術館
ついに開幕した展覧会『モネとマティスーもうひとつの楽園』。新型コロナウイルスの影響により海外からの輸送ができず、来日が見合わせとなっている作品もあるというが、「現在も貸出館と連絡を取り続けています。1日でも早く世界的な状況が良くなり、皆様にご覧いただければ」とのコメントがあった。
モネとマティスがそれぞれに、自身の芸術を追求する場としてこだわり、つくりこんだ楽園に目を向けながら、ポーラ美術館で名画を楽しんでほしい。
(c)Ken KATO
文=塚田史香、写真=オフィシャル提供

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