【忌野清志郎 リコメンド】
“ザ・キング・オブ・ロック”が
シーンに遺したもうひとつの側面
反体制的、反社会的だけではない
ユーモアセンスあふれる歌詞
最後に本作からうかがえる歌詞の特性について触れておこう。清志郎の歌詞と言うと、それをよく知らない人たちにとっては、先鋭的というか、エキセントリックというか、誤解を恐れずに言えば、反体制的、反社会的なことをアジってるイメージがあるかもしれない。それも間違いではないだろうけど、もちろんそれだけでないし、実はその要素は清志郎の歴史において大した分量ではない。それがこうして作品を詳らかにすることでよく分かる。「あの娘の神様」「恩赦」「ライブ・ハウス」などの内容、表現の一部にシニカルであったりアイロニカルであったりするものが見受けられる程度である。思えば、清志郎によく似ている人物が率いたTHE TIMERSではそれが色濃く出ていたし、その過激なパフォーマンスが目立っていたことは間違いないけれども、膨大な清志郎のアーカイブの中ではほんの一部に過ぎない。
何しろ、THE TIMERSはスタジオ録音のアルバムを一枚しか残していないのである。RC SUCCESSION時代に目を転じても、リリース直前で発売中止となった『COVERS』(1988年発表)は物議を醸したが、問題と言われた反原発をテーマとした楽曲は一曲しかない。つまり、清志郎の書くリリックの大半は反体制的、反社会的などではなかったのである。本作も同様で、歴代のシングルを順番に網羅したことで、そうした清志郎本来のスタンスが分かるような気がする。無論、“本作はシングル集ゆえに過激な清志郎がほとんど出ていないのでは?”というご指摘もあろう。分からなくもない。しかし、逆に言えば、シングルで反体制的、反社会的な面を出してこなかったということは、忌野清志郎というアーティストが案外常識的というか、粗暴なアジテーターなどではなかったことの何よりも証明ではないだろうか。本作収録曲の歌詞はほとんどが他者を希求する愛にあふれたものであるし、随所にユーモアセンスも感じられる。加えて言えば、タイアップ曲も多い。
THE TIMERSでは清志郎に似た男が企業を揶揄すること場面もあったように思うが、清志郎自身が企業の意図を汲んだかどうかはともかく、実際CMで使用されているのだから、そこではしっかりとシェイクハンドしていたことは間違いない。こうした側面からも“アーティスト・忌野清志郎”を考察できるのが、今回の『忌野清志郎COMPILED EPLP~ALL TIME SINGLE COLLECTION』である。 “RC SUCCESSION・忌野清志郎デビュー50周年記念企画”の金看板は伊達じゃない。
何しろ、THE TIMERSはスタジオ録音のアルバムを一枚しか残していないのである。RC SUCCESSION時代に目を転じても、リリース直前で発売中止となった『COVERS』(1988年発表)は物議を醸したが、問題と言われた反原発をテーマとした楽曲は一曲しかない。つまり、清志郎の書くリリックの大半は反体制的、反社会的などではなかったのである。本作も同様で、歴代のシングルを順番に網羅したことで、そうした清志郎本来のスタンスが分かるような気がする。無論、“本作はシングル集ゆえに過激な清志郎がほとんど出ていないのでは?”というご指摘もあろう。分からなくもない。しかし、逆に言えば、シングルで反体制的、反社会的な面を出してこなかったということは、忌野清志郎というアーティストが案外常識的というか、粗暴なアジテーターなどではなかったことの何よりも証明ではないだろうか。本作収録曲の歌詞はほとんどが他者を希求する愛にあふれたものであるし、随所にユーモアセンスも感じられる。加えて言えば、タイアップ曲も多い。
THE TIMERSでは清志郎に似た男が企業を揶揄すること場面もあったように思うが、清志郎自身が企業の意図を汲んだかどうかはともかく、実際CMで使用されているのだから、そこではしっかりとシェイクハンドしていたことは間違いない。こうした側面からも“アーティスト・忌野清志郎”を考察できるのが、今回の『忌野清志郎COMPILED EPLP~ALL TIME SINGLE COLLECTION』である。 “RC SUCCESSION・忌野清志郎デビュー50周年記念企画”の金看板は伊達じゃない。
文:帆苅智之