小泉今日子がオンリーワンの
アイドルなことを
証明するアルバム
『今日子の清く楽しく美しく』
デビュー前の久保田利伸も参加
《あの日「スター誕生」で/石野真子さんの歌を/少し音程外(はず)して/審査員達の/視線を釘づけ》《営業スマイルなんて/死んだって できないし/スタッフに内緒で いきなり/スースーするほど/刈り上げちゃったわ》《ずっと変わらずにいたい/誰にも縛られたくない/私は私 自由に/生きてみたいだけ/面白ければいい いい》(M1「なんてったってアイドル(アナザー・ヴァージョン)」)。
演劇や映画で言うところの、いわゆる“第四の壁”(※註:物語の中のフィクションと現実世界のノンフィクションとの間にある目に見えない壁)を破っている気さえする。小泉今日子はのちにシングル「なんてったってアイドル」を指して、当時は[「またオトナが悪ふざけしてるよ」と]述懐したそうだが([]はWikipediaから引用)、確かにここまでくると、彼女自身というよりもスタッフが(この表現は適切ではないかもしれないけれど)完全に調子に乗っていたことも分かる。まぁ、それまでどのアイドルもやったことがない偉業を成し遂げたのだから余程イケイケだったのだろう。これ以外の“IDOL SIDE”では、当時の風俗や時代性を強調した歌詞が見受けられることも、そのイケイケ度合いが想像つくところである。
一方、“ARTIST SIDE”は、そのお調子に乗ったところがない分、普遍的とは言えるとは思う。何と言っても注目はM6「NUDIST」とM7「教会の前で」だろう。両曲とも作曲を久保田利伸が手掛けている。田原俊彦のシングル「It's BAD」(1985年11月)がデビュー前の久保田の作曲であることはわりと有名な話だと思うが、久保田のメジャーデビューは『失意のダウンタウン』(1986年6月)だから、M6、M7も巷にその名が広まる前の久保田作品である。共に今聴いても完全に“久保田節”とも言えるメロディー(と言うよりも“節回し”と言ったほうがぴったりくると思う)。はっきり言うと、それが小泉今日子に合っていたかどうかは個人的には微妙に思うが、ひとつの事象を解体して新たな事象を再構築する意味において、これもまたアイドルの脱構築のひとつと見ることができよう。それもまたこの時期の小泉今日子だからこそできたことだと考えると、そこもまた本作の味わい深さではであろうとは思う。
TEXT:帆苅智之