MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』
第二十ニ回目のゲストは谷中敦(東京
スカパラダイスオーケストラ)茨の道
だとしても「自分の道」を歩く方が楽
しい

MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』、第二十二回目のゲストは東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦。対談の冒頭で、アフロは2月28日に開催するはずだった中野サンプラザ公演の開催延期を決断したことについて反省をしたと話す。その理由はコロナの危険性どうこうよりも、決行した場合に世間がどう思うかを気にした自分に情けなさを感じたから、という。今、ライブを決行するか否かについては金銭的な問題、チケット購入者への配慮、それに加えて社会的評価も考えなければいけない。アーティストにとって今まで当たり前だった人前で歌うという行為がリスクの高いものになっている。しかし、対談の終盤でどのような意思で開催の決断を、人生の判断を下すべきかの答えを見つけることになる——。今回の対談は人生の選択を迫られた時、どのような道に進むべきかのヒントに繋がっているはずだ。
●「やったらどういうふうに思われるんだろう」という考えになってい自分が情けないなと思って●
アフロ:先日、代々木第一体育館の公演中止を発表されましたけど、決断するまでにかなり悩みました?
谷中:結構悩んだ。残念だけどね。
アフロ:我々も2月28日に中野サンプラザでライブがあったんですけど、延期にしたんです。ただ、「やる」「やらない」の判断が「本当にコロナが危ないのか?」よりも「やったらどういうふうに思われるんだろう」という考えになっていた自分が情けないなと思って。
谷中:今の世の中それはしょうがないんじゃない? 色んなことを言う人は多いし、そもそも突っ張ってやることじゃない気がするんだよね。
アフロ:自分は散々悩んでライブをやらないと決めたくせに、いざ延期にするとライブをやっている人たちを見て否定的な事ばかりが浮かんできて、要するに、それは相手に対する嫉妬なんですよね。
谷中:そういう気持ちってあるよね。でも正直に言えるのは、すごいことだと思うよ。
アフロ:自分の立場によって意見が変わると思うんです。同じくライブを中止・延期したミュージシャンと話しているとやっぱり「この状況で開催するなんて有り得ない」なんて言うんですけど、それは開催した人に対する嫉妬もあるんじゃないかなと思って。俺がそういう弱い人間なので。自分の弱さが浮き彫りになる機会でもありました。
谷中:そうやって自分の発言や考えがどうだったのかを一々考えるのは面倒だし、体力の要る作業だと思うから、反省できるのは素晴らしいと思うよ。
アフロ:前向きに着地させていただいて、ありがとうございます。「起こった出来事を何かしら飯の種にしなきゃいけない」という貧乏性なところがあるので、自分の行動を振り返ることは多いかと思います。
谷中:批判の話でいうと、前に泉谷しげるさんが震災周りのイベントで色んなところへ出て行ったら「そうやって顔を売ろうとしているんじゃないか?」と周囲から言われたらしくて。その時に泉谷さんは「顔を売る仕事だから」と言い切って、本当にその通りだと思った。そりゃあ、そうだよね。顔を売って仕事しているんだもん。別に偉そうに出て行ってるわけでもなくて。
アフロ:りんご畑の支援活動に参加したことで考えが変わりました。その時、俺は特に音楽活動をやっている事を言わずに本名を名乗って作業をしてたんです。でも休憩の時にジュンさんが「MOROHAのアフロくんが来てくれてます」と皆に言った時、一部の方はMOROHAを知ってくださっていたみたいでそれによって微力ながら、士気が上がった様子を目の当たりにしたんです。……っていざ口にすると「思い上がりだよ!」って思いますけど……とはいえ我々の職業は、自分たちの持っている力をすべて捧げることであって。ボランティア活動で言えば、顔を出さないことというのは「捧げきっていない感じ」というか。
谷中:うんうん、使えるものは全部使ったほうが良い。しかも良いことの為に使うなら尚更そうだよ。
アフロ:それをすごく感じましたね。「売名行為だ」と言う人たちもいる前提で、周りのミュージシャンは名前を出してボランティア活動をしていたんだなと。
谷中:それで盛り上がれば良いことだよね。自分の身にとってみても、憧れている人が来てくれたらやる気が出ると思うもん。
●人生とは、美しいアルバムではなく、撮れなかった写真だと思う●
アフロ:谷中さんと初めてお会いしたのが『GUNMA ROCK FESTIVAL』なんですけど、挨拶に行った時はまさに自分の中で士気が上がりました。当時、谷中さんが出演されていた『世界は言葉でできている』というフジテレビの番組を大好きで観ていたんですよ(※古今東西の偉人の名言を穴埋めで出題される。解答者は空欄の箇所を「当てる」のではなく「超える」名言を提案する新感覚バラエティ番組)。それもあって、お会いした時は嬉しかったです。
谷中:あの番組は面白かったよね。
アフロ:谷中さんの解答で忘れられないのが「人生とは、美しいアルバムではなく、撮れなかった写真だと思う」という一文で。あの言葉をいろんな場面で思い出すんです。自分なりに紐解くと、今回の代々木公演の中止を発表した時の文章とか、これからライブを再開した時のステージで発する第一声っていろんな人が注目してて、これは「撮られる写真」だと思うんです。だけど「撮れなかった写真」というのは、「ライブを中止にしようか、どうするべきだろう」とニュースを観ながら悩んでいる谷中さんの様子、それを含む裏側で起きた出来事を指すんじゃないかなと。ただ、そういうシーンを我々は歌詞で書くことができる。曲にすることによって、表に出なかった姿を他人と共有するのが俺らの仕事だと思うんです。例えば、ライブが思うように出来なかった日に、片道8時間をかけて帰った車中のこととか。
谷中:うんうん。
アフロ:だからこそ「人生とは、美しいアルバムではなく、撮れなかった写真だと思う」は俺の中で大事な言葉として受け止めてます。何も無駄なことなんてないんだ、と。
谷中:『世界は言葉でできている』が終わって、7年経ってからその言葉を歌詞にしようと思った。それがエレファントカシマシの宮本(浩次)くんに歌ってもらった「明日以外すべて燃やせ」という曲で。最初は今と違う歌詞で歌っていたんだけど、最後になって「やっぱり、あのフレーズを出してこようかな」と思って「人生は美しいアルバムじゃない」の歌詞を携帯電話で録音して宮本くんに送ったの。そしたら、宮本くんは「前のより、こっちの方が良いですね」と返信してくれた。……とはいえ、番組の中で一度使った言葉だし、それを歌詞で使うのはどうかな?と悩んでいて。結局レコーディング当日は違う歌い出しにして、それでOKになりかけたんだけど、宮本くんが「あの……「人生は美しい」で始まる歌詞の方で、ダメ元で良いんで!1回歌わせください!」と逆にプレゼンをしてくれて。結果、今の歌詞をOKテイクに決めた。コラボレーションしたお相手が最後の後押しをしてれたことが嬉しかったし、良い思い出になったね。
アフロ:宮本さんの気持ちを想像するのはおこがましいですけど、きっとその歌詞に重なる想いがあったんでしょうね。良いなぁ、良い話だな。
谷中:そこにまつわる話でいうと、元々自分が歌詞を書き始めたキッカケが携帯電話で、それまでタイプライターとかパソコンを持ってなくて。2000年に初めて携帯電話を買った時、自分の打った文字が活字になって画面に出てくるのが嬉しくて、いろんな文章を書いては友達にメールするっていうのをよくやってたの。当時、俺らはヨーロッパ・ツアーとか、いろんな場所を飛び回ってまさに旅の真っ只中にいて。そういう時に「自分の感じたことや見た景色を人に伝えたいな」と文章にして友達にメールしてたの。あの頃は写メール機能もなかったから、本当に文章だけを。
アフロ:じゃあ、旅先の写真を送るような感覚で文章を書いて。
谷中:そうそう。まさに絵のない絵はがきみたいな感覚だね。最初は手紙を代用した文章だったのが、読んでいる内に「これは歌詞みたいだな。じゃあ題名もつけてみよう」と。そこから歌詞に変わっていったんだよ。昔からずっと思っていたのが学生時代の思い出って、写真に残っていたりするじゃん。でも、その1枚を手掛かりに当時のことを思い出さないといけないのは勿体無いし、写真に甘えて他のことを忘れてしまう気がして。「だったら撮らないほうが良いや」と思ったし、それを写真じゃなくて詞にして残しておくと、その時の思い出を想像しやすいかなと。それで詞を書き始めたのもあるかな。
●普通に1人の男になれるのは新橋の飲み屋さんだけかもしれない●
アフロ:「写真に甘えて」というのはパワーのあるフレーズですね。写真は画で残っているから、たくさん説明されすぎている。確かに、情報が多すぎるというのは、そこに甘えてしまう気がしますね。
谷中:うん。写真だと、そこに写っている以外のことを思い出さなくなるのかなと。人って、つい楽な方に流れちゃうと思うんだよ。例えばカテゴライズもそうだけど、世の中に次々と新しい音楽や映画が生まれても、「ああいう系の作品」ってどこかのジャンルに分類されがちだよね。そうやって既存の枠に当てはめた方が世の中的には楽だから。でも、新しく出てくる人は、分類されたくないと思って作品を作っているわけで。
アフロ:だけど世の中は分類したがる。
谷中:そこはアーティストと世間の戦いだと思う。人間にしても4タイプに分けて、その中で「あの人はこういうタイプだ」と捉えている人が多いのかもしれない。
アフロ:血液型で分けようとする人もいますからね。
谷中:それもあるし、友達が新しくできてもどこかに分類して済ましちゃう人もいると思う。だから1人1人に対して「この人はこういうタイプね」と分けるんじゃなくて、新しいカテゴライズを1つ見つけるような気持ちで向き合う方が良いなと思って。例えば、俺が「今日はラッパーの方と対談をします」となって「じゃあ、Zeebraと話すようなものか」と思ったら両方に失礼な話じゃん。「MOROHAのアフロさんと話します」という、アフロさんの居場所を心の中に作るつもりで新しく会話を始めたいし、そこからしか何かが生まれない。短絡化させたくないんだよね。……まあ、写真の話から逸れちゃったけど。
アフロ:それにはハートの強さが必要で。やっぱり分類すると、ちょっと安心して接することができるのかもしれないですね。例えば、後輩のポジションで話している方が楽とか、そういうのは俺も身に覚えがあるかもしれないです。
谷中:そうだね。お酒が好きなのは、そういうところを離れて1人の男として話すことができるからで。新橋でサラリーマンが1人飲んで帰るって、何が面白いんだ?と思うかもしれないけど、あの空間だけは1人の男なんだなと思って。会社では役職もあるし、役割もあるじゃん。で、家に帰ったら夫とかお父さんの役をやらなければいけない。会社でも家でも、それぞれ演じなければいけないとしたら、普通に1人の男になれるのは新橋の飲み屋さんだけかもしれないなと。
アフロ:肩書きを捨てられる場所、ってことですね。
谷中:だから1人で飲んでいるだけでも、癒されているんだろうな。
アフロ:「ステージに立つ者」という肩書きって、すぐ捨てられますか?
谷中:どうなんだろうね? 役者さんって役を与えられて、それを演じるわけだけど、ミュージシャンって半分演じているところがあるじゃん? 素の自分がそのままステージに出たら弱いよなと思った場合にちょっと変えなきゃいけない。「ステージ上ではこういう自分になろう」と。だから友達から見れば「あいつ普段と違うじゃん。カッコつけてるな」と思われかねない。でも、それを続けていくと、なりたい自分に近づけたりする。だから演じるのとはちょっと違うんだけど、自分のキャラクターを磨き上げていく作業をミュージシャンとかステージに立つアーティストはやってる気がする。
アフロ:つまり「性格は目指すもの」ということですよね?
谷中:そう、目指すもの。だから自分たちは素であって素じゃない。
●そもそも「相手のことが分からない」という前提があるんです●
アフロ:素の話でいうと「お酒を飲んでいる時が本当の自分だ」って意見がありますよね。
谷中:確かに「飲んでいる席で本音が出る」という人がいるけど、必ずしもそうだとは思わないんだよね。まあ、俺はお酒をやめて12年くらい経つけど。
アフロ:俺もお酒はあまり飲めないんですよ。
谷中:ホント? 飲めなくて全然良いと思うよ。
アフロ:やめようと思ったキッカケはなんですか?
谷中:一生分飲んだから、もう良いかなと。
アフロ:お酒の役割がその時はあったわけじゃないですか? その変わりとなっているのは何ですか?
谷中:お酒の役割ね……うーん。
アフロ:(食い気味で)あ、そうか! 谷中さんは、お酒がなくても酔っ払う域まで行けるようになったんですね。
谷中:あ、そうそう! それがお酒をやめる時の目標だった。「飲まずに泥酔を目標に生きていきます」と禁酒前はよく言ってた。昔はお酒を飲むとハッピーになって誰とでも喋っていたんだよ。お店の人とか、帰りの電車で隣に座った人、タクシーの運転手とかみんなが友達みたいな感覚になって。全員と連絡先を交換して家に帰るという、そんなことをよくやってた。お酒を飲むことで心をオープンにしていたんだね。
アフロ:酒を使って、そういう社交的な性格を目指していた。
谷中:目指すというよりも補助かな。他人と喋ることに照れがあったんだろうね。で、飲んでいる時はずっと喋っていて、しかも一番遠い席の人にも話しかけるようにしてた。1人でも黙っている人がいるとすごい気になって、その人の隣に座って「大丈夫?」と。
アフロ:なんかスカパラみたいっすね。
谷中:ハハハ。俺、北方謙三さんから勝新太郎さんと飲んだ話を聞いたことがあるの。2人は銀座のクラブへ行って、店に着くと勝さんが部屋中の人に向けてすごい面白い話を3、4時間ずっとするんだって。みんな大笑いして、ハッピーらしいんだ。それで勝さんがみんなの会計を払って「よし! 次の店行くぞ」と2軒目に移動する時、北方さんが気になって「あんなに良い話を何時間もして、場を盛り上げた上に全員の飲み代まで払って。勝さんは何が楽しいんですか?」と聞いたの。そしたら「俺は人に話を聞いてもらうために生きてる。楽しんでもらうために生きているんだ。自分が楽しむために生きているんじゃない」と言い切ったらしくて。それがカッコイイなと思ったし、憧れたところもあるな。
アフロ:大人数の飲み会だと、盛り上がっているテーブルと静かなテーブルがあるじゃないですか。基本的に俺の座っているテーブルは盛り上がらないんですよ。その原因は「お前と話してんだよ。他のことに気を取られてんじゃねえ」という俺の姿勢が伝わっているのかもしれないです。
谷中:じゃあ、大勢いる飲み会でも1対1で話したいんだ?
アフロ:無意識にそうなってます。だから4人席だとしても目の前の人と1対1になって。……言われてみれば、そういう会話ばかりをしてますね。ライブでもそうです。やっぱり、みんなと話すライブを一度もしたことはないですから。
谷中:じゃあMCをする時は、みんなに向かって話す?
アフロ:俺は相方のUKに向かって話してます。だから大勢に向かってではないんですよね。曲にしても、俺は俺に対して歌っているんですよ。「こう思ったことに対して、お前はどう思ってんの?」と俺自身に問いかけてる。
谷中:俺も「お前ら盛り上がってんのか!?」と言ってる時は、自分に対しても言ってるかな。
アフロ:そもそも「相手のことが分からない」という前提があるんですよね。ただ1人だけ会場の中に気持ちがわかる人間がいるとしたら俺しかいない。だから矛盾とか悩んでいることに対して、俺がその場を使って答えている。その姿を見て、お客が勝手に自分を重ねてくれている。それが俺らのライブなんだと思います。だけど、全体に対して語りかけるとしたら俺は何が言えるんだろうというのは興味がある。それが出来るようになりたいと思うのは、今やっていることと真逆だからですね。
谷中:やったことない試みは面白いかもね。
●勇気を出すためにお酒の力を借りるようになって●
アフロ:谷中さんは沢山の人と一緒に音を鳴らしているわけじゃないですか? スカパラの中で自分の役割はなんだと思います?
谷中:元々、スカパラの中で俺は中心人物じゃなくて、脇役みたいな感じだったね。年上のメンバーにクリーンヘッド・ギムラという人間がいて、その人は面白くて、将来のビジョンもあって、ユーモアもあって、男気もあって、すごくいい兄貴分だった。あの人の夢とかアイデアをたくさん聞いて、自分はどういうことをやっていけば良いのかを考えながら、バンドの中で自分の役割を勉強して得てきた。一方で、高校生の頃から友達の青木達之というメンバーがいて、その人もアイデアをいっぱい持っていて、気持ちも強かったし、スカパラの中では「ノーと言える青ちゃん」と言われていたの。「スカパラはみんな優しいけど、青木だけは先輩にもノーと言えるよね」と一目置かれているような人物だった。クリーンヘッド・ギムラと同じように青木もバンドを引っ張ってくれていたし、他所との交流関係も築いてくれた。しかも青木は仲良くするだけじゃなくて、YMOの高橋幸宏さんが大好きだから「一緒にやってみよう」とか、竹中直人さんが好きだから「ラップをしてもらおう」と仕事に繋げていってた。それに当時は、俺が遊びに行った先々で「スカパラの谷中です」と挨拶をするたびに「あ、スカパラの人? 青木さんなら知ってますよ」って、どこへ行っても言われていた。その時に「青木がいることで、スカパラがあるんだな」と思い知ったね。で、そんな青木が21年前に31歳で亡くなっちゃうんだ。亡くなった後にスカパラにとって良い繋がりだった部分も全部消えちゃうと思ったら、それは勿体ないなと。「じゃあ、俺が青木のやってきたことを代わりにやろう」と思った。とはいえ引っ込み思案な性格だったから、勇気を出すためにお酒の力を借りるようになって。
アフロ:それで沢山飲んでいたんですね。谷中さんはお酒をやめたわけですけど、今の生活の中で勇気が必要な場面ってあります?
谷中:人と喋るのは未だに勇気が要ると思うよ。あと音楽に関しても、勇気を出して向き合わないと腐っちゃうと思ってる。さっきのカテゴライズの話と一緒だけど、成功の事例になぞらえて何回もリピートしてやるのは、自分の中で成功を作るセオリーで。それはそれで良いんだろうけど、そこに頼ると創造性がなくなるし、何よりも自分が飽きてくる。
アフロ:前回のライブで上手くいったことを、次もやろうとしたら絶対に失敗しますもんね。
谷中:良かった自分をコピーしようとするんだろうね。レコーディングで演奏する時も、2回目以降は良かった部分をなぞっちゃうから、スカパラは1回目をOKテイクに使うことが多い。最初に良し悪しのラインが作られちゃうから、新しく何かを感じることは難しいよね。それに正しいこととか、正しくないことの区別も毎日変わっているとしたら、その都度自分で判断しなければいけないじゃん。今なんか、毎日基準が変わっていると思うんだよね。その中で新しい感覚を養っていかないと。
アフロ:一度作った曲の歌詞は基本的にずっと変わらないじゃないですか。曲に対して慣れが出てしまう事は怖い事ですよね。最近試してみて面白かったのが、自分の曲の歌詞を自分の筆跡で読みながらラップするのと、同じ曲を他人に書いてもらった筆跡で読みながらラップするのだと、浮かぶ景色やニュアンスがちょっと違ったんです。そう言った些細な工夫で新しく理解しようとしてますね。
谷中:面白い。確かに違う感覚を得られそうだね。
●その道を「自分で作っている感覚」があるかどうか●
アフロ:番組の発言もそうなんですけど、他にも谷中さんが言ったことで好きなのが「戦うように楽しんでくれよ」という言葉。「周りに習わなくて良いよ」という意味なのかなと俺は思ったんです。「楽しむ」ということが自分の表現なんだぞと。フェスの現場でよく見る「みんなと同じ振り付けで盛り上がれ」と真逆な気がしました。
谷中:「自分なりのやり方で良いよ」という。つまり受け身じゃなくて良いってことだよね。やっぱり自分が動いて獲得している気持ちの方が絶対に良いと思うんだよ。あのね、話が逸れているように聞こえちゃうかもしれないんだけど、スカパラメンバーとスタッフとでUSJに行った時にバイオハザードのアトラクションで、何チームかに分かれて端末を持ちながら、会場中を探索するゲームがあって。頭も使わなくちゃいけないし、足も運ぶし面倒なアトラクションだなと思った。だけど、すごい人気があるんだよ。「どういうことなんだろう?」と考えたら、自ら積極的に参加している時は充実しているんだな、と。逆に、ジェットコースターに乗っている方が不満が出るのかもしれない。何にもしてない分、他のことが気になったり不寛容な気持ちになったり。
アフロ:自分に決定権がないからこそ。
谷中:そうそう、参加しているから良いんだろうね。ライブ会場もそうだと思うんだよ。仕事のために乗らなければいけない気持ちで利用しているから、満員電車は大変だけど、ライブ会場は自分で選んで行ってるから満員でも我慢できる。だから「戦うように楽しめ」というのは、「自分で道を選んで進め」ということかな。
アフロ:自分で決めたという感覚があるかないかで、同じところにいても気持ちが違う。それは希望に満ちているなと思います。
谷中:そうなんだよね。2016年に「道なき道、反骨の。」という曲の歌詞を書いた時に考えたことがあって。自分が道を作っている時は汗をかいても、不都合なことがあっても、辛くても一生懸命やる。だけど他人が作った道を歩いていると文句が出る。「ここがボコッとしてるな」とか「歩きにくいな」とか、他人が作った道だから文句も出るわけなんだよ。もし、それが自分の作った道であり、尚且つ先の道も作っている途中だったら、その道が愛おしいし、そこの不都合も受け入れざる得ない。何なら、その不都合も楽しいのかなと。だから他人の道を歩くよりも、茨の道だとしても「自分の道」を歩く方が楽しいのかな。
アフロ:どの道へ行くかよりも、その道を「自分で作っている感覚」があるかどうか。
谷中:作っている実感は大事だと思う。逆に、他人の道を歩いてる時は文句を言わないようにするのも大事だよね。
アフロ:そうですね。作ってくれている人がいるってことですから。
谷中:それは本当に大事なことかもしれない。
アフロ:自分もコロナでライブを延期にしましたけど、「その判断は自分で決めたんだ」という気持ちを持つことで大きく変わっていくかもしれないですね。
谷中:そうだよ。自分で決めたんだもん。
アフロ:「国がちゃんと決めてくれよ」という声をたくさん聞きますけど、逆に言えばこっちが決められるんだと。「やっちゃダメだよ」と言われて延期したことよりも、「最終判断は各所に任せます」というふわふわした言い方で委ねられて「こっちがやらないと決めたんだ」という記憶として残っていた方がすごく前向きですね。変な言い方だけど、今回の件はありがたかったと思いたいっすね。そう思わないとやっていけないっすね。
谷中:うん。「自分で決めたんだ」ってね。
文=真貝聡 撮影=森好弘
取材撮影協力=eplus LIVING ROOM CAFE&DINING(〒150-0043 東京都渋谷区道玄坂2丁目29−5 渋谷プライム 5階)

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