鮎川 誠(シーナ&ロケッツ)

鮎川 誠(シーナ&ロケッツ)

鮎川 誠(シーナ&ロケッツ)
- Key Person 第4回 -

音楽に出会って、ギターに出会って
おかげで最高にハッピーです

SNSも使っていますもんね。

音楽が好きやけど、音楽にまつわるもの、出会わせてくれるメディアも好き。今はデジタルとアナログが共存しとるね。デジタルのありがたいことはいっぱいあるよ。レコード屋で探しても見付からない曲が、パソコンで検索するとすぐに見付かるし。いい音で聴きたいっていう究極の欲望もあるけど、とりあえずは“今聴く”っちゅうのがもっと大事なんよ。ちゃんと歌詞とメロディーとギターのラインが分かったら、多少は音が悪くてもいい。僕はラジオ育ちやし、そんなに豪華なステレオセットで聴いてきたわけじゃないから、手間が省けるっていうのも楽しんでるね。それとFacebookやらTwitterでみんなが言ってくれることから教わることもいっぱいあるし、出会うこともある。シーナ&ロケッツの映像もYouTubeにいっぱいあるけど、もう忘れた演奏もあって、“こんな番組出とったっけ?”ちゅうのを誰かが大切にアップしてくれたりね。今と過去が分け隔てなく楽しめるのはありがたいし、最高にいい。音楽に出会って、ギターに出会って、駆け足で50年経っとるけど、音楽のおかげで最高にハッピーです。

新しい音楽の楽しみ方も取り入れつつ、こだわりも変わらずに持っていらっしゃいますよね。

そうだね。僕はいっぱいこだわりがあるし、ギターもアンプも好きやし、ただ大きい音が出ればいいってもんやない。楽器はロボットみたいだけど、心があるし、生きものなんよ。スイッチを入れてピカッと電気が点くと真空管が温もってきて、ボリュームを上げると唸り出すんよ。僕は縁あってレスポールというギターに出会ってから、未だに69年製のギターをもう50年使いよるんよ。ロケッツを作った時が、そのギターを使い始めて10年目くらいやったかな。“もうすぐこのギターは故障するやろう”って思って二代目を探して手に入れたら、初代のギターがまたすごい頑張りよるんよ(笑)。“譲らん!”ちゅう感じなんよね。それで今日に至っとる。

音楽で出会った人がたくさんいると思いますが、鮎川さんにとってのKey Personはどなたになりますか?

うーん…日本の音楽を引っ張ってきた細野晴臣さんかな。細野さんの周りにもロックの歴史の中にいる人はたくさん存在するけど、ひとりってなると細野さんはとても頑張ってくれた。日本の音楽のリーダーやと思うし、象徴かな。僕たちは1stアルバム(79年3月発表の『Sheena & the Rokkets #1』)を作ったあと、次のアルバムがあとちょっとでできるってところで喧嘩して、みんな引き上げていったんよ。それでアルファレコードに細野さんが誘ってくれて、僕たちの活動が開けたやないけど、やっぱり恩人だね。内田裕也さんもそうかな。そのふたりがよく音楽でぶつかりよったんよ。本人たちが何かを言ったっちゅうわけではないけど、日本語のロックをやるか、英語で歌うかで周りが面白がってね。それだけ日本語でのロックがまだ新しかった。外国発祥のロックを日本語の歌詞で日本の曲を付けたっていう意味では、はっぴいえんどが実験したことは日本のロックを大きくしたきっかけなんだけど、その時に裕也さんと細野さんが引っ張り出されて、リスナーがいろいろ論争したり…それだけみんな真面目やった。今は思ったことを言ってもあんまりぶつからないし、何でもありって考えで、そんなにこだわってない時代なのかもね。あの頃は“自分のロックはこうあるべきだ”って大学生なんかもすごくロックにこだわって大事にしてた。今ではロックは選択肢のひとつだけど、昔は生き方だったし。今でもそういう人はおるけどね。僕にとってのKey Personは裕也さん、サンハウスのメンバー、大学の時に組んだアタックのメンバー、シーナの家族、うちの母親もそうだし、レコードを借りっぱなしの友人もそうだけど、恩人ということも含めて細野さんだね。

取材:千々和香苗

鮎川 誠(シーナ&ロケッツ)

OKMusic編集部

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