この冬、舞台版と映画版で楽しむ 太
宰治の未完遺作小説「グッド・バイ」
から広がる“愛ある世界”

太宰治を撮影した写真といえば、多くの人が思い浮かべるのは2通りではないかと思う。
1つは、教科書などにも多く用いられている、物憂げな表情で斜め下を見て頬杖をついている着物姿のポートレート。もう1つは、ネクタイ姿の太宰が座った椅子に足を乗せて片膝を立て、斜め上を見ながら少し微笑んでいるようなポートレートだ。これは銀座のバー「ルパン」で織田作之助を撮影していた写真家の林忠彦に、太宰自ら「俺も撮れよ」と言ってポーズを決めて撮影させたもので、そのポーズと表情から太宰の茶目っ気がにじみ出ており、先の憂いを帯びた写真とは全く雰囲気が異なる。
太宰は、自殺未遂を繰り返した自己破滅型の人間でありながら、ユーモアのセンスがあり、周囲が放っておけないような愛すべき人間でもあり、一面性では語ることができない。だから、どちらの写真も太宰という人となりをよく表していると言えるだろう。
太宰のユーモアにあふれた未完の遺作「グッド・バイ」
そんな太宰の多面性は作品にも表れている。太宰というと、どうしても自伝的小説「人間失格」に代表されるような、孤独や絶望に包まれたネガティブな作家という印象が強いが、その一方で「走れメロス」では正義や友情をまっすぐに描いているし、「お伽草子」や「トカトントン」などには太宰流のユーモアやウィットが随所に見られて思わずクスリと笑ってしまう。
太宰の未完の遺作である「グッド・バイ」も軽妙な語り口でテンポよく進むユーモアにあふれた作品で、ここから先どんな面白い展開が起こるのか、と期待が高まったところで未完になってしまったことは非常に残念だ。「グッド・バイ」は未完ということもあってか、クリエイターたちを強く引き付けるものがあるらしく、これまでも様々な形で映像化、舞台化されている。
2020年1月11日(土)にかめありリリオホールで開幕、2月16日(日)シアタークリエで千秋楽を迎えた舞台・KERA CROSS 第二弾『グッドバイ』と、2020年2月14日(金)に公開された映画『グッドバイ~嘘からはじまる人生喜劇~』のもととなっているのが、2015年にケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)が太宰の後を引き継ぐような形で新たなドラマとして書いた舞台『グッドバイ』だ。この舞台は、第23回読売演劇大賞において最優秀作品賞、およびKERAが優秀演出家賞、永井キヌ子役の小池栄子が最優秀女優賞を受賞、さらに平成27年度芸術選奨においてKERAが文部科学大臣賞を受賞するなど、高い評価を受けた。
KERAから太宰へ。尊敬と愛が満ちた舞台『グッドバイ』
舞台『グッドバイ』は、KERAの名作戯曲を才気溢れる演出家たちが新たに創り上げるシリーズ“KERA CROSS”の第二弾で、生瀬勝久が演出、主演の田島周二役は藤木直人、永井キヌ子役はソニンがそれぞれ務めた。
映画『グッドバイ~嘘からはじまる人生喜劇~』は、2015年の舞台を見て惚れ込んだという成島出監督が、舞台版同様キヌ子役を小池栄子で、田島役には大泉洋を迎えて映画化した。上演から4年以上が経ってなお、こうして舞台上演や映画化されるというのは、KERAの脚本がいかに優れていたかという表れでもある。
映画『グッドバイ~嘘からはじまる人生喜劇~』出演者たち
ストーリーは、舞台『グッドバイ』についての生瀬勝久✕藤木直人インタビューの中で「ハッピーエンド」と語られている通り、舞台上も客席も全員が思わず笑顔になるような結末を迎える(インタビュー全文はページ下部関連記事より)。もしも太宰が最後まで書き上げていたらどうなっていただろうか、とふと思うが、途中まで書かれた話の流れや文体から、間違いなく太宰はユーモア小説に仕上げようとしていたと推察される。しかし、これは想像でしかないが、自身がモデルと思われる田島が幸せになるような物語を太宰が書けただろうか。太宰自身の筆致ではここまでハッピーな結末にはならなかったように思う。舞台『グッドバイ』が心温まる作品となったのは、KERAから太宰への尊敬と愛が満ちているからで、それ故に見る者を幸せにするパワーがあるのだ。
太宰が描いた多面的な”人間”を、愛おしく、物語の中に立ち上げる
ストーリーもさることながら、登場人物も魅力的だ。
主人公の田島周二は、太宰の本名が津島修治であることからもわかるように太宰的な人物で、好男子で金も持っていて女に優しい色男、愛人をたくさん抱えていながらその全員に対して律儀な思いもあり、いよいよ愛人たちとは手を切ろうと決意をするが、乱暴な別れ方はしたくない、と直接会って別れを告げようとするような、“憎めない愛されダメ男”という人物像になっている。
そんな田島の偽の妻として、愛人たちとの別れを手伝う永井キヌ子は、ひどいカラス声で粗野なうえに金にうるさいが、身なりを整えれば品のある絶世の美人という、そのギャップで田島を振り回す、いわばこの物語の台風の目のような存在だ。
田島とキヌ子が偽夫婦として愛人たちに「グッドバイ」を告げに行くと、それぞれのところで思いもよらない出来事が待ち受けている。そんな凸凹コンビの珍道中にひたすら笑っているうちに、だんだんとこの2人のことが好きになってくる。人間の多面性を丁寧に描写した太宰、そしてそれを一つの完結した物語の中に見事に立ち上げたKERAの手腕で、ただ笑える喜劇ではない、人間のことを好きになれるような深い温かみが生まれている。
太宰の筆は、2人目の愛人・洋画家の水原ケイ子に別れを告げに行く直前で永遠に止まってしまった。その続きをKERAが書き継いだ『グッドバイ』の世界は、太宰ファンにもきっと楽しめるはずだ。舞台版を鑑賞した人も、映画版『グッドバイ』も鑑賞して、ぜひ見比べてみて欲しい。映画版にはオリジナルのエピソードも出てくるし、終わり方も舞台版とは異なっている。それぞれのクリエイターたちが導き出した、太宰への愛ある世界を堪能して欲しい。
参照元:太宰治「グッド・バイ」(新潮文庫)
文=久田絢子

SPICE

SPICE(スパイス)は、音楽、クラシック、舞台、アニメ・ゲーム、イベント・レジャー、映画、アートのニュースやレポート、インタビューやコラム、動画などHOTなコンテンツをお届けするエンターテイメント特化型情報メディアです。

連載コラム

  • ランキングには出てこない、マジ聴き必至の5曲!
  • これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!
  • これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!
  • MUSIC SUPPORTERS
  • Key Person
  • Listener’s Voice 〜Power To The Music〜
  • Editor's Talk Session

ギャラリー

  • 〝美根〟 / 「映画の指輪のつくり方」
  • SUIREN / 『Sui彩の景色』
  • ももすももす / 『きゅうりか、猫か。』
  • Star T Rat RIKI / 「なんでもムキムキ化計画」
  • SUPER★DRAGON / 「Cooking★RAKU」
  • ゆいにしお / 「ゆいにしおのmid-20s的生活」

新着