横浜銀蝿の『ぶっちぎり』は
日本のサブカルに
ヤンキーカルチャーを根付かせた
決定的一枚
ヤンキー文化を歌詞に注入
今回紹介する横浜銀蝿の1stアルバム『ぶっちぎり』のオープニング曲、デビューシングル「横須賀Baby」のカップリングでもあったM1「ぶっちぎりRock'n Roll」にもこんな歌詞がある。
《うなる 直管闇夜をさき/朝まで全開アクセルOn》《マブイあの娘もハコ乗り/今夜はSatisfy》《CASTOROの香りまきちらし/朝まで全開アクセルOn》《ホイルスピンをきめれば/今夜はSatisfy》(M1「ぶっちぎりRock'n Roll」)。
意味不明だという人もいるだろうからいくつか訳すと──。《直管》とは直管マフラーで、サイレンサーが搭載されていないマフラーのことで、そうすることで排気音が甲高くなるという。《マブイ》は顔が美しいこと。《ハコ乗り》は乗用車の窓から上半身を出して乗ること。《CASTORO》はおそらく“Castrol”のことで、エンジンオイルを指していることで間違いなかろう(商標登録とかの関係でこうなったのではないかと想像する)。で、《ホイルスピン》は急発進や急旋回でタイヤが激しく空転すること。つまり、M1「ぶっちぎりRock'n Roll」は暴走族のことを綴ったものである。それこそクールスはもともとバイクチームであったし、外道やアナーキーは暴走族に愛されたバンドではあったが(外道の頃は暴走族を“サーキット族”と言ったそうな…)、暴走族の存在そのものを描いたような楽曲は、少なくともそれまでのメジャーにはなかったわけで、横浜銀蝿は端から画期的なことをやっていたと言える。
その表現はコミカルかつポップ
《アー アライグマ/マントヒヒ/ひとコブラクダ/ダックスフンド/どうも》(M9「尻取りRock'n Roll」)。
文字通りのしりとりである。収録タイムは20秒に満たない。インタールードやブリッジと言ってもいいくらいである。M2「そこのけRock'n Roll」はギャグではないけれども、その歌詞は《おらら そこのけ どけ》のリフレインで、何か大きなメッセージがあったわけではなかろう。だが、それが親しみやすさにつながったと想像できる。見た目はリーゼントにサングラスにほぼ髭面という強面のヤンキーである。これでその歌詞が暴走族的なものや、バイオレンス臭のキツいものばかりだったら、現役で“ツッパリ”を自認していた人たちにしても楽しめなかったに違いない。そもそもヤンキーと言っても、当時そのほとんどは10代であって、真に不良と呼べるような者=完全なるアウトローは少なかったに違いなく、このくらいの愛嬌はあって当たり前である。その意味でも横浜銀蝿は的確にヤンキー像を映していたとは言えるだろう。
M1「ぶっちぎりRock'n Roll」、M2「そこのけRock'n Roll」、M9「尻取りRock'n Roll」以外は、M5「バイバイOld Rock'n Roll」がオールドスクールなR&Rに敬意を払いつつの「Roll Over Beethoven」系の内容だが、その他はロストラブソングを含めて恋愛ものがズラリ。いつの世も流行歌の花形はラブソングである。この辺りも横浜銀蝿の親しみやすさにつながっていたことは、これまた間違いない。M7「Happy Birthday」とかM10「INSTANT GENTLEMAN」とか、今思えば子供が背伸びしているとしか思えない内容だったりするが、そこも愛敬だろうし、当時のティーンエイジャーにはビビッドに響いたのだろう。また、Johnny(Gu)は[メンバーの中で一番人気があり、バレンタインデーにはトラック何台分もの大量のチョコレートが贈られ]たそうで([]はWikipediaからの引用)、横浜銀蝿は女子からも絶大な人気を得ていたことは当時のいちリスナーであった自分も実感するけれども、それはそのラブソング比率の高さも影響していたと思われる。
最大のポイントは、いい意味でそのサウンドが複雑なサウンドではなかったことではなかろうか。基本は3コードのR&R──いや、ほとんどそれしかないと言っていい。『ぶっちぎり』ではM3「いかしたDance Tonight」やM4「I Say最高Rock'n Roll」で薄くブラスが入っていたり、M5「バイバイOld Rock'n Roll」などではピアノが聴こえたりするものの、その構成はギター2本とベース、ドラムというシンプルなものだ。1980年と言えば、Yellow Magic Orchestraの人気が爆発した年だし、J-POP史上最高のイントロとの呼び声高い久保田早紀の「異邦人 -シルクロードのテーマ-」がヒットした年でもあったので、サウンドメイク、アレンジも多様になっていた時期である。この頃ですら横浜銀蝿が鳴らしたR&Rはやや時代がかった印象のものであった。だが、それが良かったのであろう。メロディーにもよると思うが、前述したような暴走族的な歌詞が、もしデスメタルやハードコアパンクに乗っていたとしたら、世界観としてはバッチリかもしれないが、大きく大衆性は損なわれたことは論を待たないはず。誰でも一度はどこかで聴いたことがあるコード進行と、老若男女の多くが想像するバンドの最大公約数的サウンドが、横浜銀蝿の親しみやすさをアップさせるに大きく貢献したのだ。楽曲の演奏時間も3分程度だ。リスナーに変なストレスを与えない。簡単に言うと、聴いていて面倒くさくないのである。Johnnyが最近のインタビューで「横浜銀蝿は芸能史には残っていると思いますが、音楽史には残っていないと思うんです」と語っていた。メンバーがそう言ってるのだから確かに横浜銀蝿はその音楽性において語れることがないのかもしれない。でも、そんなものは端から超越していたのだという見方もできる。それが横浜銀蝿の偉大さだったと筆者は思っている。
TEXT:帆苅智之