創立21年目に突入した「烏丸ストロー
クロック」、柳沼昭徳&阪本麻紀にイ
ンタビュー~「“個”の弱さが露呈し
た、今の時代の共同体や癒しを探りた
い」

京都を拠点に、現代人の抱える問題や社会の矛盾を突きつけるような作品を作り続けてきた、劇団「烏丸ストロークロック」。試演やフィールドワークを何度も重ねながら、一つの作品を数年かけて作り上げるという、独自の創作スタイルでも異彩を放つ存在だ。その完成版の上演ごとに、大きな波紋を投げかけてきた彼らも、昨年で旗揚げ20周年を迎えた。その初の演劇公演となるのが、2018年に発表した『まほろばの景』リクリエーション版だ。
日本に古くから伝わる山岳信仰と、地域芸能色の強い「神楽」を通して、東日本大震災後の日本人の生き方について問いかけた作品。劇団名通り、ロックな怒りとビート感が強かった彼らの作風に、癒しと慈しみのような視線が重なった世界が、どのように生まれ変わるのか? 劇団代表で作・演出の柳沼昭徳と、ただ一人劇団初期から参加してきた俳優・阪本麻紀に、これまでの歩みと今回の作品について、じっくりと聞いてきた。
■1つのテーマに、なかなか区切りをつけられないんです
──烏丸は1999年3月に、近畿大学の学生劇団として旗揚げされてますが、何かきっかけがあったのでしょうか?
柳沼 当時先生だった鈴江(俊郎)さんに「劇団がないと、舞台人として育っていかないよ」と、お尻を叩かれる感じで始めました。僕はそれまで脚本を書いたことがなかったけど「いや、書いたらええやん」と言われまして。同じく当時先生だった、太田省吾さんの戯曲の授業で褒めてもらったりしてたので、調子に乗って書いてみたという感じでした。
烏丸ストロークロック『まほろばの景2020』予告映像
──その翌年に発表した『クヨウミチ』が、この後シリーズ化しています。現在の創作スタイルは、この時点ですでに始まっていたんですね。
柳沼 あの頃は全然意識してなかったんですけど、やっぱり一本書いてみてわかることがいろいろあるんです。僕が年に2本も3本も書ける作家じゃないというのもあって、できる限り一つのネタを引っ張るスタイルに、おのずとなっていきました。
阪本 一回上演してそこで完結するんじゃなくて「次もうちょっと、こうした方がいい」と言って、そのテーマを深められたり、違った見方でとらえられるのはいいなあと思ったんです。だからそれに慣れると、たとえばよそで客演した公演が終わった時に「あ、もう終わっちゃうのか」と考えてしまいます。
柳沼 みんなどうやって、終わらせることができるんだろう? と(笑)。ただ最初の数年間は本当に、自分たちのやりたいことが全然わからなかったです。パフォーマンス風の芝居や、会話なしの劇に挑戦したりもしたけど、どこにもしっくりする場所がないという状態が、2005年ぐらいまで続いてました。
阪本麻紀。
──その転機となったのが、ニュータウン育ちの青年が、理想的な共同体を目指してさまよう姿を描いた「漂泊の家」シリーズ(2005~2010年)。
柳沼 そう、ここからでしたね。この作品は、僕個人のニュータウンに対する複雑な郷愁や、人口減少でコミュニティが解体されていく哀愁を描くことから始まったんですけど、同じような気持ちを意外とたくさんの人が感じていると、シリーズの途中ぐらいから実感し始めまして。それまでの烏丸の作品は、若者のメンタリティみたいなことがテーマになっていたんですけど、そこから社会のことを描いていく方向にスイッチしました。
あの頃はちょうど「個の時代」って言うんですかね? 人が集まるということを、みんなが忌避している感じがあって、それが何か引っかかっていたんです。そこで改めて、他人同士がコミュニティを作ること……オウム真理教とかいろんなトラブルはもちろんあるけれど、一つのことを信じて人が集まるというのは、気持ち悪さと希望が半分半分なんだなあと考えて。だから(シリーズ総集編の)『八月、鳩は還るか』は、僕の書き方もすごく曖昧になってしまって、お客さんの反応もその半分ですごく割れました。
──「気持ち悪い」と「感動した」に。
柳沼 極端でした。「気持ち悪くて面白い」という反応も含めて。最初は僕も、そういう共同体が気持ち悪い……というか「不気味だ」という所からスタートしたんですけど、数年に渡って10何人かのメンバーと作品を作っていくうちに、やっぱり老若男女を問わず、みんながすごく仲良くなっていって。そこで自分の中でも、一つの目的のために人々が集まるという関係を、もっと肯定してもいいんじゃないか、肯定したいという思いが強くなってきたんです。「個」が分断された成れの果てが、今の社会の状況だとしたら、もう一度「人が集まること」の再評価が必要じゃないかと。
烏丸ストロークロック 漂泊の家シリーズ総集編『八月、鳩は還るか』(2010年) [撮影]東直子
──と同時に、ロングスパンの創作の醍醐味にも気づいたと。
柳沼 というよりも、区切りをつける所が本当にわからない(笑)。自分たちもあまり確信を持ってないけど、次ここからどんなものが抽出できるのかなあ? という。その興味どころをどんどんたどっていく旅、という感じです。
阪本 でも結局は「人間って何だろう?」「集団を作って生きていくとは何だろう?」というテーマが常にあって、その見え方が少しずつ変わってるってことなんですよね。もしかしたら劇団員が3人だけで、公演のたびに俳優が入れ替わるというのが、なかなか完結できない大きな理由かもしれないです。
柳沼 そうそう。毎回俳優が一緒だったら、すぐに終わりが見えて「次(のシリーズ)に行こう」となってたかもしれない。やっぱり公演ごとに新しい人を呼ぶので、そのたびに新しい方向が見えて、そのテーマを続けたくなるんです。そうして生まれた作品から、さらに新しい出合いが生まれて「じゃあ、これをまた次の作品に活かそう」ってなるという、その繰り返しでここまで来たという思いがあります。
柳沼昭徳。
■依存ではなく自立を目指す、理想的なコミュニティとは
──その次の「業火」シリーズ(2012~2016年)は、悪徳商法に関わる青年を通して、資本主義の闇を描くような作品でした。
柳沼 あれだけはキレイに終わってるんです。金の恨みは晴らしたというか(一同笑)。あのシリーズって、結構告発系だと思うんですけど、そういう作品って消費されるなと思ったんです。「世の中金だよね! そんな世の中イヤだよね!」って告発して、単純にお客さんをスッキリさせるという。そうじゃなくて、同士を見つける……とでも言いますか。こういう感覚に共感してくれる人が、どれだけいるんだろう? ということを、作品を通して探りたい。それは「凪の砦」シリーズ(2016~2017年)に入った頃から、感じ始めたことでした。
烏丸ストロークロック『国道、業火、背高泡立草~Re:クリエイションプロデュース~』(2016年) [撮影]清水俊洋
──その「凪の砦」は、宗教団体に属していた男女が、新たな福祉コミュニティを築くという内容で、ここから烏丸の作品に東日本大震災が大きく関わってきますね。
阪本 2015年に外部で発表した『新・内山』(※第60回岸田國士戯曲賞最終ノミネート作品)があって、その時に東北まで取材に行って、神楽にも出合ったんです。
柳沼 神楽は大きかったですね。神楽ってひもといていくと、コミュニティの芸能なんです。ものすごく長い歴史的文脈に基づいて、伝承されてきた身体。それはコミュニティがないと、誰もその身体にはなれないという。
──その何百年も続いたコミュニティすら破壊したのが、東日本大震災。
柳沼 今も再創作しながら考えるんですけど、あの震災は「個」の弱さみたいなものを、すごく明らかにした出来事だったと思うんです。各々の性質ではなく、そもそも「人間そのものがもろい存在」だと。それを乗り越えるために、人々は集まって生きてきたわけで、それは昔だけじゃなくて、現在にもやっぱり求められているんだろうなあと思います。
演劇計画II-戯曲創作-『新・内山』(2015年)。[京都芸術センター]の劇作家育成企画として上演された。 [撮影]清水俊洋
しかもSNS上のつながりじゃなくて、身体的なつながりっていうんですかね? 一緒にご飯を食べるとか、一緒に何かを見るとか。ゆるやかでもいいから、安心して人同士がつながれる現実の場所は、現在でも必要だといっそう考えるようになりました。信仰とかに基づかなくても、人を了解しあい、認め合う関係が築けたら素晴らしいなあと。
阪本 そういう場所への憧れみたいものって、多かれ少なかれ皆さんきっとあると思いますし。でも劇団って実際そうなんですよね、実は。
柳沼 確かに。みんなそれぞれパーソナリティは違うけど、その集団や人に依存するわけではなく、ただ作品を作るために集まるという。何かしらの自立を目指して集まるコミュニティって、結構成熟したコミュニティだと思うんですよ。会社組織だと、やっぱり働く上で何かしらの依存があるじゃないですか? そういうのがない関係が、理想なのかもしれない。
だから劇団で作品を作りながら、自然と「現在の共同体」みたいな、今のテーマが浮かび上がって来たとは思います。怪しげに思える集団でも、勉強や教養を身につけて、それまで抱いていた印象を引き剥がしたら、そこには我々と地続きの人間がいて、その人たちなりの言い分や、人間同士だからこそ生じる問題……最初は純粋な集団だったのに、だんだん劣化していく様みたいなものも、すごく見えてくるようになった。我々もまた、作品を作りながらコミュニティの考え方が変わっていったと思います。
烏丸ストロークロック『凪の砦 総集編』(2017年) [撮影]東直子
──『まほろばの景』は、震災で故郷が壊滅した喪失感から未だに逃れられない福村という男が、山伏や神楽と出合うことで救済の道を見出していく……という物語でした。
柳沼 『新・内山』や「凪の砦」シリーズを作ってる時は、震災を作品にするとはどういうことか? 現代進行形で災害が多発する、この国でどういう心持ちで生きていけばいいのか? ということを考えていたんです。それで2017年に、改めて東北でフィールドワークをした時に、以前(2015年)とは全然違ったんですね、自分の印象が。やっぱり町はどんどん更新され、生活は取り戻されているけど、人の心はどうなんだろう? と。つまり「人はどうやって癒やされるのか」ということを考えたのが、このシリーズの発端です。
──その癒しの手段の一つとして見えてきたのが、山岳信仰だったと。
柳沼 「個」の弱さが露呈した人間が強くなるには、あるいは弱さを受け入れながら生きていくには、どうしたらいいのか? と考えていた所に、山岳信仰が清涼剤のように入ってきました。山岳信仰って、宗教家と言われる人は本当にごく一握りで。その他大勢の人たちは、普段は町で普通に暮らしていて、結構中小企業の社長さんが多いそうです。
そういう人たちが山に修行に来て、野生を取り戻して生命力をチャージして、また街へ帰っていく。やっぱり山に行くと、都会でクヨクヨ考えていたことも「全然そんな場合じゃない」って状態になるそうです。そういうわけで、震災以降自分の弱さから逃げてきた男が、山に登ることで自分の弱さと向き合い、強くなれるように願う……という話になりました。
烏丸ストロークロック『まほろばの景』(2018年) [撮影]東直子
■テクニックを見せるのではなく、想像の種を蒔くような戯曲に
──『まほろばの景』では、神楽舞がかなりフューチャーされていました。それによって、会話劇とはまた違う手応えや気付きがあったかと思うのですが。
阪本 神楽は型が決まってるので、舞台上で「こうしてやろう」という欲が入れられないんです。常に必死というか、没頭していく。それはあまり今まで、演じる時にはなかった感覚でした。今回の再演では、その面白さ……「演じる」とかではなく、何かをずっと続けている人の営みや行為みたいなものを、もっと見せる方向にしたいと思ってます。
柳沼 やっぱり神楽って、神様を呼ぶ行為ですから。観客だけに見せようと思ったら、どうしてもサービスとかショーの要素が入るけど、神様のためとなったら、途端に祈りの要素が大きくなる。「祈る」って何かと言うと、舞台上でひたすら何かをイメージして、思い続けることなんです。お客さんに見せることを前提としていない行為と、身体の存在の美しさ。そこが神楽の一番の魅力だなあと思います。
烏丸ストロークロック『まほろばの景』(2018年) [撮影]東直子
それによって、僕が書く本もガラッと変わりました。お客さんに意味を伝えるとか、情報を渡すだけのものではないテキスト……いかにして舞台上の行為が、お客さんにとっての想像の種になるか? という所を重視して。「このやり取りで、お客さんへのヒントを散りばめよう」とか「ここに布石をまいて、後で回収しよう」みたいな、作劇上のテクニックみたいなものには興味がなくなりました。
──再創作で、大きく変更したところはありますか?
柳沼 初演では、福村を導く山伏が出てきたんですけど、今回は全員をただの人にしました。人を救うのは、山伏のような常人ならざる人ではなく、やっぱり同じ人間かなあと思ったので。それと、さっき言った「集団の力」を見せようと思ったら、やっぱり福村と並走して、今を生きている人たちがいるという見せ方にしたい。彼と同じように何かを抱えながら山を登る人たちがいて、みんなで頂上を目指すという話にすることで、ある種の普遍性を持たせたい……というのが、大きな変更点です。
──烏丸の世界には、チェロの中川裕貴さんの音楽と生演奏も欠かせないものですが、今回は神楽の楽器も多々入るようですね。
柳沼 広島の「弓神楽」という、踊りがない音だけの神楽を今回入れるんですけど、それを教えてくれたのは中川氏でした。やってみると、意外といい味出してますね。
烏丸ストロークロック『祝・祝日』(2018年)。右から2番目が生演奏中の中川裕貴。 [撮影]相沢由介
阪本 手平鉦(てひらがね)も入りますし、今回は俳優がかなり楽器を扱います。
柳沼 今までずっと中川氏に音楽を委ねてたけど、今回は「舞台上にいる人たちの行為を見せたい」という思いがあるので、俳優にも何かしら音楽的なことをやってもらおうと。中川氏は2007年頃から烏丸に関わってもらってて、最初はBGMとなる音源をもらうだけだったんです。それが舞台で演奏するようになってから、どんどん可能性が見えてきて。彼自身も「音楽やりたくないんですよ」とか言い出して(笑)。
それってつまり「舞台の一つの要素としていたい」ってことなんです。今の彼の音楽は、お客さんの感情をあおるのでも、想像の手助けをするわけでもない。何をするかというと「ここにはない音を出す」こと。舞台上で起こってない音を出すことで、もっと奥行きというか、層を作りたいということを言ってるんです。今回は俳優も音楽に参加することで、その層がさらに厚くなるんじゃないかと思います。
──この作品と並行して、広島では『新平和』というプロジェクトが進んでいます。
柳沼 広島のアクターズラボで作って、昨年6月に本公演がありました。僕が広島に行き始めた頃って、原爆劇というものがなかったんですよ。ありそうでしょ? でも「もうお腹いっぱい」というのと、やると誰かに怒られるというので、ちょっと面倒くさい題材になっててたんです。でもそこで、現代の僕たちと原爆の距離感を考える、今の時代の原爆劇を3年かけて作りました。もし怒られたら謝ろうって(笑)。でも、これからも形を変えながら再演していくことになったので、関西や海外でも公演が打てるよう動いている所です。
広島アクターズラボ 五色劇場『新平和』(2019年)
──今年で劇団21年目となるわけですが、作品同様、劇団の終わりもまだ見えないのではないかと思いますが。
柳沼 見えないですね。演劇ってやっぱり、集団でしか作れないものじゃないですか? だからこの「集団の力」を、作品でもっと表せないかなあということを、最近は考えます。集団の可能性や、希望みたいなものを……って言いながら「集団イヤやな」とも思うんですけど(一同笑)。やっぱり集団って、基本的に面倒くさいですからね。いつでも「もうええわ!」って言って止められるとは思うんですけど、演劇をやっていく以上、やっぱり付き合っていかなきゃならないんだろうなあって。
阪本 でもここからまた変化したり、全然違うことを始めてもいいな、とも思います。それによって、同じ「共同体」をテーマにしても、これまでにない作品や見え方が生まれたら面白いと思うし。だから楽しみですね。40代、50代になって、どういう風になっていくのか。
柳沼 その頃になると、また僕たちの社会の見え方も変わってるでしょうね。もうすっかり、人間讃歌になってるかも(一同笑)。もしそこに行き着いたら「解脱したんだな」と思って下さい。
(左から)柳沼昭徳、阪本麻紀。
取材・文=吉永美和子

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