【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#126
歌手・八代亜紀の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

ただひとつお願いしたいのは、開催日(
レコード大賞)をできれば大晦日に戻し
ていただきたいですね

『輝く! 日本レコード大賞 公式インタビューブック 放送60回記念 TBS公認』(シンコーミュージック・エンタテイメント/2019年5月14日発行)より

こんな視聴者のボヤきのような言葉も、「日本レコード大賞」受賞者である八代亜紀が言えば名言となる。現在、日本レコード大賞は、12月30日に行われているが、2005年までは「NHK紅白歌合戦」と同様、大晦日に行われていた。レコ大から紅白へ、スターたちの移動のドタバタも大晦日の風物詩のひとつだった。八代は、この言葉に続き、「私たち歌い手にとっては、『年忘れ にっぽんの歌』(テレビ東京系)を含め、3つの歌番組に掛け持ちで出るというのが日本で一番忙しい歌手の証し。やっぱり大晦日って歌手にとって集大成なんですよ」と語る。今回の名言は、何気ない言葉だか、スターの威厳を感じる勇気ある発言である。よく言ってくれました!と拍手を贈りたい。

八代亜紀(やしろあき)
1950年生まれ、熊本県八代市出身。小学5年生の時に、ジュリー・ロンドンに憧れて、歌手になることを夢見る。バスガイドを経て銀座のクラブ歌手となり、1971年に「愛は死んでも」でレコードデビュー。同年『全日本歌謡選手権』(読売テレビ)のグランドチャンピオンとなる。1973年に「なみだ恋」の120万枚を超える大ヒットから、「しのび恋」、「愛ひとすじ」、「おんなの夢」、「ともしび」、「花水仙」、「もう一度逢いたい」「おんな港町」など、ヒットを連発し、一躍スターダムにのし上がる。1979年、新境地となった初の男歌「舟唄」が大ヒット。1980年に「雨の慕情」で第22回「日本レコード大賞」を受賞する。2013年、ニューヨークの名門ジャズクラブ『バードランド』でライブを開催。女優、画家としても、一流のパフォーマンスを発揮する。2020年2月15日、北海道・北広島市芸術文化ホールにて<八代亜紀 スペシャルアコースティックコンサート>を開催予定。現在も精力的に活動を続けている。
仲村 瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。

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