【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#123
作詞家・松本隆の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

昭和には、平成にはない活気、夢があっ
たし、色もあった。色鉛筆で例えると、
26色とか52色とかね。青にもいろんな青
がありました。いま青っていうと、ひと
つしかないでしょ。

より

松本隆は、この名言を発する前に「僕は1964年の東京オリンピックの時に中学生でした。日本経済は、オイルショックまで右肩上がり一直線で、自分たちが成長しているという強い実感がありました」と振り返っている。昭和という時代には、きらびやかな夢があり、様々な希望が溢れていた。それを松本は”色”に例えて表現している。平成から令和までの現代、その”色”が失われてしまった原因はなんなのか? 例えば、バブル崩壊と失われた20年はそうなのだろう。そして令和の今もその”色”が増えたようには思えない。インタビュアーは「世知辛い拝金主義がバブルとは違う形で顕在化しているように見えます」と話をふる。松本は、「お金には換算できない余白みたいなものが文化になるんです。その文化が非常に希薄になりましたね」と答えている。松本の言葉は、生き方や価値観の多様性が失われている今の日本に警鐘を鳴らしているように感じられる。これは、音楽業界が衰退している大きな原因のひとつともいえるのではないだろうか。現代を生きる全ての人に読んでほしい名インタビューである。

松本隆(まつもとたかし)
1949年7月16日生まれ、東京都港区出身。作詞家、ミュージシャン。1968年、細野晴臣がメンバーだったロックバンドバーンズにドラマーとして参加。1969年、小坂忠、柳田博義、菊池英二、細野晴臣とエイプリル・フールを結成(当時の名義は、松本零)。同年、のちに伝説的ロックバンド・はっぴいえんどの前身であるヴァレンタイン・ブルーに参加。1970年に、はっぴいえんどと改名され、ドラマー及び作詞担当として活躍。はっぴいえんど解散後の1972年、オリジナル・ムーンライダーズのメンバーとなり、音楽プロデューサーを経て、作詞家となる。アイドルへの初の提供作は、アグネス・チャンの「ポケットいっぱいの秘密」(1974年)。「木綿のハンカチーフ」(1975年)で、筒美京平との歌謡史に耀く、ゴールデンコンビが誕生する。400組近いアーティストへの作詞を手がけ、作詞数は2100曲以上。その中でヒットチャート1位は52曲という偉業を果たしている。2015年8月21日・22日、東京国際フォーラムにて、『松本隆 作詞家活動四十五周年記念オフィシャル・プロジェクト』の集大成ともいえるライブ『風街レジェンド2015』を開催。2017年、紫綬褒章を受章。
仲村 瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。

全日本歌謡情報センター

歌謡曲・演歌に特化したエンタメ情報サイト

連載コラム

  • ランキングには出てこない、マジ聴き必至の5曲!
  • これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!
  • これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!
  • MUSIC SUPPORTERS
  • Key Person
  • Listener’s Voice 〜Power To The Music〜
  • Editor's Talk Session

ギャラリー

  • 〝美根〟 / 「映画の指輪のつくり方」
  • SUIREN / 『Sui彩の景色』
  • ももすももす / 『きゅうりか、猫か。』
  • Star T Rat RIKI / 「なんでもムキムキ化計画」
  • SUPER★DRAGON / 「Cooking★RAKU」
  • ゆいにしお / 「ゆいにしおのmid-20s的生活」

新着