矢野まき デビュー20周年ベストアル
バム『ALL TIME BEST』を発表した現
在と過去、そして未来を語る

矢野まきはとてもチャーミングな人だ。正直で真面目で嘘がつけないし、驚くほど不器用だから、生きることにいつも苦労していて人間味に溢れている。しかし、ひとたびステージに上がればまるで別人のように凜々しく立ち、心の芯まで響くしなやかで美しい歌を放つ。その全身全霊をかけた歌に触れるたび、もし歌の神がいるのだとしたら彼女はその化身に違いないだろうと確信する。
そんな彼女が1999年7月16日、七色の日にシングル「初夏の出来事」でデビューしてから20年が経った今夏、これまでにリリースしたシングル13作品、アルバム9作品の中から厳選した31曲に加え、スキマスイッチ大橋卓弥とのコラボレーション作品「ポートレイト」を新録した矢野まき史上初となるベスト・アルバム『ALL TIME BEST』を発表した。また、アニバーサリー・イヤーである今年は『矢野まき20周年YEAR企画「ありがとうのうた」』と題したスペシャル・ライブを各地で開催しており、12月にはゲストに広沢タダシを迎え大阪で、年明け2020年1月21日には東京(火)duo MUSIC EXCHANGEにて『「ありがとうのうた」完結編』と題したバンド編成でのライブを開催する。
そこで今回は、デビュー20周年を迎えた矢野まきの現在、過去、そして未来への展望について、デビュー当時の元マネージャーであり現音楽ライターの早乙女‘dorami’ ゆうこが訊いた。
■ 矢野まきの現在、デビュー20周年、初のベスト盤『ALL TIME BEST』を発表
――姫、20周年おめでとうございます。
なんか変な感じなんですけど(笑)。
――私もです(笑)。今回はファンクラブ「ひだまり」の会報を作っていた頃の和んだ雰囲気でインタビューをしたいので当時の担当にもカメラマンとして来てもらいました。
いつもこういう感じでやってたよね。
――はい、当時のようにゆるく参りましょう。まずは、デビュー20周年を記念した初のベスト・アルバム『ALL TIME BEST』について教えてください。
リリースが決まったのは3年前で、デビューからアルバム『はるか-遥歌』まで在籍した東芝EMI時代のA&R担当だった浦田さんとお茶したときにベスト盤を出せないか相談したらあっさりと決まって、それからずっと、ファンの人たちに“ありがとう”という20周年の形を入れた作品にしたいって思っていて。いろんなことがあったけどファンの人にすごく支えられてきた20年だから。
――今作はベスト盤ながら制作スタート時点から関わっていたんですね。
そうです。ベスト盤というと旧譜を厳選して入れるのが一般的。でも単純な旧譜の寄せ集めにはしたくないというのもあったから、付き合いの長いスキマスイッチの大橋卓弥くんに「力を貸してもらいたい」って声をかけたの。彼は知り合う前からファンでいてくれていて、私が活動を休止していた間もずっとリスペクトしてくれてきた人。だから彼への感謝と友情の証として何か一緒にやりたいなっていうのとファンの人への感謝を表したくて生まれた作品が「ポートレイト」なんだ。
――なるほど。大橋さんとは過去ステージでの共演はありましたが共作は初ですよね?
そう、初なの。15周年ライブにゲストとして駆けつけてくれたり、(斎藤)有太さんのライブで一緒に歌ったりしたことはあった。今年1月に東京メトロのCMソングになった「メトロノーツ」(スキマスイッチと矢野まき)で一緒に歌ったりもしてるんだけど、スタジオに入ってゼロから一緒に曲を作るのは今回が初めて。
――“大丈夫”という言葉がとても印象的な歌ですね。
“大丈夫”って言葉、大好き。「君の為に出来る事」にも入ってるけど“大丈夫”と“ありがとう”は言ってもらえると「そうかも」って思える魔法の言葉だから、自分も誰かに言ってあげたい。そんな私が描いたイラストがこちら。これ、わかる? 20周年だから振り袖を着て“ありがとう”をタスキに書いた私。どう?
作/矢野まき
――ありがとうございます。読者の方に説明すると、ファンクラブ会報では毎回手書きの絵を描いていただいていたので、このインタビューのために書き下ろしてくださいと事前にお願いしていました。
毎回会報の表紙を描いてたもんね。懐かしい。
――ベスト・アルバム『ALL TIME BEST』のアートワークでは黒を基調としたシックな印象のジャケットに愛犬2匹が登場していますが、これはどなたのアイディアですか?
デザイナーの守矢さんが「犬と撮ろう」と言い出してね。片方は撮影経験のないやんちゃ坊主だからちょっと心配だったんだけど、サクラよりも心配してたタンバリンのほうがいい子だった(笑)。和気あいあいとあったかい撮影でね。2匹の視線の先にはまっちゃん(プロデューサーの松岡モトキ氏)の手の中にボーロがあって、彼が一番活躍してた現場だったよ(笑)。
――そうでしたか(笑)。今作『ALL TIME BEST』には「ポートレイト」を含めた全32曲が2枚組で収録されていますが、なかなかの曲数ですね。
いろんな人に「よくこれだけ突っ込んだね」って言われる(笑)。広沢(タダシ)くんからは「さすが、姐さん!」って言われた(笑)。
――年代順ではない曲順にもこだわりを感じます。
バラバラの時代の曲がひとつに収まっても流れとか必然な順番で、ベストはベストとしてひとつの物語を作れるはずだと思って。いざやってみると時代も違う、プロデューサーも違う、サウンドも違うから自然に聴いてもらえるようにするための作業は本当に大変だった。そんな中でも「大きな翼」と「ポートレイト」の立ち位置はなぜか最初から決まっていたんだよね。
■矢野まきの過去
――ここからは今作に収録された過去作品や制作当時について触れていきます。最初から立ち位置が決まっていたという「大きな翼」から。なぜこの曲を1曲目にしたのでしょうか。
ある意味、私のファーストだからかな。矢野まきの本当のスタートだった曲っていうか…。それ以前は言われたことに必死で応える作品になっちゃったから悔しいっていうか、心残りもあったし。ファンの人は前作との違いにびっくりしたと思うんだけど、「大きな翼」が本来の私であって初めてスタジオワークが楽しいって思えた。だからこの曲で始まりたかったのかもしれない。
――なるほど。曲順もさることながら選曲は難しかったですか?
吐くほど悩んだよ(笑)。まだ入れたい曲はいっぱいあったし。それにこれまでライブで「さっきの歌が入ってるCDをください」って言われても中古でゲットしてって言うしかない曲もあった。「買いたい」と言ってくれる人がいても売れないのはすごく切なくて。だから過去の曲をもう一回どうにかしたいと思っていたし、「こういう時代もあったね」「こういう歌も歌うんだね」って聴いて欲しいからすごく悩んで選びました。
――それから、新曲以外で唯一新たにレコーディングされた「初夏の出来事」には亀田誠治さんプロデュース時代に多くの作品でギターを弾かれた西川進さんが参加されていますね?
そうそう、再録でね。ニッシーとはすごい久しぶりで、家にも来てもらって打ち合わせしたりして楽しかった!
――西川さんと言えばギターソロが凄まじい「アッシュバーン」も思い出深い。曲名はロンドン滞在時に利用したホテルの名前からのものでしたね。2人でイギリスとフランスを旅しました。
あの旅はすごい事件がいっぱいあったよね。気が狂いそうだったの。確か、行ってた時期はすごく寒くて、天気が悪かったよね?
――クリスマスでしたね。
そう、そう。時差ぼけで変な時間に起きちゃったときに、窓から見た景色が相変わらず空が灰色で。ネオンがぴかぴかしていて太陽がすごく恋しくなっちゃって。私、歌は月の人なんだけど人間的には太陽の人だから、太陽がないと心のバランスが崩れちゃうみたい。ホテルの部屋のお湯が出ないとか、いろいろがほんとに嫌ですっごい追い込まれたことであれができたんだと思う。今もあるのかな?
――現存するみたいですよ。「アッシュバーン」に描かれた情景は共に見ていましたが、隣りにいても気づかなかったまきちゃんの心情が詞となり曲が生まれた。個人的には一連の制作過程を見られた貴重な曲だったので完成したときにアーティスト矢野まきの制作力に感銘を受けました。凡人にはできない芸当だって。
(笑)。
――その時代だと「夢を見ていた金魚」のMV撮影も強烈でしたね。円谷スタジオで巨大な水槽に目を開けたまま全身沈んで金魚と泳ぐという大がかりなものでした。
19歳のときに作ったデモを亀田さんが聴いて「面白い!」と言ってまさかのシングルになっちゃった曲でね。この撮影で中耳炎になったな。ジャケット撮影の場所はお化けがでるところだったんだよね? 後で言われてすごい怖かった。
――確か畳のある場所でという理由だったような記憶があります。ホラー映画の撮影でも使われていて、障子が全部破れている部屋が奥にあったりして。
やだ〜、張り替えてよ〜。
――まきちゃんは見えないけど感じる人ですよね。札幌のライブハウスのときも…。
あれは見たんじゃなくて聞いたの。「The Rose」のイントロを歌ったらオクターブ下を歌う男の人の声がモニターから聞こえたの。だからニッシー(西川進氏)に「やめてよ〜」って言ったら「僕のマイク、生きてないから」と言われて。表の舞台監督には聞こえてなくて「何があったんだ?」って言われたもんだから聞こえたみんなは青ざめちゃって。でも一緒に歌いたいお化けなら何かされるわけじゃないだろうし、本番前だし怯えてられないって思って頑張った(笑)。
――いろんなことがありましたね(笑)。それから、デビュー時の「矢野真紀」名義から現在の「矢野まき」名義に変えましたよね。その理由は何だったんですか?
「矢野真紀」の画数があまり良くないというのは前から知っていたんだけど、名前を平仮名にするだけでもかなり良くなると知って思い切って変えました。みんなと相談して、変えるなら今だねってことで『本音とは愛よ』(2009)をリリースしたタイミングで。
――デビューから20年が経ちましたが、振り返って今思うことはありますか?
この20年、ほんとにいろんなことがあった。辛いときも、心から楽しめない時期もあったよ。
――その頃はどんな心境でしたか?
結果が出ないとはいえ、自分の意思とも過去の音源とも違う方向にガラッと変えて周囲が動いたことに戸惑いもあったし、何よりもそれが原因で「矢野まき、迷走してるな」ってファンの人が思っちゃったらどうしようって。プロデューサーとのコミュニケーションにも葛藤した時期もあったし、シングルを決めるときも自分がいいと思ってもそうじゃない曲がいいという人のほうが多くて自分の感覚が信じれなくなっちゃったりしたこともあったけど、当時の私は「この人たちがいいと思った方向へ全力で行くしかない。それでやってみよう」って思ってた。それでも私が個性だと思っていたものが癖と見なされたときなんかは自分の歌ってなんだろうって葛藤もすごくあったけどね。体調も崩したし。
――体調も?
当時ブログには「検査入院でした」と書いていたけど本当は手術をして入院してたんだ。子宮頸がんの前癌になっちゃってね。当時はまだ、子宮頸がんの認知もあまりされてなかったし、何となく公表せずにいたけれど、もう10年以上経っているし、みんなも気をつけて検査してって思うから。
――知りませんでした。
誰にも言ってなかったからね。癌細胞は誰にでもあるけど免疫力がストレスで下がるとナチュラルキラー細胞が負けちゃう。医師からは「若いからどんどん進行するのですぐに切っておいたほうがいい」と言われたので制作をストップして手術した。当時は絶望的な感じだったよ。そんなこともあったので「窓」は座って歌ったからよく聴くと弱いんだよね、歌が。でもそれが逆に涙を誘うと言われたのは怪我の功名だったなって、それはそれで必然だったのかなって今は思える。
――音楽はクリエイターの体で創っているもの。身を削るってよく言いますけど…。
怖いなあって思った。その後で(現プロデューサーの松岡モトキ氏に)出会って。とにかく話を聞いてくれて、ミュージシャンを呼んでセッションしながら作ったりとか、自分が作ってきたデモを録り直したりして久しぶりに楽しいって思いながら作業できたから心を取り戻せた。結婚で活動休止したと思われているかもしれないけど本当はそんなもんじゃなくて。事務所辞めてから音楽聴けなくなっちゃったんだよね。(松岡氏は)音楽が仕事なのにMTVとかも全部解約させちゃって、音楽が流れればテレビを消してた(笑)。
――自分も音楽を遮断した経験があるのでよくわかります。
今思うとおかしいんだけど、私が寝ている時に夢なのか現実なのかが分かんないところで気がつくと穏やかな音が流れていて。でもまあいっか、とまた寝る。それを繰り返し、寝ぼけているところに(松岡氏が)毎日音楽を吹き込んでくれて。段々海外のインストものを流して、それも大丈夫になると民族音楽的な歌詞になってない歌というか声入りのフュージョン系を流すわけ。それも大丈夫になってきた頃に鼻歌を歌ってたの! 何年かぶりに! 「私、歌った!」ってすっごい嬉しくて。そこまで戻るのに4、5年かかった。
――何でも歌えてしまうという類い希な才能を持つが故のことかもしれませんが、いろいろありながらも素晴らしいパートナーと出会えて完全復活もされて本当に良かった。
器用貧乏でしょ?(笑) 活動休止中にある人から「これからは自由なんだから、まきちゃんが歌いたいように歌うことが大事になんだよ。それをファンの人は待ってるはずだから」と言われたことがあって。自分が何を歌いたいかってことが大事で、当たり前のことなのにそれすら見失ってたことに気づいて、それが復活への原動力にもなったんだ。だから今は少しでも穏やかな状態を維持できるように自分を追い込んだり焦るのをやめて、歌い続けたいと思うことをゆっくり紡いでいくことが大事だって思ってるよ。
■ 矢野まきの未来
――今年は「ありがとうのうた」と題した20周年企画ライブ開催と並行して、イベント出演もされていますね。これからの矢野まきの活動について教えてください。
年明けから始めた「ありがとうのうた」では、11月に福岡で弾き語りライブをやります。12月には大阪で、広沢タダシくんをゲストに迎えてアコースティック・ライブを、そして来年の1月21日には東京のduoで久しぶりにバンド編成でのライブをやるのでぜひ来てください。
――では、最後の質問です。デビュー当時、「おばあちゃんになってもずっと歌っていたい」とインタビューでよく話されていましたが、20年後の今も同じ気持ちですか?
そうだね、声が出る限りは。聴きたいと思ってくれる人がひとりでもいるうちはやっていたいね。

血の通った彼女の歌声には、閉じた心に寄り添い、凍った心をとかす魔法のような力がある。そんな矢野まきが開催する2020年1月21日(火)の東京公演チケットは、本日10月26日に一般発売されたばかりだ。
彼女の生歌を、できることなら日本の音楽ファンすべてに聴いて欲しい。

取材・文=早乙女‘dorami’ ゆうこ 撮影=おぎのわかこ

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