【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#119
音楽家・巻上公一の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

なんにせよ、音楽を発展させていくとき
には、人と会うってのはとても大事だと
思うよ

より

巻上公一といえば、テクノポップファンの多くは、80年代にムーブメントを牽引したテクノバンド・ヒカシューのリーダーという印象が強いのではないだろうか。このインタビューでは、そんな巻上が、ヒカシュー以前に役者として活動していた事実や現在のように超歌唱家として世界中から招聘されるようになるまでの道筋などが解き明かされて行く。その流れは、様々なジャンルのアーティストとの出会いに満ちている。まず、巻上がロンドンの劇団で役者として活動していた18歳の頃、その劇団のパトロンだったピンク・フロイドのロジャー・ウォータースと出会っている。巻上の音楽家としての原点はそこにあった。今回の名言は、色々なアーティストと繋がるきっかけとなった一つのエピソードの後に語られた一言である。ジョン・ゾーンという有名なNYの即興音楽家と友達になったことで「日本に来るアーティストがおれに連絡をよこすようになった。いいマッサージ屋はないか! って(笑)」という。まさに、「なんにせよ」なのだ。これは、音楽に限らず、何かを発展させるために大事なことだと考えさせられる。巻上の行動力を見習いたい。


巻上公一(まきがみこういち
1956年1月25日生まれ、静岡県熱海市出身。前衛音楽バンド・ヒカシューのリーダー。日本トゥバホーメイ協会代表。音楽家、超歌唱家、ソングライター、プロデューサー、作詞家、作曲家、俳優。コルネット、ベース、エレクトロニクス、口琴、テルミンなど、様々な楽器の奏者としても活動。1973年、高校在学中に劇団『東京キッドブラザーズ』に入団。1974年、ロックミュージカル『ザ・シティ』海外公演で舞台デビュー。ロンドンにて、『東京キッドブラザーズ』を退団し、ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズが出資していたフリンジ劇団『ルミエール&サン』に参加。その劇団で音楽を担当していたプログレバンド『ヘンリー・カウ』に強い影響を受ける。1976年、ロックミュージカル劇団『ミスタースリムカンパニー』の旗揚げに参加。同年、高校生時代に活動していた自身の劇団『ユリシーズ』を再結成。1978年、ヒカシューを結成し、吉祥寺のライブハウス『羅宇屋』デビュー。1980年代、PLASTICSP-MODELと共にテクノ御三家とか呼ばれ、脚光を浴びる。ヒカシューは、現在もなお前衛音楽バンドとして活動を続けている。1995年、ソロヴォイスアルバム『KUCHINOHA』をきっかけに、ヨーロッパや北米で注目され、コンテンポラリーミュージックのフェスティバルでも活動するようになる。2017年、トゥバ共和国で行われた『国際ホーメイフェスティバル』で、巻上公一率いるアンサンブルアートマンが優勝を果たす。現在、自著『声帯から極楽』(筑摩書房)で歌唱の可能性を追求した「超歌唱法」の実践普及活動の一貫として、東京・大田区の『いずるば』にてヴォイス・パフォーマンスのワークショップを毎月開催している。

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