小椋佳×佐渡寧子 貴重な師弟対談が
実現!駆け抜けた27年の女優人生を振
り返る

『レ・ミゼラブル』、『回転木馬』、『オペラ座の怪人』、『キャッツ』……数々の大作ミュージカルでヒロインを演じ、その凛とした佇まいと真っ直ぐな歌声で存在感を放ってきた女優、佐渡寧子。2015年末に劇団四季を退団した佐渡は、近年は舞台・コンサート出演の傍ら歌唱指導や作曲活動といった新たな表現活動への一歩を踏み出している。
そんな彼女を、叱咤激励しながら長年見守り続けてきた人物がいる。これまでに多くのオリジナル舞台作品のプロデュースを手掛けてきた、シンガーソングライターの小椋佳(おぐらけい)だ。
佐渡のニューアルバム『Daylight』発売を記念して開催される『佐渡寧子 Birthday Live』を目前に、貴重な師弟対談が実現した。
3人の恩師との出会い
――佐渡さんは今年、デビュー27年目を迎えられました。今改めて女優人生を振り返ってみて、ご自身にとってターニングポイントとなった出来事を教えてください。
佐渡:やはり小椋さんとの出会いが大きかったです。私は20代の頃、主に東宝ミュージカルや小椋さんのミュージカルに出演させていただいたんです。
小椋:僕と佐渡さんの出会いは、『ミュージカル:エルダ Vol.3 メロディ』(1999年)という作品にヒロインとして出演してもらったのが始まりだね。
佐渡:そうです。振り返ってみれば、どれもものすごく素晴らしい作品ばかりでした。とても恵まれたスタートを切ったと思います。ただ、30歳を前にした頃、ミュージカル女優としてどこに向かって学んでいくべきなのか迷うことがありました。そんなとき、若い頃の仲間が劇団四季にいまして、四季には方法論があると聞いたんです。話を聞くうちに、そういった方法論を一度自分の中に入れることも大事なことかなと思い始めて……。小椋さんと仕事をする中でも、そう思わされることが多かったんですよ。

佐渡寧子

小椋:僕は、佐渡さんに結構厳しいことを言っていたのを覚えている。滑舌が悪いとか、何を歌っているのかわからない、とかね(笑)。
佐渡:いえいえ、今考えたらどれも宝物です。例えば、小椋さんは「母音って5つあるじゃない?どこの母音にいくときにもニュートラルな部分を通らないといけないよね」と、図解しながら説明してくださったこともありました。私はオペラから入ったので、声を響かせる方法は学んできたけれど、言葉をどんな風に表現するかを問われたときに対応できなかった。私にとってそれはすごく難しいことだったんです。小椋さんの言葉の世界を届けなきゃいけないのに、つい音楽のメロディや声の響きに頼ってしまって……。
これはなんとかしなきゃと、まずは方法論に染まってみようと思い立ったんです。そこで自分の意志で浅利(慶太)先生にお手紙を書いて、私の歌を聞いてください、と劇団四季の門を叩きました。31歳になったときのことです。それが、私にとっての大きな転換期でした。
小椋:20年前かあ。四季って滑舌には厳しいんだよね?
佐渡:そうですね。言葉(台詞)を役者のエゴで潰してはならないということです。それを習得するのは決して簡単なことではありませんでした。今までやってきたことも全部覆されて、一挙手一投足ダメ出しを受けたり……当時は本当に大変でした。
浅利先生は小椋さん以上に厳しい方で、ほとんど人を褒めることはないのですが、「今日お前の表現が始まったんだぞ。わかるか」とおっしゃったときがありました。褒められたのはその一回だけ(笑)。昭和三部作の一つである『異国の丘』に携わっているときのことでした。
ーー『異国の丘』は、佐渡さんの四季でのデビュー作でしたね。
佐渡:私が四季に入って間もない頃、稽古場の個室で『異国の丘』の中の曲をピアノで弾き語りしていたんです。その廊下にたまたま浅利先生が通りかかって!「なんだ、『異国の丘』をやっているのか。勉強しとけよ」と言って出られました。四季では、「勉強しとけ」という言葉は「制作部へ行ってその台本をもらい、自分なりに勉強して出演できるように準備しておきなさい」というチャレンジの言葉なんです。
佐渡寧子
ーー小椋さんは、四季在団中の佐渡さんの舞台は観ていらっしゃったんですか?
佐渡:小椋さんはお忙しい方ですから、これは観ていただきたいというものだけはご連絡していました。『異国の丘』は小椋さんにも観て頂けましたね。終演後、面会の場での小椋さんの第一声が「あれ?なんか全部言葉聞こえたね」って(笑)。
実は、『異国の丘』出演のきっかけは小椋さんが作ってくださったと思っているんです。私はクラシック出身の人間だけれども、小椋さんとの仕事を通じて言葉を表現することの大切さを学んできました。それに、『異国の丘』は、たくさんのヒット歌謡曲を生み出された三木たかし先生が全曲作られた作品でしょう。そういった点で、小椋さんの作品に近いものを感じていたんです。なので、言葉と必死に向き合い言葉を表現しようとしている姿勢を見て、浅利先生は大きなチャンスをくださったのかな、と思っています。私のような外部からの人間が、四季の真髄ともいえるオリジナル作品のヒロインでデビューするなんて、ありえないことだったと思いますから。
小椋:四季では何本くらいの舞台に出たの?かなりの数でしょう?
佐渡:数えられないくらい。私、四季で上演されている演目のほとんどの台本を持っているんです(笑)。出演はなかったけれど、稽古には入っていたという作品もあります。
小椋:四季時代はしょっちゅう弱音を吐いていたよね。
小椋佳
佐渡:常に3本くらいの台本を抱えて、あっちの現場こっちの現場と、本番をやりながらも常にお稽古していました。私は若い頃から四季で生え抜きでやっていたわけじゃないので、すぐに参ってしまって……。心も体もついていけなかったんです。在籍中、何度か精神的に参ってしまうこともありましたね。
ーー四季の方法論を吸収しつつも、相当過酷な日々を過ごしていたんですね。そんな日々の中で、佐渡さんには小椋さんと浅利さんという二人の恩師の方がいらっしゃったと。
佐渡:恩師にはもう一人、私のデビュー作『ファンタスティックス』を演出してくださった中村哮夫(なかむらたかお)先生という方もいらっしゃいます。『ラ・マンチャの男』を日本で初めて演出された方です。中村先生もですが、恩師の先生方は皆さん文学者のような、哲学者のような面を持って居られます。そういう方たちの影響をいっぱい受けて来られて、私は幸運でした。
舞台には文学性がないといけないと私はずっと思っていて。文学の立体化と言えばいいでしょうか。今は、2.5次元舞台の人気が高まっていたりと舞台にも新しい流れがあって、それはとても面白いことだと思います。でも、昔ながらのもの、アナログともいうんでしょうか。それをやっていく人間もいたって良いんじゃないかなと思っているんです。セットも何もなくても、体一つで表現できることが沢山あります。そんな表現も仲間と作っていけたら最高です。
小椋:時代的に文化の大きな流れが変わってきているよね。CDも昔のようにはなかなか売れない。でもどういうわけか、生のステージにはお客さんが来てくれる。その世界は残っているわけだから、エンターテインメントとしていかに成立する舞台を作れるかが大事、ということだよね。
小椋佳
朝の光を浴びるように、ゆったりと人生を味わいたい
ーー10月26日(土)に発売となる、佐渡さんのニューアルバム『Daylight』についてお話を伺いたいと思います。
小椋:CDを作るのは今回が初めて?
佐渡:改めて作るのは初めてです。舞台のライブ録音に参加したものがいくつかと、去年大阪でライブをしたときのミニアルバム『The moments』があります。
ーーそのミニアルバムでは四季時代の代表曲が中心に収録されていますが、今回のニューアルバムの選曲はどのようなものになりますか?
佐渡:前回のCDの選曲とは全く違ったものになると思います。現時点で言えるものには「サークル・オブ・ライフ」(『ライオンキング』より)、「Seeing is Believing」(『アスペクツ・オブ・ラブ』より)、「スピーチレス」(映画『アラジン』より)がありますが、他にも、これまでにない大チャレンジの曲も入る予定です!
ーー他の選曲も楽しみですね。ちなみに、アルバムタイトルの『Daylight』はやはり「メモリー」(キャッツ)の歌詞から取ったのでしょうか?
佐渡:それもあります。……ただ、振り返るとずっと走り続けた27年間だったなと思っていて。私、いつも欠乏感でいっぱいだったんです。あれも足りてない、これも足りてない、もっとこうじゃなきゃって。自己肯定感が凄まじく低くて、自分のことを認めることができなかった。むしろ認められたら終わりだと思っていて(笑)。小椋さんからも「君は硬い。もっとしなやかに生きられないのかなあ」と言われた程。20代の頃に、ですよ!?(笑)。最近はもうちょっと肩の力を抜いて、音楽を楽しみながら自分の世界を作っていけたら良いのかな、と思うようになりました。
佐渡寧子
あと、最近父が大きな病気をして。そのことがきっかけで、父と穏やかな時間を初めて持てました。ようやく、父ってこんな人だったんだなあって。多分、まだまだ私は父のことを知らない。そして父も私のことをあんまり知らないんですよ。本当に働き詰めの人だったので……。そういうこともあって、朝の光を浴びるようにゆったりと人生を味わう時間を持てたら良いな、と。家族との時間も、私個人としても、そんなイメージを持って『Daylight』というタイトルをつけました。
ーーCDアルバムの構想自体は、以前からされていたんですか?
佐渡:ええ。元々はミュージカルのベストセレクションのようなものを考えていたんです。けれど、昨年ライブ録音のCDを作ることができたので、異なる趣向のものを作りたいと改めて思いました。それに、父も元気づけたくて、家族をテーマにした曲も今回オリジナルで作りました。私が作詞をしています。
ーー素敵ですね。そんな想いが込もったCDの発売と、佐渡さんのお誕生日を記念した『佐渡寧子 Birthday Live』が10月26日(土)に東京・eplus LIVING ROOM CAFE&DININGで開催されます。
佐渡:今回のライブはピアノ1本でやろうと考えているんです。ピアニストとして参加いただく橋本しん(Sin)さんは、ニューアルバムでアレンジを手掛けてくださる方でもあります。今まさに、彼と一緒に本番に向けて作り込んでいるところです。
ーーライブには昼公演に今井清隆さん、夜公演に中井智彦さんという二人のゲストが登場します。今井さん、中井さん、それぞれとのエピソードを教えてください。
佐渡:今井さんとは、94年の『レ・ミゼラブル』と2001年に小椋さん作の『歌綴り・ぶんざ』という作品で夫婦として共演させていただきました。
小椋:色々なジャンルの歌い手に役者になってもらいました。あれは実験的な芝居だったね。

小椋佳

佐渡:はい、和楽器を取り入れた刺激的な作品でした。昨年大阪でライブをしたときも今井さんにゲスト出演していただきましたが、それは『歌綴り・ぶんざ』以来の共演だったんです。でも今井さんは全然変わらないんですよ。お声も本当に素晴らしくて。ライブのリハーサルのときに、色々な思い出を懐かしく話しました。
ーー中井さんとは、四季での『アスペクツ・オブ・ラブ』以来の共演ですか?
佐渡:そうですね。中井くんは四季を退団してからもあちこちで活躍なさっています。特に詩人の中原中也が大好きで、その詩に曲をつけて歌うという活動もされていて。彼は四季にいるときから、よく作曲して弾き語りしていたんですよ。「一体あなたはどういう方面に行くの?」と、よく笑って話していました。
実際に、中井くんのライブで彼の作った曲を聞いたこともあります。私も中原中也の詩は好きだったので、どんな風になるのかなと思っていたら、とっても良かったので、中井くんにはこんな才能もあるんだな、と驚きました。私も詩の世界が好きなので、とても親近感を持っています。
ーー東京で開催される佐渡さん個人のライブは、今回が初めてになります。非常に貴重な時間になると思いますが、どんなライブにしたいですか?
佐渡:四季に所属していた頃は、正直、劇団のルールの中で歌っていた部分があります。今はちょっとだけそこからはみ出して、“私の歌”が歌えたらいいな。いろんな事を乗り越えてきて、今が一番、自分の表現になってきていると思うんです。消費する音楽ではなく、いい音楽を長く歌い継いでいきたいですね。言葉の力や音楽の力が前面に出るようなライブを目指します。
小椋:歌は一曲一曲、命をかけてやらないとね。佐渡さんが今後どんな活躍をされるか楽しみにしています。
左から 小椋佳、佐渡寧子
取材・文=松村蘭(らんねえ) 撮影=安西美樹

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