【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#107
ミュージシャン・小林克也の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

誰も俺たちを上回ることはできない

より

小林克也といえば、『スネークマンショー』、『ベストヒットUSA』、そして、小林克也とザ・ナンバーワン・バンド。どれに触れたかで、小林に対する印象はたいぶ違うのではないだろうか。このインタビューでは、DJとしてではなく、ミュージシャンとしての小林の音楽哲学を知ることができる。ザ・ナンバーワン・バンドのギター佐藤輝夫が「僕の発想を克也さんに提示すると、パンクになって返ってくるというか、全部壊してくれる。まったく思いもよらないものに変わる」と小林の音楽性に触れる。小林は「だけど、何かを作るって、そういうことだと思うんだよね」と答え、今回の名言につながる。これぞ、ロックンローラーの心意気!

小林克也 (こばやしかつや)
1941年3月27日生まれ、広島県福山市出身。DJ、ナレーター、ミュージシャン、俳優。1970年、ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)の『バブリング・ポップス』にてDJデビュー。1976年、選曲家の桑原茂一とともにラジオ番組『スネークマンショー』(ラジオ大阪)を開始。DJスネークマン(小林)の音楽番組としてスタートしたが、後に伊武雅刀との過激でユニークな掛け合いが人気を博し小林・伊武コンビの構成となる。1980年、テクノポップバンドYMOの4枚目のアルバム『増殖 – X∞Multiplies』に『スネークマンショー』が参加したことでムーブメントが起こる。同年、漫才ブームを牽引したバラエティー番組『THE MANZAI』のナレーターとして器用される。1981年、洋楽ミュージックビデオを紹介する深夜番組『ベストヒットUSA』で司会を担当。1982年、中年ロックバンド 小林克也 & ザ・ナンバーワン・バンドを結成。和製ラップの元祖とも言われる、ハワイ移民の広島弁をモチーフにした「うわさのカム・トゥ・ハワイ」でレコードデビューを果たす。1984年、石井聰亙監督の映画『逆噴射家族』で主演デビュー。現在もなお、DJ として、ミュージシャンとして精力的に活動を続けている。

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