サザンオールスターズはどうして
国民的バンドと呼ばれるのか?
『バラッド3
〜the album of LOVE〜』
収録曲の私的一考察
非シングル曲「希望の轍」へ集まった
支持
日本国民の大多数に愛される要素がどこにあったのか。正直言ってそのバロメータみたいなものは計ることはできない。しかし、結果的にそうであることを認めざるを得ない場面は確実にあった。直近で言えば、2018年の第69回紅白歌合戦、その大トリでの演奏シーンがそうである。紅白歌合戦も一時期に比べれば視聴率が低迷し、こちらもまた揶揄の対象とされることがなくはないが、それでも40%前後の数字を挙げるのだから(第69回は後半の平均が41.5%)、依然、日本国民にとって年末の風物詩であると言える。そこでサザンが大トリを務めた意味は極めて大きい。ステージ上に北島三郎、松任谷由実ら他ジャンルの大物を呼び込んで大いに盛り上がったことに対しても、大方の見方は歓迎ムードだった。“時代が変わった”という趣旨で報じる芸能マスコミもあった。
個人的には、そこで演奏されたのが「希望の轍」と「勝手にシンドバッド」であったことも重要だと考える。「希望の轍」はサザンの代表曲のひとつであるものの、シングル曲ではない。そればかりか、元々サザンの楽曲ですらない。映画『稲村ジェーン』(1990年)のサウンドトラックに収録されていたのもので、サザンのライブで演奏されることでバンドの楽曲となり、それがファンにも周知されていったものだ。のちに様々な有名人がこの楽曲が好きなことを公言していったが、そもそもはバンドとファンがライブを重ねる中で育んできた楽曲である。それが平成最後の紅白歌合戦で披露されたことはライブバンド、サザンの面目躍如であり、それを堂々と天下に示したと言える。
サザンのデビュー曲「勝手にシンドバッド」は(上記、レコード大賞の件で説明した通り)“サザンによって時代が変わる!”と思う人も多数出現するほどに音楽シーンに強烈なインパクトを与えたものの、1978年当時の音楽シーン、芸能界の壁を崩すことができなかった。そこにはレコード会社やマネジメント会社の力学やらナンチャラもあったのだろう。しかし、そこでサザンは、例えばテレビ出演を一切拒むといったように腐るわけでもなく、ドラマやCMでの楽曲タイアップがあったものの、バラエティ番組に出演したりするような過度に芸能寄りになるようなこともなく、持ち場を堅持し続けた。
それほど多くの全国ツアーを行なってきたバンドではないことと、バンドとしての休止期間も長く、案外コンスタントに活動していないことを挙げて、サザンが“国民的バンド”と呼ばれるのはどうだろうかと筆者は悪態をついたが、デビューした1978年から少なくとも2000年くらいまでは、原由子の産休期間を除いてはサザンの動きは止まっていない。産休の1986~1987年を除けば、ライブを欠かしてもいないし、その実質20年間でシングル44枚、オリジナルアルバムは13枚を発表しているのだから、十分活発に動いていたと言える(2000年以降はそのペースが落ち着いていくのだが…)。音源制作とライブ。音楽家として真っ当な道を歩んだのだ。そんな中で生まれ、ファンと共に育ってきた「希望の轍」が、デビュー時に業界内で評価が分かれた「勝手にシンドバッド」と共に、日本国民の年末の風物詩で披露された。このことが即ちサザンが“国民的バンド”である必要条件になったわけではないだろうが、多くの人が納得のいく形での、かなり色濃いお墨付きは与えられたことは確かだろう。
単なるベストではない『バラッド3』
CD2枚組、全28曲収録。上記2曲の他、「真夏の果実」「涙のキッス」「LOVE AFFAIR 〜秘密のデート」などの人気曲が収録されている一方で、「女神達への情歌 (報道されないY型の彼方へ)」や「愛の言霊 〜Spiritual Message〜」といったシングルでも一風変わった(?)マニアックとも言えるナンバーもある。また、サザンが影響を受けてきたオールドスクールなロックへの敬愛が感じられる「HAIR」や「愛無き愛児 〜Before The Storm〜」があったり、松田弘がボーカルを務めた「夏の日のドラマ」が収められていたりと、所謂シングルベスト的な作品集ではないのもいい。そこにバンドとしての意思がちゃんと見える作りであるのもサザンのバンドとしての矜持を感じられるところである。
TEXT:帆苅智之