エレファントカシマシ『悲しみの果て』が示す希望とは

エレファントカシマシ『悲しみの果て』が示す希望とは

エレファントカシマシ『悲しみの果て
』が示す希望とは

名曲が持つ意味とは…
『悲しみの果て』がリリースされたのはデビューから8年が経った1996年4月のこと。
今では名曲として愛されているこの曲は、実はリリース当初決して多くの注目を集めていなかった。
バンドの歴史とともに、この曲の持つ意味を問い直してみたいと思う。
挫折からの再出発
エレファントカシマシ(以下エレカシ)のデビューは鮮烈だった。時は1988年。昭和から平成にかけてのバンドブームで多くのバンドがデビューしていた時代だ。
その中でもエレカシの個性と存在感は群を抜いていた。ザラザラにそぎ落とされたサウンドに文学的な歌詞。そして客をにらみつけるように歌うボーカル宮本浩次のキャラクターは明らかに異彩を放っていた。
デビュー以降エレカシは順調に作品をリリースする。コアなファンや音楽評論家からは高い評価を受けるものの、一般的なヒットとは程遠い状況だった。
自分たちの音楽が広く受け入れられない現実に対する迷いやいら立ちが曲にも表れるようになる。1994年の『東京の空』は非常に抜けのいいアルバムであったが、不発。
エレカシは当時所属していたエピック・ソニーとの契約を打ち切られてしまうのだった。
エレカシはバンドの継続を選び地道にライブ活動を続け、新曲を演奏していく。そうして新しいレコード契約を勝ち取り、1996年4月にリリースされた再出発シングルが「悲しみの果て」だった。
『悲しみの果て』にあるもの
悲しみの果て
宮本浩次は「悲しみの果て」に何があるのか知らないと歌う。
そこに具体的な答えを提示することはしない。「あなた」というのは歌の主人公にとって大切な人間なのだろう。
辛く追い込まれた状況で浮かぶ顔というのは、多くの人にとってはすがりたい、安心を得たいと思う相手であるはずだ。
レコード契約を失うというどん底を経験したエレカシは、まさに悲しみの中にあり、失意の中にいたことだろう。しかしその時期を乗り越えたことで彼らは新しい強さを手に入れたのだ。同時に、どん底にいる者たちへの優しさをも。
実際に苦しんだ人間が歌うからこそ、この曲には説得力が宿っている。歌詞の中には何も難しい言葉などない。誰でもわかるようなシンプルな言葉とメロディーで、力強く立ち上がり前に進むことを教えてくれるのだ。
確実にそこにある「希望」
「部屋を飾る」、「コーヒーを飲む」。こうした何気ない日常こそがこの曲の前向きさを象徴しているようにも思う。そしてラストは「素晴らしい日々を送っていこうぜ」なのだ。
素晴らしい日々なんてどこにあるんだよ、とやさぐれることは簡単だ。
しかし、誰あろうエレカシこそがどん底から抜け出し、この曲を手にしたのである。具体的ではないからこそ、時代を選ばず常に聞く者の心に入ってくる曲なのかもしれないと思う。
『悲しみの果て』は自分たちの音楽が広く受け入れられずに悩んでいたバンドが手にした「ヒット曲」であると同時に、いつの時代も聞く者に希望と前向きさを与える永遠の名曲なのだ。
TEXT まぐろ

UtaTen

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