ドレスコーズ 志磨遼平の音楽と思想
、2年ぶりの新作『ジャズ』が掲げる
コンセプト“人類最後の音楽”を解く

アルバムをじっくり聴きこむという行為が風化しつつある2019年という時代に、これほど壮大なスケールの“コンセプトアルバム”が聴けるとは思いもよらなかった。志磨遼平によるドレスコーズ、2年ぶりの新作『ジャズ』が掲げるコンセプトは“人類最後の音楽”。ジプシーミュージック(ロマ音楽)を大胆に取り入れた異国的サウンド、悲しいほどに美しすぎるメロディ、滅びゆく人間の終わりを静かに見つめる詩的で哲学的な歌詞からは、切なくもクールなデカダンスと、ロマンチックな情緒があふれ出して止まらない。2010年代の終わり、平成から令和へと移る世の中で、彼はいかにしてこの大作を産み落としたのか? 志磨遼平の音楽と思想に耳を傾けよう。
――『ジャズ』は非常に濃密な、深遠なテーマを掲げたコンセプトアルバムになってるわけですけども。2年前の前作『平凡』もそうで、あの時に「初のコンセプトアルバム」というふうに言ってましたね。
ドレスコーズとしては、そうですね。毛皮のマリーズの『ティン・パン・アレイ』(2011年)もコンセプチュアルではあったけども、歴としたコンセプトアルバムというのは初めてだったかもしれない、『平凡』が。
――当時、あるフリーペーパーにレビューを書かせてもらったんですけどね。近未来の、資本主義が行き詰った時代の、行き過ぎた平等化社会と人間の個性の軋轢という設定があって、“ノーマリストとミーマリスト”の対立というストーリーとメッセージがあって。あまりに濃密で、あの内容を200字にまとめることは不可能でした(笑)。
すみません(笑)。
――今回は、それにも増して壮大な、メッセージ性の強いコンセプトアルバムじゃないですか。今回聴いて思ったのは、『平凡』の続編ではないけれど、あれがあってのこれ、ということを非常に感じたんですね。
僕自身も、そういう意識はありますね。『平凡』以前と『平凡』以降では、作風がガラッと変わりました。
――内容的にも『平凡』の続編というか、コンセプトを踏まえてここに至ったわけですか。
言うならば、ポリティカルな意識が『平凡』以降にはあるという感じです。たとえば、おっしゃっていただいた『平凡』の設定は、ものすごいトンデモ話ではないというか、当時はすごくリアルな実感があったんです。なので『平凡』の続編というよりは、『平凡』から2年経った今の実感がこのアルバムなのかなと思いますね。かっこよく言うと、どちらも「時代が私たちに作らせるアルバム」という感じかもしれない。
ドレスコーズ 撮影=西槇太一
人類はすごく進化して、繁栄してきたけど、生物としては、生き残りをかけて競い合うような熾烈な時代は終わって、譲り合って許し合って、徐々に数を減らしていって地上からフェードアウトするのでは? という気がしたんです。
――今回、最初に降ってきたテーマやキーワードは、何だったんですか。
そもそもは、何だったのかな……。『平凡』を作り終えて、『三文オペラ』という古いお芝居の音楽監督をやったんですね。その『三文オペラ』も、奇遇というのか何というのか、同じような問題意識を持っている作品で、第一次世界大戦後のヨーロッパで書かれた作品なので、格差の問題であるとか、混乱している状況があるわけです。僕は毎日ぼーっと暮らしてるんですけども、そんなこんなで、ふと思ったんですよね。たとえば、平成が終わりますけど、“平成は初めて大きい戦争がなかった時代です”と言われて、ああそれは良かったなと。いい時代に生まれたもんだと。そして“格差をなくそう、性差をなくそう”とか、みんな平らかにしていく、それはいいことだと思いますと。それにしても、そうやって相手のことを思いやって、譲り合って、許し合って、仲良く生きていきましょうということを思う生き物って、人間だけなんじゃないかな? というようなことを思ったわけです。動物には、縄張り争いや、生存競争や、いろいろあるでしょうし。それはさておき、人類というのは、生き物として、もしかしてすごく緩やかに……人類というものはすごく進化して、成長して、より良い方向に向かって、繁栄もここに極まれりということになったわけですけど、生物としては、すごく緩やかに衰退しているのではないか? という気がしまして。生き残りをかけて競い合うような熾烈な時代は終わって、これからはすごく穏やかに、みんなで和やかに、譲り合って許し合って、“いやー平和だね良かったねー”と言いながら、徐々に数を減らしていって地上からフェードアウトするのでは? という気がしたんです。長くなりましたが、そういうところからです。
――その感覚は、わかります。
そういうことを考えてると、いろんなことが気になってきて。
――符号しますね。少子化もそうだし、ジェンダーの問題もそうだし。LGBT支援に対して馬鹿なことを言った政治家もいましたけど、それにも繋がってくる。
もちろん誰も差別されるべきではないと思っていますが。
――思うんですけど、でも種としては、減っていく方向にあるのは間違いない。
摩擦をなくせば、熱は生まれなくなるので。生物としてはもうそのタームを終えたんだろうなあ、あとは精神的な充足を求めて数を減らしていくんだろうなあ、と思うと、人類はなんて数奇な運命をたどる種なんだろうと。
――今の話ってまさに、7曲目「もろびとほろびて」のサビの歌詞にそのまま書いてありますね。
はい、はい、そうですね。この曲はラップなので、一番説明的な歌詞かもしれないですね。このアルバムのコンセプトの。
――その意識を持って、人類という種の滅亡というテーマで、一枚のアルバムを作ろうと。
そういう現代社会の問題を一つずつ挙げていこうかなって、最初は思ってたんですね。それを1曲ずつにして12個集めたら、なんとなく今の僕らが置かれている状況がわかるようなものにしようと思って。たとえば男女の性差をテーマに1曲とか、主義思想の対立をテーマに1曲とか、移民をテーマに1曲とか……そういうふうにやろうと思ったんです。でもあまりロマンチックなやり方ではない気がしてきたので、結果的には“人類の行き着く果て”っていう大きい一つのコンセプトにまとめて、作り直しました。
――やっぱり、言葉が大事ですか。楽曲を作る時には。マリーズ時代、10年くらい前に、“僕はメロディの奴隷です”と志磨さんが言った、その言葉がすごく頭に残ってるんですけども。
ああ、はい。
――でも楽曲として表現する時には、コンセプトとしての言葉のほうが重要になってくる。
まあ、同じぐらいと言いますか。たとえば文章としては優れていても、歌にするには音韻が悪い、響きがメロディに合わないっていう場合があるんですね。あるメロディが“あ・い・う・え・お”という母音を求めている、となると、そこにはまる言葉は「愛ゆえの」とか「マジ上野」とか(笑)、その制限の中で言葉を探さないといけないので。そこがいつも難しいところで、面白みでもあるんですけど。
――やっぱり、メロディが先にある。
うん、なので、同じぐらいの比率かもしれないですね。当然でしょうけど。言葉としても面白くあるべきだし、メロディとしても素晴らしくあるべきだし。
――そこが志磨さんの曲の、凄みだと思うんですね。メロディの良さ、言葉の響き、コンセプト、ストーリー、全てが高いレベルで合致して曲になっていく。
だから、情報量がどんどん過剰になっていってるんですよ。『平凡』以降。コンセプトの話だけでも面白いし、リリックとしても面白いと思いますし、自画自賛ですけども。たとえば今回で言えばジプシーミュージックっていう音楽性に特化して話すこともできますし、単純に、参加してくださったミュージシャンのお話をするだけでもすごく面白いし。スカパラのお二人(加藤隆志、茂木欣一)のこととか。だから、レイヤーが何層にも重なっているので、難しいんですよね。簡潔に説明するのが。
――それで困ったわけです、前作のレビューを書く時に(笑)。本当に、“聴いて、いろいろ発見してください”ということになってしまうんですけども。
普通に“メロディがすごくいいですね”と言ってもらえても嬉しいんです。いろんな角度から検証して作るので。コンセプトとしても破綻していないか、詩としても優れた内容か、メロディはきれいに並んでいるか。レコーディングの音響的にも、今回すごく面白い実験をしているし、とにかく重層的、多角的に作ってあります。長持ちする作品と言いますか。何年でも聴けるように。
――本当に失礼な言い方ですけどね。めんどくさいことやってるなって、自分で思いません?
いやー、そうですねえ(苦笑)。
――シンプルに、ロックンロールを歌うだけでも、かっこよく成立しちゃう人だと思うんですね。志磨さんは。
そう、それもね、面白いんですけど。それこそ“時代がそうさせる”ということじゃないですか。僕は本来すごく、頭がお花畑の人なので、“わーい”って、好きなことだけをやってきたというか。そんなおぼっちゃんの僕でも、今は、やや気になるようなことがたくさんある。でも、“世の中をよくするためにやる”とかではないんですよ。そこがやっぱりお花畑なのかもしれませんけど。たとえばブレヒトの『三文オペラ』がそうだったように、ピカソの「ゲルニカ」とかもそうだと思いますけど、混沌とした時代の中で作品を作るということに、単純にテンションが上がっちゃってるんですよ。“ブレヒトの言ってる意味がめっちゃわかるぞ!”みたいな(笑)。まさか自分がそんな時代に巻き込まれるとは思ってもいなかったというか、“ロックンロールだぜ”とか言って死ねればいいと思ってたんですけど、今、ものを作るなら自然と、たとえば“ロックンロールだぜ”と言うだけでも、何かしらのポリティカルな姿勢の表明になるという時代だと思うので。だったら、思い切り時代の空気を吸わないともったいないじゃないですか。それが今は面白いんですね。なので、自然とそうなっているのかもですね。めんどくさいことに。
――めんどくさいは、言い過ぎましたけど。
いえいえ、自分でもそう思います。めんどくさいなあって。
ドレスコーズ 撮影=西槇太一
――それを、どんなふうに聴いてもらうかですね。ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』とか、あんなものが馬鹿売れした時代とは、今は違うので。
そうなんですよね(笑)。でもまあ、曲自体は今回そんなに長くないですし、現代的な感触みたいなものもあると思いますし。フォーマットと言うのかな。
――そうなんですね。正直、ファンクで統一された『平凡』よりも、スッと耳に入るキャッチーさはあると感じました。
『平凡』は、自分の問題でもあったんですね。あの時は、“なんで1年に1枚アルバムを出すのかな?”とか、そういうことを考え始めちゃったんですよ。“そっか、出さないと話題にならないから出すんだ”と。ずーっと出さないと、“あの人最近何してんの?”“仕事なくなったのかな?”みたいな(笑)。そしたら過去の作品も聴いてもらえなくなる。これって経済の仕組みと同じなんだなと思ったんですよ。余剰に在庫を抱えないと、お金が回らない。
――それこそ資本主義ですね。
そういうふうに思って『平凡』を作ったということは、まだ“志磨遼平の個人的な悩み”がテーマだったと思うんですね。でも今回は、それすらもないですからね、たぶん。“僕の”ということではなくて、ものすごく広げて言っちゃうと“人類の”というお話なので。そこらへんが、押しつけがましくなくていいかもしれない。今回は。
――アルバムのサウンドを決定づけている、ジプシーミュージック、ロマ音楽についてですけども。これは、元々やりたいと思ってたことですか。
それは、最近です。ここ2、3年ですね。
――きっかけがあったんですか。
エミール・クストリッツァという映画監督がいて、あの人の映画がすごく好きなんですけど、映画に出てくるロマ音楽の楽隊は、クストリッツァがやっている本物のバンドなんですね。そのバンドが来日したのが2年前で、『平凡』のすぐ後で、見に行って“うわーかっこいい、次は絶対これだな”と。ミーハーなんで(笑)。
――志磨さんらしい。ロックから簡単に離れますよね(笑)。その軽やかさが凄いと思う。
そんなに器用ではないので、いろいろやったところで、代り映えはそんなにしないというのも、なんとなく自分でわかっているので。突拍子もないものにはならないだろうと、僕は思ってやるんですね。ロックから距離を取ると言いつつ。
――絶妙ですね。アルバムのコンセプトと、ブラスやフィドル、アコーディオンを使った、ロマ音楽のもの悲しい旋律や楽器の響きと、流浪の民の音楽のイメージが、すごくマッチしてる。ある種の偶然というか、今やりたい要素が合致したということですか。
そうです。だいたい、後でこじつけるんです。音楽的にはただやりたいものをいつもやるんですけど、それをコンセプトに無理やりこじつけようと思えば、つけれるんです(笑)。『平凡』は“統制されて無個性になった未来社会”がコンセプトだったんですけど。ということは、ボーカルもギタリストもみんな平等に目立つロックが自由主義なのに対し、延々とリズムを刻み続けて誰もズレてはいけないファンクは全体主義の音楽じゃないか?とか、そういうふうにこじつけて(笑)。今回は、人類の、種としての旅の終わりという、最果てまでたどり着いてしまった民族、というイメージが、なんとなくロマ音楽とぴったり合ったんですね。
――アレンジは梅津和時さん。大御所です。
そうですね。僕がシンプルなデモを作って、それをもとに梅津さんがスコアを書いて。ブラスセクションの他にもバイオリンやアコーディオンとか、凄腕のミュージシャンの方を集めて下さって。即興演奏も多かったですね。ジプシー音楽は即興が多いので、僕らもそれに倣って。バイオリンの太田(惠資)さんという方なんか、スタジオに来るなり、曲も把握しないで、スーッと弾いて、梅津さんが“あーもう全然大丈夫”って言うと“そうですか、はい”って帰って行きました。凄かったです。
ドレスコーズ 撮影=西槇太一
もしかしたら自分たちが、死を逃れられない人類最後の世代かもしれない。そのうち僕らの子孫に、死を知らない世代が現れる。だから<しぬのは こわかったわ>って書いておこうと思ったんです。
――ずっと聴いていて、10曲目の「Bon Voyage」で一旦幕が下りて、ラストの「クレイドル・ソング」「人間とジャズ」の2曲は、滅びの風景を天から俯瞰してるみたいな、そんなふうに感じたんですけど、どうなんでしょう。
あ、でも、そうかもしれないですね。「クレイドル・ソング」は童話的な歌詞ですけど、2曲目の「ニューエラ」とたぶん繋がっていて、同じ登場人物なんですね。<星になれるのよ 死んだらね>で終わるのが「ニューエラ」で、<しぬのは こわかったわ>と言ってる「クレイドル・ソング」は、もう死んだあとだと思いますね。たとえば何千年か何万年か、人類が滅びた後に、どこかの誰かが僕らの遺跡を発掘するとするじゃないですか。どうも知的生命体がいたらしいと。まあまあ凄い文明があって、栄えてたっぽいと。で、いろいろ研究してる時に、このアルバムが発掘される。
――うわあ。それ、すごいシーン。
このアルバムのコンセプトを思いついた時の話に戻ると、たとえば社会学の先生や哲学の先生は、人類の未来をどう予測してるのかな? と思って調べてみたら、わりとみんな、僕の考えとそう遠くないことを言ってるんですね。『サピエンス全史』ってベストセラーになった本なんかでも、人類はどうも不老不死になるんじゃないか、と書いてあるわけです。医学はかつて死の病だった疫病をほとんど克服してしまった、最終的には老化も死もおそらく克服するであろうと。それもあと100年200年ぐらいで、医学や遺伝子工学はそこまで行くだろうと。そうなった場合、それはもはやホモ・サピエンスではない、進化した別の種である、という話なんですけど。まあとにかく、もしかしたら自分たちが、死を逃れられない人類最後の世代かもしれない。そのうち僕らの子孫に、死を知らない世代が現れる。だから<しぬのは こわかったわ>って書いておこうと思ったんです。
――凄いです。このアルバムもね、レビュー書けないですね。
またしても(笑)。
――要約できないですもん。まだ10分の一も理解できてない気がしますけど、でも今日の話で、大枠は感じ取れた気がします。
というアルバムです。
ドレスコーズ 撮影=西槇太一
――それが、なぜ『ジャズ』なのか、ということなんですけどね。
ああ、それは、そういう人間のあからさまな繁栄というか、文化としてもこの世の春を謳歌していた時代というものが、たぶん20世紀ぐらいにあって、そこから穏やかに衰退してゆく、人類のそういう時期を、“健やかなる時も病める時も”じゃないですけど、ジャズは全部共にしてきたんじゃないかな? と思ったんです。
――音楽のジャズですか。
そうです。ジャズは近代の産業や工業がワーッと盛り上がった時に生まれて、二つの大きな戦争があって、そこからだんだん世界中の人が精神的なものを見つめ直して、“果たして自分とは?”みたいなことになった時に、ジャズもモダンジャズになっていったり。あとは、語源ですね。JAZZというのは、騒々しくて中身がないみたいな意味があるので。このアルバムのテーマである、から騒ぎし続けた人類の歴史みたいなものに、ぴったり合うタイトルなのかなと思っております。
――アルバムをじっくり聴きこむということが、なくなりつつある時代だからこそ、こういうふうに、知的に考えさせる音楽があることは、大きな希望だと思うわけです。
こういうものを面白がる人も、たくさんいるでしょうしね。僕は、イージーなものも好きですけど、深ーく考え込むようなものも大好きなので、そういうものを作っちゃいますね、今は。でも、イージーにも聴けるように作ってますので、いろんな聴き方を楽しんでもらえたらと思います。
取材・文=宮本英夫 撮影=西槇太一

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