三枝伸太郎、小田朋美

三枝伸太郎、小田朋美

三枝伸太郎と小田朋美、
初のホールワンマンに向けて
アルバム『わたしが一番きれい
だったとき』の制作秘話を語る

2018年の3月に三枝伸太郎(Piano)と小田朋美(Vo)によるデュオがリリースしたアルバム『わたしが一番きれいだったとき:When I was young and so beautiful』。萩原朔太郎、茨木のり子、谷川俊太郎などの詩に瑞々しいエネルギーを注ぎ込み、多彩なメロディーでリスナーを魅了したこの作品は、どのようにして生まれたのだろうか? 7月17日(水)に行なわれる初のホール・ワンマンライヴに向けて、三枝と小田に語ってもらった。

芝居ではなくて
あくまで言葉を聴かせる

――2018年の3月にリリースしたアルバム『わたしが一番きれいだったとき:When I was young and so beautiful』は、“詩”という言葉を軸としながら表現することにとてもエネルギーを注いでいる作品ですね。

三枝:はい。僕は演劇とか映像にも興味があって、仕事として関わってもいるので、言葉というのは今後も大きな興味の対象だと思います。ただ、そっちに行き過ぎると演劇的になってしまうので、その辺のバランスは難しいんですけど。

小田:私たちにはいろいろなタイプの曲があるので、自分では演じているつもりがなくても“演劇的ですね”と言われることがよくあるんです。でも、そういうバランスを左右する境目って、たしかに難しいんですよね。

三枝:僕としては演劇的な要素があまり出ないようなバランスで作っているつもりです。つまり、芝居ではなくて、あくまで言葉を聴かせるということですね。

――文芸詩を取り上げているのも、言葉を聴かせることを大切にしているみなさんの姿勢の表れだと思いますが、こういう作風が生まれた理由は何だったのでしょうか?

三枝:小田さんは、このデュオを始める前から宮沢賢治さんの詩などで曲を書いていたので、それに影響を受けて僕も書き始めたんです。小田さんはもともと、どういう経緯で書き始めたの?

小田:私は大学でクラシックを学んで作曲をしていたんですけど、クラシックの世界では誰かの詩に曲をつけるというのは、わりと普通のことなので、自然にやっていたということもあるし、何より、詩に音楽が連れて行ってもらうような感覚になれるところが好きで、学生時代からそういうスタイルでやっていました。

三枝:昔の詩に今の感性で曲をつけて、今の感性で小田さんに歌ってもらうと、今のものとして聴こえる部分があるんですよね。“文芸詩”という言い方をするとまるで遠い世界のことのような感じもしますけど、“喋っている言葉は同じなんだな”ということも、こうやって曲にすると改めてよく分かります。

取材:田中 大
2018年の3月に三枝伸太郎(Piano)と小田朋美(Vo)によるデュオがリリースしたアルバム『わたしが一番きれいだったとき:When I was young and so beautiful』。萩原朔太郎、茨木のり子、谷川俊太郎などの詩に瑞々しいエネルギーを注ぎ込み、多彩なメロディーでリスナーを魅了したこの作品は、どのようにして生まれたのだろうか? 7月17日(水)に行なわれる初のホール・ワンマンライヴに向けて、三枝と小田に語ってもらった。

芝居ではなくて
あくまで言葉を聴かせる

――2018年の3月にリリースしたアルバム『わたしが一番きれいだったとき:When I was young and so beautiful』は、“詩”という言葉を軸としながら表現することにとてもエネルギーを注いでいる作品ですね。
三枝:はい。僕は演劇とか映像にも興味があって、仕事として関わってもいるので、言葉というのは今後も大きな興味の対象だと思います。ただ、そっちに行き過ぎると演劇的になってしまうので、その辺のバランスは難しいんですけど。
小田:私たちにはいろいろなタイプの曲があるので、自分では演じているつもりがなくても“演劇的ですね”と言われることがよくあるんです。でも、そういうバランスを左右する境目って、たしかに難しいんですよね。
三枝:僕としては演劇的な要素があまり出ないようなバランスで作っているつもりです。つまり、芝居ではなくて、あくまで言葉を聴かせるということですね。

――文芸詩を取り上げているのも、言葉を聴かせることを大切にしているみなさんの姿勢の表れだと思いますが、こういう作風が生まれた理由は何だったのでしょうか?
三枝:小田さんは、このデュオを始める前から宮沢賢治さんの詩などで曲を書いていたので、それに影響を受けて僕も書き始めたんです。小田さんはもともと、どういう経緯で書き始めたの?
小田:私は大学でクラシックを学んで作曲をしていたんですけど、クラシックの世界では誰かの詩に曲をつけるというのは、わりと普通のことなので、自然にやっていたということもあるし、何より、詩に音楽が連れて行ってもらうような感覚になれるところが好きで、学生時代からそういうスタイルでやっていました。
三枝:昔の詩に今の感性で曲をつけて、今の感性で小田さんに歌ってもらうと、今のものとして聴こえる部分があるんですよね。“文芸詩”という言い方をするとまるで遠い世界のことのような感じもしますけど、“喋っている言葉は同じなんだな”ということも、こうやって曲にすると改めてよく分かります。

――例えば「愛憐」(萩原朔太郎)も、モダンで現代的なものとして感じられました。
三枝:クレジットがなかったら、昔の詩だと気付かない人もいるでしょうね。そういうのもあるからこのアルバムは同世代の人の詩と昔の詩をごちゃ混ぜにしてあって、僕と小田さんが書いたものも1曲ずつあるんです。

――茨木のり子さんの「わたしが一番きれいだったとき」も数十年前の詩ですが、現代的なところがあると思います。
小田:中学校の先生がCDを気に入ってくださって、生徒さんたちに聴かせたそうなんです。それで去年のコンサートの時に生徒さんたちの感想を持ってきてくれて、読ませていただいたんですけど、“怖いと思いました”という感想があったのも印象的でしたね。

――その生徒さんは、詩で描かれている戦争から怖さを感じたのではないでしょうか?
小田:そうですね。言葉から受けたインスピレーションもあったんだと思います。
三枝:この詩に曲をつけているもので、他にも吉岡しげ美さんという方が作曲なさった曲があるんですけど、当たり前ですが比べてみるとかなりまた違う印象のものなんです。違う人間が書いているのだから当然なんですが、時代の変化の中で、感情の出し方も変わってくるということもあるのかなと思います。

――同じ詩でも、音楽家の表現によって別の印象になるというのが面白いですね。
小田:そうなんですよね。佐々木幹郎さんの詩の「明日」は、私が参加している“VOICE SPACE”というグループのために私が作曲をしたもので、初演は矢野顕子さんが歌ってくださったということがあったんですけど、他にもいろんな作曲家の方が合唱曲にしたりもしているんですよね。それぞれに違った印象のものになっていると思います。

ライヴだとアルバムとは
また別のアプローチになっていく

――このアルバムは、綺麗な響きの言葉に満ちている作品でもありますね。歌詞とは異なる、詩だからというのもあるんだと思いますが。
三枝:今のポップスの傾向として、高低アクセントなどはそこまで重視しなかったりとか、一聴した時に英語みたいに聞こえるような発音をしたりすることも多いと思うんですけど、このアルバムでは、そういうものを丁寧に取り去っているんです。でも、高低アクセントを厳密にやっていくと、1番と2番でメロディーを変えなきゃいけなかったりもするのが難しいんですけど。
小田:歌われることを前提に書いていない詩に、曲をつける難しさもあるよね?
三枝:うん。あと、曲をつける時はどこで区切るかとか、どこからをサビとするのかっていうのもセンスが問われるところだという気がしない? 
小田:そうだね。それによって自分が詩をどう解釈しているのかも表れるわけだから。
三枝:どの言葉にフォーカスするのかも人によって異なるんだよね。

――このアルバムの制作は、音楽に対する新鮮な視点をいろいろ得る機会にもなったということみたいですね。
小田:はい。曲毎に毎回発見がありました。それは歌っているほうとしてもすごく楽しかったです。そういえば数年前に三枝さんが、とある企画で“100曲くらい作るかも”っていうことがあって、私はデモで1分くらいの曲を20曲ほど歌ったんですよ。あのデモで開けていた引き出しのことを考えると、この人にはもっと引き出しがあるなと思っています。
三枝:やり方はいろいろあるんだよね。例えば、考える時間があまりない作り方をすると、シンプルなものになっていくし。時間をかけないというのは、ひと筆書きの良さっていうことなんだと思う。
小田:そういう点で言うと、このアルバムはどっち?
三枝:「わたしが一番きれいだったとき」とかは結構時間がかかっているんだけど、「愛憐」とかは2日くらいしか、かかってないかな。このアルバムの曲は基本的にはあまり時間をかけずに書いたんです。詩がまずあったから、その流れをそのまま出したかったというのがありました。

――「わたしが一番きれいだったとき」に時間をかけた理由は?
三枝:「わたしが一番きれいだったとき」は女性の詩でもあるので、ひとつひとつのものに対して注意しながら、“これでいいのかな?”っていうことをじっくり考えたんです。僕は男だから、“結構、感覚が違うんだな”っていうのを、メロディーをつけていく時に思っていました。

――小田さんが作曲した「北へ」も三角みづ紀さんの詩ですから、女性の感覚ですよね。この詩は《陣痛かもしれない》という表現が、とても印象に残ります。
小田:陣痛を経験したことのある女性に“陣痛は《かもしれない》というようなものじゃない”って言われましたけど(笑)。

――(笑)。ものすごい痛みを伴う陣痛を《かもしれない》と言っているから面白いんですけどね。
小田:はい(笑)。言葉って、こういうことが言えるから面白いですよね。切実な詩なのですが、それを音楽にする時に、そういう少しとぼけた感じが曲全体にもあるといいなと思っていました。
三枝:ちょっと白昼夢っぽいよね?
小田:うん。全体的にはちょっとサティっぽいというか、ちょっとシュールな世界があると思います。《あの港町までつれていってください》という切実なフレーズをエモーショナルな感じで歌いたい時もあれば、突き放した感じで歌いたい時もあるんですよね。その日の気分によって振れ幅が出る面白い曲でもあります。

――7月17日にめぐろパーシモンホールで行なわれる公演では、どのようなニュアンスで表現されるんでしょうね?
小田:おそらく、その前日にあったことに左右されると思います(笑)。

――(笑)。このデュオのライヴならではの面白さに関しては、どのようなことを感じていますか?
三枝:そんなに頻繁にやっている状態ではないからこそ、“びっくりしながらやる”みたいなところがお互いにあるんですよね。あと、本人を前にしてこういうことを言うのもあれなんですけど、小田さんは前にどうやっていたのかをどんどん忘れていくところがあるんですよ。
小田:そうですね(笑)。
三枝:だから、ライヴだとアルバムとはまた別のアプローチになっていくんだと思います。ピアノも特に決まった譜面があったりするわけではないので、その時の自分の状態によって変わっていくでしょうね。

――アルバムのレコーディングにも参加したチェロの関口将史さんも出演されるんですね。
小田:はい。せっきー(関口の愛称)も、毎回やることが違うタイプなんですけど。
三枝:でも、せっきーはいろんなところに目配りをしてくれるんですよ。
小田:私たちのMCが滞っていると、出てきてくれるところもありますし。彼は5人兄弟の3番目なので、いろんな方向に気を使えるのかもしれないです(笑)。7月のライヴは、新曲はあるんですかね?
三枝:新曲を書くつもりではいます。
小田:7月のライヴはホールですけど、ホールというものに対して敷居の高さを感じている人にも気軽に来ていただけたらなと思っています。ひとつ言いたいのは、“寝ても大丈夫”ということです(笑)。
三枝:うん(笑)。眠りながら音楽を聴くのって、豊かな時間ですからね。

取材:田中 大

【ライヴ情報】
『わたしが一番きれいだったとき』
7月17日(水) 東京・めぐろパーシモンホール 小ホール
出演:三枝伸太郎(piano) / 小田朋美(vocal) / 関口将史(cello)
チケット情報ページ:http://bit.ly/2PuE6El

【CD情報】
アルバム『わたしが一番きれいだったとき:When I was young and so beautiful』
発売中
OTVA-0022/¥2,501(税込)
三枝伸太郎、小田朋美
アルバム『わたしが一番きれいだったとき:When I was young and so beautiful』

【ライヴ情報】

『わたしが一番きれいだったとき』
7月17日(水) 東京・めぐろパーシモンホール 小ホール
出演:三枝伸太郎(piano) / 小田朋美(vocal) / 関口将史(cello)
アルバム『わたしが一番きれいだったとき:When I was young and so beautiful』発売中
    • OTVA-0022/¥2,501(税込)

OKMusic編集部

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