『人気者で行こう』で示した
電子音楽との融合に
サザンオールスターズの
しなやかさと決意を見る
デジタルに屈しない
確かなバンドサウンド
アルバム中盤から後半にかけて、その言わばバンドらしさみたいものは、徹底的に発揮されていく。M6「シャボン」以降、ニューウエーブ風のM10「メリケン情緒は涙のカラー」や、打ち込み風(あくまで“風”)のドラムスが聴けるインストM11「なんば君の事務所」はあるし、随所でテクノっぽい小技はあるものの、基本はバンドサウンド+管楽器、弦楽器で構成された楽曲が並ぶ。スウィートなメロディーを聴かせるM7「海」。軽快なブラスから入ってサビまで恐ろしいほど滑らかに展開していくM8「夕方 Hold On Me」。ロックバンドらしいエッジの立ったサウンドのファンクチューンM12「祭はラッパッパ」。ゲストミュージシャンが参加したラストM13「Dear John」は、ディズニー映画のサントラを彷彿させるドリーミーな印象に仕上がってはいるが、これもデジタルとは別ベクトルではある。
つまり、『人気者で行こう』というアルバムは、間口は流行に敏感なリスナーも入りやすい作りでありつつも、その内部は確実にサザン。最初期からのリスナーも納得である上、ここからサザンに入ったリスナーにもそのバンドの本質を知らしめるにも最適なアルバムだったと言える(そう考えるとアルバムタイトルはかなり確信犯的なものに思えるが…)。もともとサザンの音楽は、桑田佳祐(Vo&Gu)のバックボーンである洋楽と昭和歌謡を変に分けることなくミックスさせていたものであるから、どちらか一方に極端に偏ることはなかったが、そのバランス感覚はデビュー以降、決して一定のものではなく、ルーツミュージック寄りになったり、歌謡曲寄りになったりしていた(前者が3rdアルバム『タイニイ・バブルス』(1980年)や4th『ステレオ太陽族』(1981年)、後者が「チャコの海岸物語」といったところだろうか)。この時期、本作の制作とそのセールス面での成功によって、サザンの見方、見られ方のバランスが自他共に決定付けられたのではなかろうか。次作『KAMAKURA』も実験的なナンバーがありつつ、基本的なテイストは『人気者で行こう』の延長線上にある作品となっている。多くの人が指摘しているように、やはりこの1984~1985年が初期サザンのピークであろう。
(つづく)
(参考文献:スージー鈴木『サザンオールスターズ1978-1985』)
TEXT:帆苅智之
http://okmusic.jp/news/326977/