【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#88 シ
ンガーソングライター・浜田省吾の言

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

その恋がなかったら、こうして音楽をや
っていなかったかもしれない

より

浜田省吾のオフィシャルサイトに、浜田省吾の18枚目のオリジナルアルバム『Journey of a Songwriter 〜旅するソングライター』(2015年)について語られたインタビュー記事が掲載されている。今回の名言は、その中で語られたひとつのエピソードからの抜粋。アルバムのミックスのためにロサンゼルスとマイアミに向かう一週間前、高校時代の親友から封筒が届いたという。そこには浜田と浜田の初恋の女の子が写った写真が入っていた。1971年の夏。当時18歳の浜田と17歳の女の子の写真である。つらく苦しいまま終わってしまった、ひと夏の恋。浜田は、その写真を見て、彼女の笑顔やいろいろな場面を思い出し、今回の名言へと導かれる。インタビュアーの言葉を借りれば、「人は常に、年齢に関係なく、自分にとってかけがえのないものに思いがけず出会う可能性を持っている」という真意を含んでいる。浜田の曲には、そういったことを感じさせてくれるリアリティがある。

浜田省吾(はまだ しょうご)
1952年12月29日生まれ、広島県竹原市出身。シンガーソングライター。1974年、ロックバンド愛奴のメンバー(ドラム&パーカッション兼ボーカル)として、全国ツアーに参加する。愛奴は、1975年に、シングル「二人の夏」とアルバム『愛奴』でレコード・デビューを果たす。同年9月に愛奴を脱退。1976年、シングル「路地裏の少年」とアルバム『生まれたところを遠く離れて』でソロデビュー。1979年、シングル「風を感じて」がスマッシュ・ヒット。1982年、日本武道館にて、初コンサートを開催。1986年、2枚組アルバム『J.BOY』をリリース。初のオリコン・アルバムチャート第1位(4週連続)を記録する。1992年、「悲しみは雪のように」が、テレビドラマ『愛という名のもとに』の主題歌に採用される。初のオリコン・シングルチャート第1位(8週連続、通算10週)を記録する。2017年、ミニアルバム『The moonlights Cats radio show Vol.1』(オリコン1位)と『The moonlights Cats radio show Vol.2』(オリコン2位)を同時発売。

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