ゴリゴリの重厚なサウンドで攻める
リヴィング・カラーの
デビューアルバム『ヴィヴィッド』は
ブラックロックの
代表的なアルバムのひとつ

ブラックロック・コーリション(連合)

こうしてヴァーノンの評判は高まっていき、さまざまなアーティストとセッションを繰り返しながら、自分のグループを結成するための準備を行なっていた。ライヴでは、パンク、ジャズ、ファンク、ヘヴィメタル、アヴァンギャルド、アンビエントなどを、固定メンバーを決めずにヴァーノン・リード&リヴィング・カラーという名前で演奏していた。80年代の中頃になると、先輩のバッド・ブレインズを始め、フィッシュボーン、24-7スパイズなど、黒人のみで構成されるロックグループが増えていた。85年、リードが中心となって『ブラックロック・コーリション』(以下、BRC)が設立される。

BRCはニューヨークを拠点とする黒人アーティストの権利を守ったり差別をなくしたりするなどの活動の他、“黒人が生んだロックを黒人のために発展させる”という使命も持っている。そもそもロックはブルースやジャズと同じく、アフリカ系アメリカ人である黒人が生み出したものであり、“白人のビル・ヘイリーやエルヴィス・プレスリーはそれらを模倣したにすぎない”という主張をしている。この主張を証明するためのツールとしてヴァーノンたちはBRCを作ったという側面もあるのだ。それだけに、BRCに所属する初期のブラックロックのアーティストたちは、ブルースを極力排した、より白人っぽいロック(パンク、ヘヴィメタル、オルタナティブなど)を演奏することが多い。

リヴィング・カラーの結成

ヴァーノンはセッションを繰り返しながらメンバーを探し、俳優として活動(オリバー・ストーンの『プラトーン』(‘86)やテレビドラマに出演)していたコリー・グローヴァーをヴォーカリストに、ベースのマズ・スキリングス、ドラムのウィリー・カルホーンに声をかけ、86年にようやくパーマネントのグループとなった。そのサウンドはもちろんディストーションの効いたヴァーノンのギターを中心とした、ヘヴィメタルの要素が強いロックである。彼らはCBGBでの出演やツアーを行ないながら曲を作り、デビューに向けたアイデアを練っていた。

力強いことにミック・ジャガーが CBGBでの彼らのライヴを観て大いに気に入り、リヴィング・カラーは89年に始まるストーンズの『アーバン・ジャングル・ツアー』のオープニングアクトとして、ガンズ・アンド・ローゼズとともに選ばれることになったのである。ミックは特にヴァーノンのギターが好きで、彼のソロ作『プリミティヴ・クール』(‘87)に参加させているほどだ。これが縁でレコード会社の目にとまり、88年にレコードデビューすることが決定する。他にもヴァーノンは同じニューヨークで活動していたパブリック・エネミーのデビュー作『YO ! BUM ラッシュ•ザ・ショウ』(’87)にも参加している。

OKMusic編集部

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