【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#87 シ
ンガーソングライター・加藤登紀子の
言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

歌うことは、その歌がたどった運命を生
きること

『運命の歌のジグソーパズル』(朝日新聞社出版/著・加藤登紀子)より

今回の名言は、シンガーソングライターの加藤登紀子が自ら筆をとって書き下ろした自伝『運命の歌のジグソーパズル』のまえがきからの抜粋である。この本は、加藤の半生とともに、「ひとり寝の子守唄」、「知床旅情」、「百万本のバラ」といったヒット曲、加藤がカバーしてきた多くの国の名曲にまつわる秘話が紹介されている。数々の偶然により誕生した歌、数奇な運命を背負った歌とのエピソードは奇跡のよう。まえがきには、歌うことは、「その歌を新しい瞬間に開放していくこと」、「過去と未来をつなぐこと」とも記されている。加藤の歌に込める思いの強さが感じられる名文だ。

加藤登紀子(かとうときこ)
1943年12月27日生まれ、満州国ハルビン市生まれ。シンガーソングライター、女優、作詞家、作曲家、星槎大学共生科学科客員教授。1965年、東京大学在学中に『第2回日本アマチュアシャンソンコンクール』で優勝。1966年、「誰も誰も知らない」でシングルデビュー。同年、2枚目のシングル「赤い風船」で『第8回日本レコード大賞』の新人賞を受賞。1969年、「ひとり寝の子守唄」で『第11回日本レコード大賞』の歌唱賞を受賞。1971年、「知床旅情」で、ミリオンセラーを記録し、『第13回日本レコード大賞』の歌唱賞を受賞。1972年、 藤本敏夫と獄中結婚。出産のため、音楽活動を休止する。1983年、映画『居酒屋兆治』にて夫婦役高倉健と共演を果たす。以降、女優として、映画やテレビドラマなど数々の作品に出演している。1987年、「百万本のバラ」が大ヒットする。2014年1月1日、全世界に「富士山だ」を音楽配信で発売。現在も、ライブや執筆活動など精力的に活動している。

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