【連載】Vol.063「Mike's Boogie St
ation=音楽にいつも感謝!=」

10ccのポップで実験的サウンドは何時でも僕らを1970年代ミュージック・シーンに誘ってくれる!オリジナル・メンバーのグレアム・グールドマンにインタビュー。グループ名由来の真実も47年ぶりに知った!!
45年以上前、衝撃的に英国ミュージック・シーンに登場した10cc。わが国でも多くのファンに注目され、今でもその人気は衰えを知らない。まだ正月気分の抜けない2019年1月28日、Billboard Live TOKYOで彼ら10ccのファースト・ステージを楽しんだ。前日、当日と完全ソールド・アウトの超満員。

そんなステージ前に僕ら60年代からのブリティッシュ・ロック・シーンに親しんでいた一人としてはヤードバーズやホリーズの楽曲の作者としても馴染み深いオリジナル・メンバーであるグレアム・グールドマンにインタビューした。
グレアムが作詞作曲したホリーズの「バス・ストップ」は66年にUS/UKで大ヒット。勿論わが国でもこの年から67年にかけてベスト・セラー。僕はRSFC会長をしていた高校生の頃にバイトしていたフジTV“Beat Pops”でこのナンバーは超人気で、今でいうまさにヘヴィー・ローテーションだった。小山ルミやアメリカンスクールに通う中学生だったナンシー・ヒューストン(そういえば僕がブックしていたんだ…冷や汗)らBPダンサーズの踊るステップもイカシテたなぁ。68年だったと思うけど、未だグラハム・ナッシュが在籍していたホリーズの日本公演に木崎義二さんに連れて行って貰った。木崎さんは60年代初頭からライナーノーツを執筆、「Teen Beat」の編集長もなさっていた。BPでは星加ルミ子さんと一緒にコメンテイターを務めていた(MCは大橋巨泉、藤村俊二さんや岡正さんも出演。僕もストーンズ特集時に数度出演したことがある。勿論VTRは存在しない)。

Mike:2018年はリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドとして欧米を40公演以上回って非常にハードだったのでは?どうだったでしょうか?
Graham:昨年は10ccだけでなく、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドの一員としてツアーしました。まずヨーロッパで23公演、その後アメリカ・ツアーだったんです。リンゴをはじめスティーブ・ルカサー、コリン・ヘイ、グレッグ・ローリー、ウォーレン・ハム、グレッグ・ビソネットたちと仕事できたことはとても素晴らしい体験でした。実は今年のツアー参加も打診されたのですが、私自身が10ccとしてやらなければならないことがあり、丁重にお断りさせて貰いました。
M:リンゴ・スターとは会われたのは…?
G:昨年、初めて会いました。それまで一度も会ったことがなかったのですよ。バンドでリハーサルを行う前日に会ったのです。私たちはアトランティック・シティで3日間リハーサルしました。そしてウォーム・アップ・ギグをいくつかこなし、パリからヨーロッパ・ツアーを開始したのです。本当に素晴らしかったし、本当に楽しかったです。私はツアー前の約6か月間、一人で練習しツアーで演奏する24曲を全て覚えていたのです。つまりリンゴの曲だけでなく、TOTOの曲、サンタナの曲、コリン・ヘイの曲もありますからね。他のメンバーたちが私のために楽器のパートを変更する必要がないよう、楽曲の中に入り込んでみて全てのパートを正しく演奏したかったのです。そういったハードワークは報われて、とても上手くいきました。私はこういうことが好きですし、本当に楽しかったです。そう、他の人の楽曲を演奏するというのは、これまでとはとても違うことでしたから。
M:あなたが他人の楽曲を演奏するということ自体、とても興味深いです。
G:ポール・マッカートニーの「With A Little Help From My Friends」のようなアイコニックなベース・パートを彼がやったのと全く同じように演奏しようと一所懸命練習をしましたが、それは私にはできないと分かったんです(笑)。彼の指の動きと私のそれとは違いますから…(笑)。でもこういうことは凄く好きなんです。その結果、バンドで毎晩上手く演奏出来たんです。最高でしたよ。
M:リンゴに会う以前にあなたがオール・スター・バンド参加が既に決まっていたというのにも驚きです。
G:先ずプロダクション・マネージャーとミーティングがあったわけです。その時「リンゴ・スターと一緒に仕事したくありませんか?」、という吃驚するようなことを訊いてくるんです。私は即座に「イエス!」と答えたですが、それから何の音沙汰もありませんでした。その後ニューヨーク在住のジャーナリストから連絡入り、「一言いただけませんか?」と言うのです。私は何に対しての一言か分からず訊ねたところ、「グレハムさん、あなたはリンゴ・スターと一緒にやるんですよね?」と言うのです。実は私はそれまで何にも聞いてなかったのです。実に奇妙な形でリンゴのオール・スター・バンド入りを知る由となったのですが、そんなことを私は気にしませんでした。昨年は後半から10ccとしてのツアーもあり多忙な一年となりましたが、今年も忙しくなりそうです。
M:あなたが音楽に触れたのはいつ頃でした。
G:初めて音楽というものを意識するようになったのは7歳の時にラジオの“Light Programme”という放送局(註:後のBBC Radio 2)から聴こえてくるダンス・バンドのサウンドでした。そして11歳の時に従兄がスペイン製ギターを買ってくれて、ギターが大好きになりました。これでキマリ(笑)。幸運だったのは、その当時聴き始めてていたのがエディ・コクラン、バディ・ホリー、リトル・リチャード、エヴァリー・ブラザーズなど、ロックが形作られていく途中のものでした。それからロニー・ドネガン、クリフ・リチャード&ザ・シャドウズ、ビートルズに移る訳です。当時の私の年頃では(註:グレアムは1946年生まれ)、そういったアーティストを聴き、そして自分で演奏することによって自己形成したのです。バディ・ホリーやビートルズのような楽曲を書こうとする意欲は現在の私の基本姿勢でもあるんです。
M:作曲はいつから始めていたのでしょう、どんな音楽に影響を受けましたか?
G:18歳の頃です。さっき言ったアーティストたち、主にビートルズに影響されて作曲を始めました。と言うのも、私たちの前に自作自演のバンドが突然現れたからです。それ以前のバンドといえば、ロンドンの音楽出版社が軒を連ねるデンマーク・ストリートへ「何かいい曲ありますか?」と出向いて、そこで楽曲を選んでいたんです。ビートルズは、私をはじめ多くの人々に「自分たちも同じようにできるんじゃないか!?」「彼らと同じようにやってみたい!」「ビートルズみたいになりたい!」というインスピレーションを与えてくれたのです。

M:実際にバンドを組んで活動を始めたのはマンチェスターと聞いています。当時のマンチェスターの音楽シーンは…。
G:当時のマンチェスターの音楽シーンは素晴らしかったです。マンチェスターは古くからの大学の町で、しかも多くのクラブがありました。そして文学、演劇、音楽を問わず、全ての芸術活動を街全体がサポートしてくれていました。10代の頃ローリング・ストーンズ、ビートルズ、キンクス、アニマルズなど偉大なるなバンドが登場してきて、私は友人たちとそれら全てのバンドをマンチェスターで観たんです。この経験は本当に素晴らしかったです。
M:この時代にグラハム・ナッシュと出会ったのですか?
G:グラハム・ナッシュに初めて会ったのはホリーズに「Look Through Any Window」を書き下ろした時でした。65年だったかな。このナンバーをレコーディングした後、彼らは私と両親が暮らす家にやって来たのです。両親はその時ちょうど結婚式で外出。二人は帰宅すると私のベッド・ルームにホリーズがいるので「ワオ!」でした。ハハハ。
M:貴方のグループ、モッキンバーズがイミディエイトから65年にリリースした「You Stole My Love」は名作です。ポップでありながらサイケの匂いもする素晴らしい曲です。常に新しい試みを試していた時期ですか?
G:作曲する時はとにかく自分自身のために書きます。何かアイディアがあり、そこから発展させていく訳です。この楽曲はこの人にいい、あの人にいい、ということは全く考えません。そんなには多くはないけど、何曲かはアーティストを意識して書いたものもあります。「Bus Stop」は明らかにホリーズのために書き下ろしました。日本でこの曲が大ヒットしたなんて、貴方に初めて教えてもらいましたヨ。そうそう、ヤードバーズの「Heart Full Of Soul」も彼等を念頭に置いて書きましたヨ。

M:ケヴィン・ゴドレーとはどこで最初に会ったんですか?
M:マンチェスターにあったユース・クラブ。ロル・クレームとケヴィン・ゴドレーは私同様にここによく出入りしていたんです。ここでセッションというか練習をよくするうちに仲良くなったんです。
M:貴方の作曲した楽曲で最初にヒットしたのはヤードバーズの「For Your Love」ですか?
G:そうです。私とケヴィン・ゴドレーが在籍していたバンド、モッキンバーズで2曲レコーディングしたうちの一つが「For Your Love」でしたが、レコード会社に断られました。それがヤードバーズに取り上げられたのです(笑)。
M:モッキンバーズ時代の楽しいエピソードがあれば教えてください。
G:ひとつ面白い話がありますよ。UK/TV番組“Top Of The Pops”は最初マンチェスターのスタジオから放送が始まりました。観客を入れてカメラや照明もセッティングして、そこにいる観客を楽しまさなければならないので、番組は元気のいいバンドを出演させていたものです。ちょうどモッキンバーズが出演した時、ヤードバーズもスタジオに姿をみせたんです。彼らが「For Your Love」を演奏。私は実に不思議な感じがしました。ハハハ。
M:モッキンバーズ解散後はソングライターとして活動されていたんですか?
G:モッキンバーズは何曲かレコーディングしたものの、私が他人にあげた楽曲がいくつかヒットしただけでした。そして解散してしまったのです。「よし、ソングライターとして活動しよう。それもいいじゃないか」と。その後10ccの結成で私はバンドの一員となり、作曲し演奏してプロデュ―スもできる様になったのです。10ccを結成するまでは、ソングライターとして活動していました。

M:10ccをスタートしたきっかけは?ジョナサン・キングとの関連は…。
G:実は10ccというグループを結成した訳ではないのです。ケヴィン・ゴドレーとロル・クレームは以前からの知り合い。エリック・スチュアートも同様です。エリックが立ち上げたストロベリー・スタジオのパートナーに依頼され、私はケヴィンとロルとそのスタジオもセッション・マンとして働いていたんです。いろんなアーティストのレコーディングで演奏したんです。サッカー・ソングを作ったこともあります。1970年、私がアメリカで仕事をしている頃だったと思うけど、ケヴィンとロルとエリックの三人はホットレッグスというバンドで「Neanderthal Man」というナンバーを発表、イギリスで大ヒットしたんです。でもグループとしては一発屋に終わってしまったんです。アメリカから帰国してみると、スタジオは上手く活用されていなくて空き時間がたっぷり。そこで四人でレコーディングしたんです、その中の一作が「Donna」、これはスペシャルな楽曲だと思いました。エリックの知り合いのジョナサン・キング(註:MikeはJK日本盤シングルのライナーを書いたことがある)にデモ・レコードを送ったところ、直ぐに飛んで来て「バンドの名前は?」と聞くので、「まだ決まっていない」と答えると、「10ccはどうだい!」。こうして10ccは誕生したのです。
M:日本では新しいロックに敏感な女性たちが、10ccに飛びついたのです。
G:イエス!初めて日本に来た時にそれは事実だと分かりましたよ(笑)。
M:「I'm not in Love」制作秘話があれば教えてください。
G:そうだね、皆さんが耳にしているのは、セカンド・レコーディング・ヴァージョン。エリックと私が最初に作ったのは、ボッサ・ノーヴァのようなリズムの楽曲でした。皆が気に入らず、最初のレコーディングは消去してしまいました。そこでケヴィンが異なるリズムを思いつき、ロルがヴォーカルを重ねるアイディアを持ってきたのです。
▲2012年EUリリース『TENOLOGY』(CD BOX w DVD)挿入のBook for Mike's Collection

M:「Dreadlock Holiday」にはそれまでの10ccにない雰囲気で驚きました。
G:「Dreadlock Holiday」で面白いと思うのは、「Rubber Bullets」も含めて、10ccは三人別々のシンガーで各々ナンバー・ワン・ヒットがあるということです。ビートルズ以外で別々のシンガーによるナンバー・ワン・ヒットのあるバンドは無かったと思います。「Dreadlock Holiday」ですが、私はジャマイカで休暇を過ごし、エリックはバルバドスでホリデーでした。お互いその時に起きたことを語り合っていた時です、スポーツの話題になって私はサッカーのマンチェスター・ユナイテッドのことを話し、その後「クリケットは好き?」と訊ねると、エリックは「好きじゃない」。「驚いたなあ。みんなクリケットが好きだと思ってたよ」と言うと、「好きじゃない」。コイツ嘘ついてるなと感じたんです。こんな雰囲気の中からこの楽曲は生まれたんです。

M:以下の項目ついて一言コメントお願いします
G:OK!
☆マンチェスター
大好きな街です。現在はロンドン在住30年間になるけど、里帰りは楽しみです。3月にはツアーでマンチェスターに行って演奏します。
☆ストロベリー・スタジオ
スタジオはもう存在しませんがここがなければ10ccも誕生しませんでした。スタジオがある意味バンドの一部のようでした。
☆ゴドレー&クレーム
ロルとはずいぶん会っていませんが、ケヴィン・ゴドレーとは今でも一緒に仕事します。一緒にレコーディングしたり、新しいツアーのための新しいビジュアルを制作して貰っています。彼は自身のソロ・アルバム「Somewhere In Hollywood」の頃から私はビデオに出ていますから。彼とは引き続き一緒に仕事をする、とても近しい間柄なのです。
☆リンゴ・スター
リンゴ・スターとは昨年一緒に仕事できてとても良かったです。彼はとても愉快ですが、賢くてシャープな人物で、決して失敗したりしません。また何事にも熱心です。そして私たちと同じく、演奏するのが好きなんです。ビートルズも1964年にマンチェスターで観たんですよ(笑)。

M;10ccのネーミングの経緯を教えてください。
M:ジョナサン・キングの命名でしたが、私たちは「いいんじゃないかな。」という程度で、この名前について取り立てて話し合いさえしませんでした。彼が私たちに会う前夜に見た夢の中で、彼がロンドンのハマースミス・オデオンの前に立っていると、そこには<10cc - Best Band In The World>と書いてあったということでした。後で男性が一回に出す精液の量×4人分が凡そ“10cc”ということだと誰かが言ったらしいけど、それは間違っていて、本当の理由は“ハマースミス・オデオン”なのです!

M;最後に現在の10ccのメンバーの紹介をしてください。
G:喜んでご紹介します。
☆リック・フェン(ギター ヴォーカル)
1976年からバンドに在籍しています。素晴らしいギタリストですし、私の最も旧くからの友人で、一緒に多くのプロジェクトに携わってきました。今は亡きアンドリュー・ゴールドと仕事した時も一緒にツアーに出て、私はアコースティック担当でリックも一緒でした。本当に長い付き合いです。
☆イアン・ホーナル(ヴォーカル ギター パーカッション)
私がスカウトして参加して貰った新しいメンバーです。素晴らしいミュージシャン。私はHeart Full Of Songsというアコースティック・ショーもやっているのですが、イアンも一緒なんです。まだイアンと私は長い付き合いではありませんが、一緒に曲作りもするようになりました。彼のソロ・アルバムで共作もしました。そこではケヴィンも歌っています。なかなかの大作です、近々10ccのセットリストに加えようかと考えています。彼は常々こう語っています、「70年代みたいな楽曲、10ccみたいな楽曲を書きたい」。
☆キース・ヘイマン(キーボード ヴォーカル)
一緒にやり始めてもう15年くらいになるでしょうか。長い付き合いです。彼も素晴らしいミュージシャンです。彼はキーボード・プレイヤーであるだけでなく、歌えるしギターもベースも弾きます。私たちと仕事をしていない時、彼はクリフ・リチャードの音楽ディレクターとして活動しています。彼は本当に素敵な人物です。
☆ポール・バージェス(ドラムス)
彼がバック・バンドに加入したのはオリジナル10ccが初めてツアーに出た1973年のことでした。彼は岩石のような存在です。本当に素晴らしい人物で、彼のことが大好きです、素晴らしい腕前のドラマーです。これまで色んなドラマーと演奏してきましたが、長いこと一緒にやっているということもあると思うけど、とにかく彼と演奏していると大きな安心感が生まれるのです。
▲海外アーティストに色紙にサインしてもらうのが最近のマイ・ブーム(冷や汗)

協力:Shinya Y.

☆☆☆☆☆
1960年代末から今でいうフリーランスのライターとして音楽雑誌やライナーノーツを書きまくるようになった。丁度その頃から70年代初頭にかけて、イギリスでは次々と才能溢れるアーティストたちによる新たな音楽が生まれた。レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ブッラク・サバスを筆頭にフリー、ウイッシュボーン・アッシュらの英ハード・ロック、Tレックス、デヴィッド・ボウイ、ロキシー・ミュージック、スレイドらのグラム・ロック、キング・クリムゾン、ELP(エマーソン・レイク&パーマー)、ピンク・フロイドらのプログレッシブ・ロック、ジミー・クリフ、ボブ・マーリーらのレゲエ、そしてビートルズのフォロワーと称されるアーティスト、ELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)・クィーン・パイロット、BCR(ベイ・シティー・ローラーズ)そして10㏄らが登場してきた。その時代の来日公演は殆ど体験した。グランド・ファンク・レイルロードやハンブル・パイ、フェイセズのライヴも忘れられない。

あれから半世紀近くたった先月末、70年代の良質なポップを我々に届けてくれた10㏄の3年ぶり8度目のステージをBillboard Live TOKYOで味わった。メンバーはグレアムのインタビューで紹介してもらった通りの5人。
19時過ぎに場内暗点「Son of Man」のダンサンブル・ビートが場内に響き渡る。そしてメンバーが登壇、74年のヒット「The Wall Street Shuffle」のイントロ、レコードは全く異なる重いビートの効かせたシャッフルでフロアの観客が思わず立ち上がり踊ってしまう様なオープニング!上手のイアンの声がエリック・スチュアートを彷彿させる甘い声で魅了!そこに弾けるシャッフル・ビートをポールが叩き、センターのグレアムが重いベースを刻む。下手のグレアムの盟友リック・フェンが印象的なリードで味付け、リックとグラハムの後方で更に重厚な音に仕上げるキース、スタートから押し寄せる10㏄サウンドの波を僕はもろに被った。
続く75年のヒット「Art For Art's Sake 」(芸術こそ我が命)。10ccの楽曲で最もプログレを感じさせる曲。いつ聴いても斬新で不思議な曲構成だが、ライヴで複雑なリフとコーラスが噛み合う。70年代UKポップスはストレートなポップスと言うより、ちょっと捻ったサウンドと厚いコーラスを微妙にブレンドしているが、最近話題のクイーンも全く同じだ。40年以上経ってから改めて聴くとそのサウンドが実に心地良かったりするから不思議だ
3曲目はUKポップス・ファンに人気の75年のヒット「Life Is A Minestrone」(人生は野菜スープ)。サンプリングを用いてレコード並みの完成度を高めている。中盤からの盛り上がりがいかにも10㏄らしい!これはロル・クレームとエリック・スチュアートによる曲だが、僕はこれにビーチ・ボーイズ的なコーラスが加わったと思ったが、周りのファンはこれぞ10㏄を象徴するサウンドだと言う!さすが当時、今野雄二さん(フジTVのリブヤングで共演してました)が推すグループだけあると思った。
続いてはグレハムの曲紹介で「Good Morning Jude」(グッド・モーニング・ジャッジ)。ここから77年リリースの5枚目のアルバム『Deceptive Bends』(愛ゆえに)から3曲。ここからそれぞれが楽器を持ち替え器用な10㏄を見ることになる。グレアムがギター、キースがキーボードからベース、イアンがパーカッションといった具合。そして組曲風の「Feel The Benefit,Pt1~3」へ。3つ曲が一つになった構成。いかにもビートリーな(ディア・プルーデンスをモチーフ)リフで始まるがそこから徐々に10㏄サウンドへ変化していく。ここがファンには堪らないのだろう。イアンはキーボードを弾きながら歌う。彼の声が途中からまるでエリックの声のように聴こえてくるる友人が言う。爺にはとっても新鮮だった(笑)。
グレアムのメンバー紹介、リックのMCを挟み、再びグレアムが100才になる母親がいつも「何をやっているの?」と口癖のように言うことを話し、観客の驚きと笑いを誘い、二人になった10㏄77年のヒット曲「The Things We Do for Love」(愛ゆえに)と続く。とてもにポップな構成でうっとりする展開。でも途中から不思議なリズムで観客は手拍子。これが10㏄なんだろう、きっと!
続く「Rochdale to Ocho Rios」(ロッチデールからオチョ・リオスへ)は、78年のアルバム『Bloody Tourists』から。トロピカルな雰囲気を持ち合わせたダンサンブル・ナンバー!このアルバムからポール(前作から)とリックの二人がメンバーとしてクレジットされた。パーカッションが気持ちいい(笑)。
続いてテープで仕込んだ無線のSEのイントロでエリック、グラハム、ゴドレーによる「I'm Mandy Fly Me」 (アイム・マンデイ)、印象深いキーボードとギターで始まるバラッド。と思いきやリックの中間部のギターで曲は大きく転調する。本当にひねくれたポップスだ(笑)。76年のヒット作。
そして静まり返った場内に徐々にキーボードの厚い音の波が響く名曲「I'm Not in Love」(アイム・ノット・イン・ラブ)だ。75年のUKナンバー・ワン・ソング、世界中で大ヒットした。イアンの声とコーラスが波の様に響き渡る。観客は黙って瞬きもせずステージをただ見ている。大拍手で曲が終わると、エリックによる再度メンバー紹介。

そしてラスト・ナンバーは78年のこれまた大ヒット「Dreadlock Holiday(トロピカル・ラブ)。カリブ海/ジャマイカに滞在して書いた曲でベースとなるレゲエが実に気持ちいい!この曲はグレアムお気に入りのようでライヴには欠かさない。I Love It! 最後は歌詞を“Tokyo”と変えて拍手喝采!
アンコールはノリノリの「Rubber Bullets」(ラバー・ブリッツ)。73年のヒット作でグループの最初のUKナンバー・ワン・ソング。メンバーのソロをフィーチャーし場内も盛り上がる!ヴォーカルのイアンの喉のコンディションが少し良くないようで声がかすれていたが、ファンはグレアムの上手いステージングに過熱、盛り上がる一方だ!10㏄は70年代のUKポップスの王道を間違いなく歩いたグループだ!爺は堪能しましたヨ(笑)。
*ライヴ・ショット 提供:Billboard Live TOKYO
Pic.by Masanori Naruse

☆☆☆☆☆

【ライヴinfo】

☆マンハッタンズ featuring ジェラルド・アルストン
1950年代から70年代にかけて多くの素晴らしいソウル・コーラス・グループが登場し僕らを魅了した。スウィートでソウルフルなバラードはいつ聴いてもラヴリーな雰囲気を漂わせる。マンハッタンズはニュージャーで1960年に結成されたドーセッツがぼたいで、62年にマンハッタンズとして活動を始めた。60年代中期から頭角を現してきたが、70年にリード・ヴォーカルのジョージ・スミスが病のため亡くなり、翌年からジェラルド・アルストンがグループに加わった。そして70年代から80年代にかけてメジャー・レーベルも含め多くのヒット・チューンを発表。特にビルボード誌HOT100、同誌Hot Soul Singles両チャート第一位に輝きプラチナム・ディスクを獲得したのが76年の「Kiss And Say Goodbye」(涙の口づけ)。ジャパニーズ・ディスコ・シーンが大いに盛り上がっていた時期、チークタイムにこのシングル・レコードを何度もターン・テーブルに…。マニアだけでなく、当時からの多くのソウル・ファンがマンハッタンズ公演を楽しみしている。僕は81年以来何度もそのステージを堪能したけど、2019年日本公演も勿論ジョインする。ジェラルドは僕とほぼ同い年、元気あふれるソウルフル・ヴォーカルに酔いしれよう!
*2019年2月26日 2月27日 Billboard Live TOKYO
ファースト・ステージ 開場17:30  開演18:30
セカンド・ステージ  開場20:30  開演21:30
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=11365&shop=1

*2019年3月1日 Billboard Live OSAKA
ファースト・ステージ 開場17:30  開演18:30
セカンド・ステージ  開場20:30  開演21:30
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=11366&shop=2
▲参考文献:「SOUL大辞典」VOL.3 from Mike's Library

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