【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#81 歌
手・中村雅俊の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

無心でやってるときが、表現者やパフォ
ーマンスとしては素晴らしいんじゃない
かと思います

より

中村雅俊の通算55枚目のシングル『だろう!!』が、2018年11月21日に発売された。インタビュー中、中村は、その制作秘話をきっかけに、表現者として大事にしていることを語っている。今回の名言は、その核の部分を表した言葉。中村は、東日本大震災の被災地で、自身の田舎の風景をモチーフにした曲「私の町」を披露した際、「いろんな人がいろんな感じ方をするんだな」と実感したと言う。インタビュアーは、「歌い手が何も考えていない無色透明な状態のほうが、お客さんが、個人的な思い入れを投影できるのかもしれないですね」と、今回の名言に繋げている。2019年にデビュー45周年を迎えた中村の、表現者としての達人の境地を感じられる言葉である。

中村雅俊(なかむらまさとし)
1951年2月1日生まれ、宮城県牡鹿郡女川町出身。俳優、歌手。1973年、文学座附属演劇研究所に入所。慶応義塾大学卒業後、文学座に入団する。1974年、青春学園ドラマ『われら青春』の主演に大抜擢される。さらに、挿入歌として中村雅俊が歌った「ふれあい」がミリオンセラーを記録。俳優として歌手として、華々しいデビューを果たす。1985年、文学座を退団。それ以降、司会やタレントなどさらにマルチな才能を発揮する。テレビドラマや映画、舞台などで俳優として第一線で活躍し続けるとともに、歌手としても多くのヒット曲を残しながら毎年コンサートツアーを敢行。コンサート総本数は2018年3月に1500回を突破する。被災地に赴いての復興支援活動も続けており、2012年に日本財団より、『被災地で活動した芸能人ベストサポート』として表彰されている。2019年は7月6日から31日まで、明治座にて『中村雅俊45thアニバーサリー公演』を開催予定。

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