MOROHA ベストアルバム収録以外の曲
たちで構成された渋谷WWW X ーーいつ
かのMOROHAと今のMOROHA

MOROHA『MOROHA BEST RELEASE TOUR ~置いていかれた曲達~』2018.12.18(Tue)渋谷WWW X
12月16日、MOROHAは夏から始まった『MOROHA BEST~十年再録~』リリースツアーの締めくくりとして、Zepp Tokyoで3000人を前にワンマンライブを行った。しかし……その2日後、渋谷WWW Xのステージに彼らはいた。なぜ、こんなに早くワンマンライブをする必要があったのだろうか。
MOROHA 撮影=森好弘
公演名は『MOROHA BEST RELEASE TOUR ~置いていかれた曲達~』。「俺らがベストアルバムを出す時、何が嫌かって、ベストに入らなかった曲達はベストじゃないんじゃないかと。そう自分たちで思ってしまうのも嫌だし、そう汲み取られるのも嫌だなって。逆に言えば、自分にとってのベストな曲がMOROHAのベストに入ってなくて納得いかない。そういうのもあったりするんじゃねえかなって。それが一番嫌だなって。……なので、その曲達がリベンジをぶちかませられるようにWWW Xでワンマンライブを開催することになりました」この日、ライブ中にアフロが伝えた通り『MOROHA BEST~十年再録~』に収録されなかった曲のみでライブは構成された。
MOROHA 撮影=森好弘
1曲目は「RED」から始まり、2曲目は2010年にリリースされた1stアルバム『MOROHA』の収録曲「イケタライクヲコエテイク」。この曲の歌詞に、ライブを始めた頃の2人を物語ったフレーズがある。《¥1,500/1Dに届くライブをする それがアーティスト当たり前の事 だけど如何せん未熟でごめんね 足りない分は一杯おごるから勘弁してくれ》UKは結成当初のことを、ドキュメタリー映画『其ノ灯、暮ラシ』の中で以下のように語っている。「ライブハウスに出る前は、クラブでやっていて。その頃、(お客さんの反応)は全然でしたよ。趣旨が違いますからね。みんなが求めているものじゃないものをステージに上がって表現されても、歌舞伎を観に来たのに落語やられたみたいな感じなので。全然受け入れられなかったですね。<中略>当時はノルマもあるので、『電車賃も出すし、チケット代も要らないから、お願いだから来てくれ』って友達を呼んで。自分たちのライブだけ観てもらって、終わったら一緒に外へ出て『全然面白くないよね』と言って朝まで過ごすってことをずっとやってました」目の前にいるお客は自分が必死で呼んだ友達。観客の少ない店内はやけに広く感じた。《いつか何千人を集めて 全部身内だって胸張って言ってやる だから目の前にいるそこの君 初めて会ったけど今日から身内》あれから8年、今やワンマンライブで3000人以上の身内を集めるほどになった。この時代に作られたMOROHAの曲こそ、紛れもなく2人がメジャーへ行くまでの道程として外すことのできない軌跡だ。
MOROHA 撮影=森好弘
MOROHA 撮影=森好弘

その後、「それいけ!フライヤーマン」「Apollo11」「Salad bowl」「YouTubeを御覧の皆様へ」と新旧織り交ぜて楽曲を披露。7曲目になり、アフロは会場を睨みつけながら発する。「お前が! お前が決めたんだろ! お前が、お前がやるって決めたんだろ! お前が! お前が自分でやるって! ……お前が決めたんだ。じゃあさ、やるからには時代をブチ抜けよ……「上京タワー」」
MOROHA 撮影=森好弘
MOROHA 撮影=森好弘

お前というのは、いつかの彼自身である。ずっとこの街にいて歳をとるなんて嫌だ、と長野の田舎町から飛び出すことを決めた2人。アフロがSPICEで連載している『逢いたい、相対。』で大木伸夫ACIDMAN)と対談した時、自分の故郷について話した。「俺にとっては長野の山や自然は『お前はどこにも行けないよ』って、すごい可能性を阻む存在だったんですよ」18歳だったアフロは決めた。「ここにいたら俺はいつまでも輝けない、この街を出よう……」と。そして、長野に別れを告げた。
MOROHA 撮影=森好弘
そんな「上京タワー」のアンサーソングとして生まれたのが8曲目に歌った「遠郷タワー」。上京当時、東京ではなく千葉にある美容師の専門学校へ通っていたアフロ。昼は学校へ、夜は家賃を払うためアルバイトに励んだ。学校の友達はみんな実家から通っていたので、金銭的に余裕があり、アフロとは違って遊ぶお金と時間があった。ある日、学校の友達がサーフィンへ行くというのでついていった。しかし、アフロはサーフボードを買うお金がなく、海でみんなが楽しそうに遊んでいるのを1人寂しく眺めているだけ。そんな時、周りの楽しそうな声を塞いでくれたのは、UKがいつか聴かせてくれたTHE BACK HORNの「冬のミルク」だった。《楽しそうな奴らに抱いた疎外感 「友達をつくりに来た訳じゃないから」》《爆音で冬のミルクを聞かせてバックホーン》「この街を離れれば俺は変われる」という期待はむなしく、周りと馴染めずアフロは孤独だった。《東京摩天楼 甘すぎた幻想》当時から2人の中にあったのは、虚無感・孤独・田舎を捨てて戻る場所も守るものもない男の儚いファイティングポーズ。アフロは、歌い終えると天井のスポットライトをじっと見つめた。まるで、あの時の自分に思いを馳せているように――。
MOROHA 撮影=森好弘
MOROHA 撮影=森好弘

その後、「GOLD」「スタミナ太郎」「VS」「拝啓、MCアフロ様」とアグレッシブな曲と、バラードを交互に展開していく。
MOROHA 撮影=森好弘
ついに、最終回。UKによる「鳩尾から君へ」の温かいギターの音色が響く中、アフロが優しい声で喋る。「渋谷のスクランブル交差点を今日も歩いてきたんだけど、赤信号で立ち止まると向こう側に人の列ができて。カラフルな洋服とかモノトーンな洋服を着ている人がいて。この配色、この順番っていうのは二度と再現できないんだろうなと思って。その瞬間に、信号が青に変わって。たくさんの人とすれ違うんだけど、その1人1人に眠れない夜があったり、忘れられない悲しい思い出があったり、人生があるんだなと思うと、たまらなく全員のことが愛おしくなって。その後、思いっきり肩がぶつかった奴に舌打ちされて、その気持ちが全部ぶっ飛びました。……それでも、もしかしたらアイツの子供が俺の子供と友達になるかもしれない。アイツの仕事が俺の友達を元気にするかもしれない。そうやって、こぎつけでも信じて渋谷の街を胸張って歩いてきました。どうか悲しいことがあっても、どうか切ないことがあっても、あなたが人間に絶望しませんように……」

MOROHA 撮影=森好弘

《コンビニ店員 何故か無愛想 それだけでの事でなんだか泣きそう》いろんな人が、家族や友達と別れを告げて辿り着いた花の都、大東京。長野の風景と違って、嫌でも視界に入る金波・銀波のネオンの看板がやけに眩しく、人はコンクリートのように冷たく感じた。《温かい場所 もう戻れない 誰がなんと言おうと戻る事は出来ない》20歳になる頃、アフロとUKはMOROHAを続けるか解散するかの瀬戸際に立ったことがある。元々、その場のノリで始まった活動。今のように音楽でメシを食っていくと踏み切れないでいた時代だ。アフロはUKが当時住んでいた町田まで訪ねて「これからは、自分が本気で歌いたいと思ってる音楽をやりたい。あと半年、頑張りたい」と伝えた。その言葉にUKは喜んで「絶対にそっちの方が良いよ」と答えた。《「悲しみを分け合うなんて無理 これは俺の分だって決まってる」》そして2人は誰かのじゃなくて、自分の音楽を作るようになった。今、そんな2人の音楽に支えられた人達が、じっとステージを見つめている。《俺はうたう 俺はうたうよ たとえ君が君を許さなくとも 俺が許すよ》最後のフレーズを歌い終えると、UKのギターが鳴り終わるまでアフロは目を閉じた。最後の1音が静かに響くと、「……ありがとうございました」と深く頭を下げた。
――計15曲、1時間30分に及ぶライブが終了した。ステージを去った後、少し間が空いて1人、また1人とアンコールの拍手が起こる。「Zeppの時はアフロが出てきたけど、今回はどうするんだろう」
……しかし、2人が再びステージに姿を現すことはなかった。
MOROHA 撮影=森好弘
取材・文=真貝聡 撮影=森好弘

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