バンドでもヒップホップでもない。人
懐っこさと無機質さが共存するMomの
音楽性| Music DNA #35
CD集めが趣味のロック少年だった。
ー音楽が好きになったきっかけを教えてください。
自発的に音楽を聴きはじめたのはB’zがきっかけです。小学校3年生の頃にB’zの「結晶」という曲がドラマの主題歌になって、CDをTSUTAYAでレンタルしてみたんです。それから段々とハマッていって、CDとライブDVDを買うようになりました。たぶん全部のアルバムを持っていると思います。稲葉さんの歌う時のワイルドさと謙虚なMCのギャップが好きで、ファンクラブにも入っていました。
ー意外です。それからはどんな音楽を聴くようになりましたか?
中学生の頃にB’zとエアロスミスが共演しているのを見てから洋楽に興味を持ったのですが、ボン・ジョヴィ、ミスター・ビッグなどの有名なハードロック系の音楽を聴いても全然ハマらなかったんです。
そこで、「クロスビート」などの音楽雑誌を読んで世の名盤とされている音楽を聴いてみたところ、オアシス、レディオヘッド、ウィーザー、ソニック・ユース、ピクシーズ、ティーンエイジ・ファンクラブなどの90年代オルタナにハマりました。音はハードだけどメロディーは人懐っこい音楽が好きで、雑誌を読んではCDを買う、というのを繰り返していました。中学はロック少年でしたね。
ー楽器をはじめたのはいつ頃ですか?
中学2年生の時にギターをはじめました。バンドでギターを弾いてみたいと思っていたところ、ちょうど楽器をはじめようとしている同級生がいたので、一緒に買おうということになったんです。
同時に、「他のクラスにドラムを叩けるやつがいるらしい」という噂を耳にしたので、別の友達に無理矢理をベースをやらせてバンドを結成しました。当時はグリーン・デイの「アメリカン・イディオット」などの簡単な曲をやっていました。
ーなんだか「青春」みたいですね。
そうですね。でも、正直あんまり楽しくなかったんです。全員初心者だったこともありますが、演奏してても特に高揚感が無いので、「バンドを組むのって、難しいんじゃないか?」と思っていましたね。
ー高校に入ってからもバンドを続けたんですか?
高校では軽音楽部に入ってナンバーガール、くるり、スーパーカーなどのコピーバンドを組んでいました。ギターを弾きながら歌うのが初めてで、すごく楽しかったですね。思い入れがあるのはブランキー・ジェット・シティの「赤いタンバリン」で、3ピースのミニマムなスタイルで演奏するのがおもしろかったです。
ただ、人が自分とは合わなくてすぐに辞めました。軽音楽部に入ってから、いわゆる「バンドマン」と接するようになったんですが、みんなクセが強くてタイプが似てるのであまり好きになれなかったんですよ。
それからやることがなくなったので、iPhoneのガレージバンドで曲を作り始めて。自分が作りたいものをカタチにするという体験が初めてだったので、楽しみながらやっていました。
ー当時はどんな曲を作っていたんですか?
最初はバンドサウンドを宅録するような感じで、ギター主体で適当な歌詞を乗っけてギターポップやオルタナっぽい曲を作っていました。
当時はレコード会社に曲のデータを送ることを熱量に制作していて、あえて自分の誕生日に音源を送ったこともありました。「誕生日に音源を送ったらレコード会社から返事がきた」というエピソードができたらおもしろいな、と思って。雑誌の読みすぎですね(笑)。
その後、高校2年生の夏休みに作ったアルバムをレコード会社に送ったら返事がきて、曲を送って感想をもらうという関係が続いていたのですが、曲作りが事務的に感じるようになってしまったのと、ちょうど「自分の作る曲ってあんまイケてないな」と思いはじめた頃だったので、大学受験を理由に一度曲作りを辞めてしまいました。
僕はモチベーションだけで動いているところがあるので、1回やりたくないと思うと絶対に気が向かなくなってしまうんです。曲作りを辞めた後はレコード会社とも連絡をとらず、ひたすらディスクユニオンでCDを漁るような日々を送っていました。
自発的に音楽を聴きはじめたのはB’zがきっかけです。小学校3年生の頃にB’zの「結晶」という曲がドラマの主題歌になって、CDをTSUTAYAでレンタルしてみたんです。それから段々とハマッていって、CDとライブDVDを買うようになりました。たぶん全部のアルバムを持っていると思います。稲葉さんの歌う時のワイルドさと謙虚なMCのギャップが好きで、ファンクラブにも入っていました。
ー意外です。それからはどんな音楽を聴くようになりましたか?
中学生の頃にB’zとエアロスミスが共演しているのを見てから洋楽に興味を持ったのですが、ボン・ジョヴィ、ミスター・ビッグなどの有名なハードロック系の音楽を聴いても全然ハマらなかったんです。
そこで、「クロスビート」などの音楽雑誌を読んで世の名盤とされている音楽を聴いてみたところ、オアシス、レディオヘッド、ウィーザー、ソニック・ユース、ピクシーズ、ティーンエイジ・ファンクラブなどの90年代オルタナにハマりました。音はハードだけどメロディーは人懐っこい音楽が好きで、雑誌を読んではCDを買う、というのを繰り返していました。中学はロック少年でしたね。
ー楽器をはじめたのはいつ頃ですか?
中学2年生の時にギターをはじめました。バンドでギターを弾いてみたいと思っていたところ、ちょうど楽器をはじめようとしている同級生がいたので、一緒に買おうということになったんです。
同時に、「他のクラスにドラムを叩けるやつがいるらしい」という噂を耳にしたので、別の友達に無理矢理をベースをやらせてバンドを結成しました。当時はグリーン・デイの「アメリカン・イディオット」などの簡単な曲をやっていました。
ーなんだか「青春」みたいですね。
そうですね。でも、正直あんまり楽しくなかったんです。全員初心者だったこともありますが、演奏してても特に高揚感が無いので、「バンドを組むのって、難しいんじゃないか?」と思っていましたね。
ー高校に入ってからもバンドを続けたんですか?
高校では軽音楽部に入ってナンバーガール、くるり、スーパーカーなどのコピーバンドを組んでいました。ギターを弾きながら歌うのが初めてで、すごく楽しかったですね。思い入れがあるのはブランキー・ジェット・シティの「赤いタンバリン」で、3ピースのミニマムなスタイルで演奏するのがおもしろかったです。
ただ、人が自分とは合わなくてすぐに辞めました。軽音楽部に入ってから、いわゆる「バンドマン」と接するようになったんですが、みんなクセが強くてタイプが似てるのであまり好きになれなかったんですよ。
それからやることがなくなったので、iPhoneのガレージバンドで曲を作り始めて。自分が作りたいものをカタチにするという体験が初めてだったので、楽しみながらやっていました。
ー当時はどんな曲を作っていたんですか?
最初はバンドサウンドを宅録するような感じで、ギター主体で適当な歌詞を乗っけてギターポップやオルタナっぽい曲を作っていました。
当時はレコード会社に曲のデータを送ることを熱量に制作していて、あえて自分の誕生日に音源を送ったこともありました。「誕生日に音源を送ったらレコード会社から返事がきた」というエピソードができたらおもしろいな、と思って。雑誌の読みすぎですね(笑)。
その後、高校2年生の夏休みに作ったアルバムをレコード会社に送ったら返事がきて、曲を送って感想をもらうという関係が続いていたのですが、曲作りが事務的に感じるようになってしまったのと、ちょうど「自分の作る曲ってあんまイケてないな」と思いはじめた頃だったので、大学受験を理由に一度曲作りを辞めてしまいました。
僕はモチベーションだけで動いているところがあるので、1回やりたくないと思うと絶対に気が向かなくなってしまうんです。曲作りを辞めた後はレコード会社とも連絡をとらず、ひたすらディスクユニオンでCDを漁るような日々を送っていました。
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