【インタビュー前編】DAISHI [Psych
o le Cému]、「このバンドのこの表
現は意図的」

Psycho le Cémuが12月8日の名古屋ボトムライン公演を皮切りに、ロールプレイングな世界観による東名阪ツアー<FANTASIA>を開催する。同ツアーではひとつのメロディと歌詞に対して3つのアレンジで異なるサウンドを構築した会場限定シングルCD「FANTASIA〜恋の幻想曲〜」「FANTASIA〜怒りの幻想曲〜」「FANTASIA〜勇気の幻想曲〜」のリリースも決定。自身初の三部作として届けられる。BARKSでは“FANTASIA”をキーワードに、Psycho le Cémuというバンドが生まれた必然性や、彼らの光と影に迫る。その第一弾インタビューはDAISHI。
DAISHIインタビュー前編では、“前代未聞の音楽エンタテイメント” “ジャンル無用のサウンド感” “コスプレバンド/ダンスバンド” “ポップとコミカルと刺激”などなど、Psycho le Cémuを構成する要素からバンドの核を紐解きつつ、彼らが生まれた必然性や復活から現在に至る不可避性に迫る。以下、インタビューはジョー横溝氏が務めた。

   ◆   ◆   ◆

唯一無二の存在としてロック界に存在するコスプレバンド・Psycho le Cému。コスプレだけではなく、ライヴに芝居やコントを導入し、ロック界に“笑い”を持ちこんだその発想はどのバンドよりも自由だ。こうした発想や表現形態は果たしてどこか来ているのか? その背景をフロントマン・DAISHIに聞いた。

■奇抜な衣装で笑われた時に
■あ、これイケるなって思ったんです

──まず、とても興味があるのが、“このバンドの表現形態はどこから生まれた?”という点です。コスプレはヴィジュアル系の枠も完全に超えていますし、バンドでありながら、曲によっては演奏すらしないわけです。この振り切った発想はどこから?

DAISHI:Psycho le Cémuを始動する前に、僕とLida君とでやってたバンドがありましてね。いわゆるGLAYさんやL'Arc-en-Cielさんみたいなバンドを目指してたんですけど、これがなかなか売れずで(笑)。
▲2001年<“Doppelganger~もう一人の自分~”>

──ははは。

DAISHI:でも、HIDE (X JAPAN)さんの事務所の方がそのバンドを観てくれたんです。で、1曲すごくいい曲があって、「あの曲なら東京でもいけると思う」って言われたんですよ。その時、既に東京でもライヴやってたんですけどね。僕は、このまま東京で勝負するのは絶対無理だと思っていたので、「1年だけ待ってくれないですか? 僕すごいバンド作るんで」って言ったんです。それで、自分がカッコいいと思うことを捨ててバンドを作ってみようと。コンセプトは、“黒を着ない” “インディーズで一番派手なバンド” “一番変なことをしてるバンド”。それで、メンバー集めをもう一回やり直したんです。でも、バンド歴のある人は大概そんなコンセプトのバンドは嫌がりますよね。特にseekとAYA君はカッコいいヴィジュアル系をやりたかったみたいで、結構葛藤があったと思います。実際、最初の衣装はseekだけ「絶対黒じゃなきゃ嫌だ」って言い張って、一人だけ黒でしたから。でも、いつの間にかseekが一番派手になっていましたけど(笑)。

──売れるために空いているイスを探したら、“派手” “目立つ”というところに行きついたということだと思うのですが、ものすごいコスプレのアイデアはどこから?

DAISHI:Lida君がもともと戦隊もの好きで、僕ら2人でアニメや特殊メイクとかの絵を描いてたので、その辺は嫌いじゃなかったです。でも、それをどういう風にバンド表現に発展させるかまでは、その方法が分からなかったですね。ゲームの影響はAYA君とかYURAサマです。seekと僕は全くゲームが出来ないので。あと、Lida君が聖飢魔IIさんを好きだったんです。その辺がPsycho le Cémuを構成する要素になっていますかね。

──でも、聖飢魔IIは演奏力の高さに定評があるし、ヴィジュアル系は演奏が上手いという定説がありますよね。なのにPsycho le Cémuの場合、ライヴでは曲によって、2人が演奏しないで踊ってますが。

DAISHI:はい(笑)。ただ、踊ったりするのは、バンドのコンセプトとはちょっと切り離しています。YURAサマが演奏をしなくなったのは“ボーカルみたいに目立ちたい”っていう発想からきてるんです。なので、そこはYURAサマの個人的な欲求ですね(笑)。で、YURAサマが一人だけ踊っているとバランス悪いので、AYA君にも一応踊ってもらい、僕もバランスを取りつつ踊るっていう(笑)。
▲2002年<TOUR“スターオーシャンの秘宝”>

──なるほど。話を戻すと、もともとの“バンドコンセプト=黒を着ない、派手、変なことをする”が、結局オーディエンスにウケたわけですよね?

DAISHI:ウケました。特にインディーズの頃は、今みたいにSNSがないんで、奇抜な衣装で出ていったらみんなに笑われていました。でも、笑われた時に“あ、これイケるな”って思ったんです。幕が開いたら、客席のみんなが笑っているし、曲が始まったらオーディエンスがみんないきなり踊っていましたからね。

──映画館で予告編を観ているとわかるんですが、邦画って、人が死んで泣く映画ばっかりなんですよ。それがこの国の情緒だと思うんです。でも、その真逆の笑われるってすごくリスクがあるし勇気がいることですよね?

DAISHI:勇気、いりましたよー。そういえば、満席の名古屋のMUSIC FARMっていうライヴハウスで、僕らのことを受け付けられないからって半分以上のオーディエンスに座られたことが一回ありました。でも、その反応を見て、“これはイケるな”って思ったんです。案の定、次の名古屋公演はめっちゃ波がきましたからね。座ってた子が来ていたんだと思うんですよ。要は、“好きな子にちょっと意地悪する”的なことで、気になったから座っちゃったんだと思うんですよ。それで僕ら、名古屋から火が点きましたからね。前身バンドでは味わったことのない動員の増え方をして。だから、拒否反応って大事なんですよ。
▲2002年<Last Indies Tour 2002“五芒星ファンタジー”>

──それにしても、“笑いとロック”って“水と油”ですよ。ロックは笑いではなく、怒りをベースにしてきた音楽です。もちろん、アメリカにはブルース・ブラザーズのような、コミカルな要素を持ったバンドもいましたが、日本だとロックと笑いの融合ってほぼなかったと思うんです。

DAISHI:いやいや! ドリフターズさんがいましたから(笑)!!

──でも、ドリフはジャズに近く、ロックではなかったですよ。

DAISHI:確かに。少なくてもヴィジュアル系ではなかったですもんね。

──ヴィジュアル系は“キャー”って言われてナンボじゃないですか?

DAISHI:でも、僕ら“キャー”って言われてましたよ(笑)!!

──それ、“ギャー!”じゃなく?

DAISHI:ちゃんと“キャー”でしたね(笑)。でも、“何でこの格好で「キャー」って言われてんのかな”って。もっとカッコつけている時のほうでも“キャー”って言ってくれなかったのに……。不思議なもんですよ。
■“売れてる人”って好きじゃない人から見たら
■どっかおもろくないですか?

──“笑いとロック”ってどう捉えてます?

DAISHI:最初はライヴ中のお芝居もなかったし、コントみたいなものもなかったんです。衣装はコスプレでしたけど、曲はただただ激しい曲をMCなしでやってるバンドでした。途中から笑いの要素を入れて、衣装の色を赤と緑といった原色からパステルに変えたんですよ。水色と黄色とオレンジとかに。その時、動員ガクンと下がったんです(笑)。

──アハハハハ!

DAISHI:ほんとですよ。演奏だけじゃなく、お芝居を入れて、さらに誰もやってないことにチャレンジしてレベルアップしてきたつもりが、ファンの方が理解できなくて。“え? 昔の普通の原色の方がカッコ良かった”みたいな感じでしたね。でも、ガツッと下がってちょっとしたら動員がめちゃくちゃ上がりました。一瞬離れたお客さんもいたかもしれないでけど、さらに違うことをすると上がるんやなと。でも、その一瞬下がった2〜3ヶ月は、めっちゃメンバーの仲が悪くなりましたけど。やっぱやり過ぎた(笑)。
▲2003年<TOUR“理想郷旅行Z”>

──ははは。“笑いとロック”の融合、しかもヴィジュアル系で、だと、さすがに斬新過ぎたんでしょうね。

DAISHI:正直、最近も笑いを求めてない人もいるのかなって思ったりもします。普通にカッコつけただけのコンセプトの衣装でやると、「そっちのほうがいい」って言うファンの方もいますから(笑)。難しいですね。

──でも、一瞬ガクッと下がったものの、その後のライヴ動員は凄かったわけじゃないですか?

DAISHI:1999年に結成して、すぐに動員が雪だるま式に増えて、ラストインディーズ公演が中野サンプラザ2daysで、その前に渋谷公会堂2daysでしたからね。インディーズでそのハコを2daysでやってるんですよね。しかも国際フォーラム ホールAまで、東京のワンマンは全部ソールドアウトできてたんです。

──その頃、SNSはないですよね?

DAISHI:全然ないですよ。ないほうが得意だったかもしれないです。SNSがあるとみなさん観た気になっちゃいますから。結局、恐いもの見たさみたいなとこがあったかもしれないですね。当時はチラシとCDしかなかったので。アナログ媒体のほうが面白い感じがしますよね。

──ちなみに、コスプレのネタは尽きないんですか?

DAISHI:尽きますよ。だからアメとムチを使い分けながらやっているんですよ。“今回はファンのためのコンセプトかな”とか、“これは外に向けてのコンセプトかな”とか。いろいろメンバー的に考えながらやっていますけど、当然、ネタは尽きますね。

──ずっとカッコつけているのも大変そうだし、笑いのネタを考えながらロックするのも大変ですし……。どっちが大変なんでしょうね?

DAISHI:僕、思うんですけど、売れてる人って好きじゃない人から見たらどっかおもろくないですか?
▲2003年 メジャー1stアルバム『FRONTIERS』

──確かに。

DAISHI:世界規模で見ても、そう。クイーンも然りで、興味ない人があのピチピチの胸開きのスーツを見たら、“え? ちょっとおかしい人”っていう感覚があるだろうし、売れてる人はそういう感覚を持ってはるなと思うんです。日本でも例えば、ウルフルズシャ乱Qもそうですよね。シャ乱Qさんだって見る人によってはなかなかおかしいと思うんです。でも……名前を挙げてみると関西が多いですね(笑)。米米CLUBさんは関西じゃないか(笑)。

──今、名前が挙がった日本のバンドは、モデルというかオリジナルが浮かぶんです。“〇〇にインスパイアされてるんだろうな”っていうのがあるんですけど、Psycho le Cémuはいい意味でその域を超えていますから。

DAISHI:僕らの場合、透けて見えるのは鳥山明さんですからね(笑)。まぁ確かに、ミュージシャンのモデルは透けて見えないですよね。透けて見えるのは鳥山明さんや『ファイナルファンタジー』!! でも、僕はそれを知らなかったから、勉強するのが大変だったんです。ゲームはしないのにゲームの説明書だけはめちゃくちゃ読みましたからね。

──ファンはどうなんですか? ゲーム好きが多いんですか?

DAISHI:いや。ゲーム好きのファンはいないです。僕らにもっとゲームオタクのお客さんがいたら、もうちょっと成功できていたと思います。僕らのファンは基本は女の子。最近は男の子も増えましたけど。

──オタクファンを取り込もうっていう考えはなかったんですか?

DAISHI:オタクのファンを取り込むのには、そういう臭いがする人じゃないと無理なんじゃないかと思うんです。同じ臭い同士じゃないと無理。特に僕が違うんだと思うんです。

──確かにDAISHIさん、オタク感はゼロですよね。

DAISHI:喋りの感じとか、私服の感じとかからも、僕がオタクじゃないことはハッキリしてて。本当は“しょこたん (中川翔子)”になりたかったんですけどね。オタクファンも取り込めればベストだったですけど、僕は漫画ですらそんなに読まないですから。

──これはあくまでも、仕事だと?

DAISHI:しかもバンド自体、音楽自体もそんなに好きじゃなかったです、若い頃は。
■僕の歌だけでは絶対無理だな
■と思わせたボーカルが2人いるんです

──そうなんですか! では、DAISHIさんの表現の根本にあるものは?

DAISHI:バンドで売れたかったっていうのが一番かもしれないです。もっと掘り下げると、僕の同級生にTRANSTIC NERVE (現・defspiral)がいたんです。彼らが地元・姫路でHIDEさんに見出されて先にデビューして。まぁ、あいつら人気がありましたよ。で、それがすごいトラウマで。だから、実は僕、バンドをやっている一番の根本に怒りがあるんです。しかも、かなり身近なところにある(笑)。“世界がどうした”とかじゃなく、地元の同級生のバンドには勝ちたいっていう怒りというか渇きです(笑)。
▲2004年 Maxi single「夢風車」

──なるほど。ジェラシーが表現の根本にあると。

DAISHI:それが一番大きかったかもしれません。あいつらがキラキラして見えたんですよね。僕がアルバイトばっかりしていた当時、“HIDEさんに見出された”って彼らは東京へ行くわけですよ。ミュージックビデオとか観ても、姫路でやってる僕らレベルじゃない完成度ですし。しかも、姫路のバンドってみんなしっかり演奏できるから、“これじゃ絶対に勝てへんな”って途中で気づいてしまって。でね、“この人がいるからPsycho le Cémuみたいなバンドにするしかない”って思わせたボーカルが2人いるんですよ、僕の人生において。一人は、当時Rayのボーカルで、その後cuneを結成した小林亮三。もう一人は当時、Waiveのボーカルで、今はRayflowerの田澤孝介。この2人と対バンしたときに、“これはもう僕の歌だけでは絶対無理だな”と思いましたね、2人ともすごく歌が上手くて。

──売れるって何が要因なんでしょうね?

DAISHI:たとえば、「ソニーに決まっていきなり売れたから、なんで売れたんかよう分からん!!」みたいなことを言う人もいますけど、僕は最初の売れてないバンドから戦略的に動員を伸ばしてきたんで、なんとなくは分かりますよ、数字が伸びる原因は。なにせ、このバンドのこの表現は意図的にやってますから(笑)。
▲2005年 Maxi Single「LOVE IS DEAD」

──変な話ですけど、DAISHIさんにとってPsycho le Cémuは一番好きな形ではないわけでしょ?

DAISHI:一番好きな形じゃないです。売れるなら私服でやりたいです(笑)。ヒムロック(氷室京介)みたいな形がいいです。だけど、選ばざるを得ないポジショニングだったんだと思います。僕の歌唱力も含め、メンバーの演奏力、顔面偏差値(笑)、いろんなもののトータルでPsycho le Cémuのエンターテイメントが出来上がったような気がします。あと、僕の場合、一人でグングン引っ張っていくボーカルじゃないんですよ。本当は、DIR EN GREYの京(Vo)さんみたいにバンドを引っ張っていく存在になりたかったんですけどね。清春さんもそう。僕の目にはそう見えるんですけど、“俺についてこい!”みたいな。でも、僕は全然ダメで、みんながいてくれたほうがいいんです(笑)。ちょっと引いて歌っているほうがハマるんですよね。

──面白いセンターですね。

DAISHI:僕、全然出たがりのセンターじゃないですよ。ボーカルってよく出たがるじゃないですか。僕は真ん中とかじゃなくても大丈夫なくらいです。

──それは性格的なものですかね?

DAISHI:ステージングは持って生まれたものだと思います。AYA君なんかは高校生の頃からステージングがカッコ良かったですもん。逆に僕は、楽屋とコンパのほうが自分の魅力を発揮できます(笑)。

取材・文◎ジョー横溝
■東名阪ツアー<FANTASIA>
▼<FANTASIA~恋の幻想曲を探す物語~>
2018年12月8日(土) 名古屋ボトムライン
Open 17:30 / Start 18:00
▼<FANTASIA~怒りの幻想曲を探す物語~>
2018年12月9日(日) 大阪パルティッタ
Open 17:30 / Start 18:00
▼<FANTASIA~勇気の幻想曲を探す物語~>
2018年12月14日(金) Zepp DiverCity Tokyo
Open 17:00 / Start 18:00
▼チケット
楽天チケット https://ticket.rakuten.co.jp/music/jpop/visual/RTCYPLH
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