【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#72 歌
手・成田賢の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

自分のモットーとしては「一生青春」だ
と思っているんですよね。常々若くいよ
うというか、新しいことに興味を持って
過ごすようにしてます

今回の名言は、2018年11月13日に惜しくもこの世を去った成田賢のインタビューからの抜粋である。成田は、テレビアニメ『サイボーグ009』の主題歌「誰がために」や、スーパー戦隊シリーズ『電子戦隊デンジマン』の主題歌「ああ電子戦隊デンジマン」などを歌い人気を博した。このインタビューでは、成田の波乱に満ちた経歴を振り返りつつ、55年を迎えた歌手人生のこれからを熱く語っている。「今年で72歳過ぎるんですけど、精神年齢は26歳くらいだと思って生活してますね」「死ぬまで歌いますよ。声が出るうちは」と明言し、生涯現役を貫いた成田の言葉は、ファンのみならず多くの人々を勇気づけるに違いない。

成田賢(なりたけん)
1945年10月22日生まれ、満州国大連市出身。高校生の頃から札幌のジャズ喫茶で歌い始める。1966年、グループサウンズのジ・アウトローズに、ボーカル兼ハーモニカ担当として参加。日劇ウエスタンカーニバルに出演する。1967年、 ジ・アウトローズをザ・ビーバーズに改名し「初恋の丘」でレコードデビュー。1968年、アルバム『ビバ!ビーバーズ』をリリース。1969年、ザ・ビーバーズ解散。以後、ソロ歌手として活動する。1979年、『サイボーグ009』の主題歌「誰がために」、1980年、『電子戦隊デンジマン』の主題歌「ああ電子戦隊デンジマン」などで、人気歌手としての地位を築く。また、CMソング歌手として、東鳩キャラメルコーン、赤福餅、パナホームをはじめ、230曲を歌唱している。1981年、交通事故に遭い、その後遺症により表舞台から遠ざかる。それから26年後の2007年、『ANIMEJAPAN FES 2007年“冬の陣”』で歌手活動に復帰。同年、スーパー戦隊シリーズ『獣拳戦隊ゲキレンジャー』の挿入歌「1-2-3激気正義!」に歌唱とブルースハープで参加する。2012年、セルフカバー版「誰がために-2012年ver-」を発表。2018年12月14日には、『GSフェスティバル2018』に元ザ・ビーバーズとして出演が予定されていた。2018年11月13日に肺炎のため73歳で死去。亡くなる1週間前まで、Twitterを頻繁に更新。ファンとはSNSで積極的に交流し、“賢にぃ”と呼ばれ親しまれていた。

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