【ライブレポート】田原俊彦、28年ぶ
り鹿児島公演で迎えたツアーファイナ

田原俊彦による全国ライブツアー<TOSHIHIKO TAHARA DOUBLE “T” TOUR 2018>の最終公演が11月2日、鹿児島・宝山ホールで行なわれた。田原は毎年、夏のライブツアーと冬のディナーショーを行なっているが、鹿児島での公演は28年ぶりだという。会場にはこの日を待ちわびたファンが1500人集結し、満員になった。
暗転した会場で、ミラーボールにスポットが当たり、田原のシルエットがステージ中央に浮かび上がると観客の歓声がマックスに。ブラックとゴールドの衣装を身につけた田原のオープニングナンバーは「海賊」(1990年)だ。弾むニュージャックスイングのリズムの中、4人のダンサーと田原が華麗に絡み合い踊る。

1980年代前半の、田原のアイドルとしての“哀愁”部分を表現することに才能を発揮していた作家・網倉一也の作詞作曲による「悲しみ2ヤング」(1981年)では、バンドメンバーとエイトビートに酔いしれる。やはり田原のライブの魅力は、当時のサウンドとダンスを衰退させることなく、そして進化させているところだろう。継続し続けてきた強さを感じる。

「今日はメンバーもオレも東京帰りません。みんなも返さないぞー!」「今日はみんなの元気な顔と生存を確認できたんで嬉しいです」と笑顔で挨拶した田原。「風の上ならSO HAPPY」(1984年)では歌いながらステージ上を所狭しとローラースケートで走り回り、初期のナンバー「ハッとして!Good」(1980年)、「恋=Do!」(1981年)、「ピエロ」(1983年)、「シャワーな気分」(1983年)、「原宿キッス」(1982年)をメドレーで披露する場面も。青春時代にタイムスリップした観客はステージ上の田原のアクションにあわせて踊り、笑顔を輝かせた。

アンコールでは「Dynamite Survival -I WILL SURVIVE-」(2003年)で再登場し、最後は「LOVE & DREAM feat.SKY-HI」(2014年)で観客がタオルを回し、大盛況のうちにツアー最終日は幕を閉じた。最高クオリティのダンスと歌を披露した充実の25曲、130分。1980年代のエンターテインメントを牽引し、紆余曲折ありながらも、毎年ツアーを行ない、独自の道を全力で走り続けてきた57歳。その笑顔の向こうに、ひとりの男の頑固で一途な生き様を垣間見せてくれたライブだった。

「40周年の来年は耳に残るメロディの新曲を準備中です。楽しみにしていてください」──田原俊彦

撮影◎西村彩子(8月25日東京・町田市民ホール公演)

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