長田育恵(脚本)とマックス・ウェブ
スター(演出)が語る『豊饒の海』~
三島由紀夫の大作を東出昌大主演で初
舞台化

『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』、この四部作からなる三島由紀夫の畢生の大作『豊饒の海』。この名著が初めて一本の戯曲として翻案され、舞台化されることになった。脚本は、てがみ座主宰の長田育恵、演出は英国・ロンドンで最も注目されている演出家の一人であるマックス・ウェブスターが手がける。キャストも東出昌大、宮沢氷魚、上杉柊平、大鶴佐助、神野三鈴、初音映莉子、首藤康之、笈田ヨシという、ゴージャスでいて三島美学を体現するのにふさわしい端麗かつ実力派の面々が揃った。11月開幕を前に早くもワークショップが行われるなど、準備が着々と進行中の真夏の某日、長田育恵とマックス・ウェブスターに今作の魅力、そして三島作品に挑むことへの想いなどを語ってもらった。
――今回、三島由紀夫『豊饒の海』を手がけることになり、まずどんな想いを抱かれましたか。
長田 最初に声をかけていただいた時には『豊饒の海』四部作を一本の戯曲にするということが、現実に自分にできるんだろうか?と思いました。私には、とてつもなく大きな山脈のように思えたので。でも話し合いを重ねるうちに、輪廻転生を大きな軸として、ひとりの人間が人と出会い、自分の人生を変えてくれた人を見つめ続けていく話だという背骨をとにかく通すということ。そしてその観点から見ると、四つの話になってはいるけど、美しい言葉によって装飾されている部分だったりもする核の部分はシンプルで、だからこそ強いという純粋なものにどんどん思えてきて。その強い感覚を頼りにすれば、この大作を一本の戯曲に編んでいけそうだという確信に変わっていったんです。私は、三島作品に関しては一番集中的に読んだのは大学生くらいの時期だったと思います。その時は日本文学の教養の一部として読んでいたのですが、美というものの概念をどうやって目に見える形、手触りのある形にたちあげるかが他の作家とはまるで違っていて。それに対するおそれやおののきみたいなもの、執着心みたいなもの、そして何かひとつを極めるということの鋭さとか高みを目指すその姿勢に、まだ何かになろうとしていた大学生の自分は結構打ちのめされていました。
――特に三島作品には、そういった部分が強烈にありますものね。
長田 そうなんです。そして今回再読して改めて感銘を受けたのは、人間の心の動きをこんなにもわかりやすく言葉で書き表すことができるのかという点でした。これまで、三島はもしかしたら人間のことをちょっと突き放した見方をしているのかなと思っていたんですけれど、今回読み直した『豊饒の海』で人間の感情や心理をとてもわかりやすい言葉で丁寧に書いてあるさまを見て、もしかしたら人間が好き過ぎて傷ついてしまったのかもしれないと、感じ方が変わってきて。
――今回読み直したことで、三島のイメージが変わった?
長田 変わりましたね。もしかしたら神様とか偶像としての三島ではなく、三島由紀夫というひとりの人間に初めて出会い直せた体験だったようにも思いました。
長田育恵
――マックスさんは、今回『豊饒の海』の演出をと声がかかった時の想いはいかがでしたか。
ウェブスター 今回の舞台のプロデューサーとは三年前に『メアリー・ステュアート』でご一緒させていただいていて、作品が終わった後に「次回は日本文学の舞台翻案をやってみようか」という話になり、そこから6カ月間くらいはずっとさまざまな日本文学の名作を読み漁っていました。その中でも、三島さんの作品はとても好きでしたね。ここで面白いのは僕が西洋人であるということです。彼の日本での位置づけ、どんな人生を送った人なのかということを、彼の小説を読んだ時には知識を持たずに読みました。そういう意味ではラッキーな立場だったとも言えて、まったく先入観なく読ませていただくという幸福にも恵まれました。もちろんのちほど、三島さんの生い立ちや背景など、いろいろと研究、勉強はしました。彼の作品は複雑なのですが、とても美しい。そして、心理的なものが不可思議な感じで入り混じっているんです。美というものはいかなるものかという大いなる哲学的な思いが流れていて、時間というものの概念、その仕組みはいかなるものか、それを人生に反映させたらどうなるのかが書かれている。そこで我々は今回、野心溢れる試みをしようと思っているわけです。第一部の『春の雪』を単独で脚色することは多くの方がやってこられていますが、四部作を一本の舞台作品としてこれだけの規模で翻案、脚本化するという試みは、これまで一度も日本では行われていないのではないかと思います。この四つの物語を読み進めると、前の作品のテーマが次に上手に反映されていることに気づきます。そうするとひとつの人生が第一章から第四章まで分かれているかのようにも感じられるんだけれども、それと同時に主人公が学生だった頃の話でもあって。そうすると観ている側の各々も「そうか、今までの人生があってこそ、今の自分があるんだ」と思えますよね。つまり僕にしても学生の時の私というものが、今、演出家である私の中のどこかにいるわけです。今回はこうして大いなるチャレンジに挑まなければなりませんが、三島さんが思い描いた美しさがそこでいかに表現できるかどうかという点については、まだまだこれからの稽古次第ですね。
――まさに壮大なこの四部作を一本の戯曲に翻案する作業を、現在も長田さんが進めている最中だそうですが。
長田 はい。特に、今回の挑戦の最大の見どころは本多繁邦役を三人体制にしているということなんです。若い時と中年と老年、三人のパートに分けて描いていくと、たとえば本人同士の対話も可能だったりもするので、そういうところが一番ワクワクできる部分になるのかもしれません。青春の輝きを、自分が出会った松枝清顕という存在を、ずっと本多は追いかけていくのですが。年をとると、共に生きていた青春の時にはわからなかった輝きだったり後悔だったり、いろいろなことを後になってまた抱えることになったりもして。そういうことを具体的に描写していけるというのも、舞台化ならではの面白い部分なのではないかなと思います。
――マックスさんは現時点で、どんなことを意識して舞台を作り上げようと思われていますか。
ウェブスター 全体的な意図としてはその瞬間に何が行われているか、ストーリーの中でそれを体験していただけるようにしたいと思っています。ある人物をいったん見出すと、そのキャラクターの世界にぐっと引き込まれて物語の世界に入っていける感じにもしたい。そうやってひとりの人生が見えていくと、その人生が四部作でどう変化していくかがわかってくるんですね。わかってくればさらに魅了されていくはずで、その人自身の変化をも追うことができる。それと同時にその人の周りの環境や、今、現代とはどう違うのかということも見えてくる。そうこうしているうちに三島のハート、真髄とは?というところに行きつけると思うんです。
マックス・ウェブスター
――ここ数日間、ワークショップをやられていたそうですが。実際にキャストたちの様子をご覧になって、どんな印象を抱かれたかを教えてください。
長田 キャストが実際に揃ってわかったのは、今作は本当にまごうことなき青春の物語だということでした。やはり等身大の俳優たちが演じると、小説や文章から想像するよりも、はるかにみんなが今何かを感じているという瑞々しさが伝わってきて。今このプロジェクトに対して、みんなが未知ながらも入っていこうと足を踏み出してくるわけなんですが、それは登場人物たちがそれぞれ人生に対して未知な部分を歩いていく姿勢と似ているように見えたんです。
――たとえば東出昌大さんは、どんな印象でしたか。
長田 東出さんが演じる松枝清顕は特に有名な登場人物で、“とても美しい”という風に書かれていて。そういうアイコン的なキャラクターを演じることって、難しいと思うんですよ。だけど東出さんは冷静さと情熱を併せ持って、自分が何をどう感じるかという部分を探しながら、本読みに参加してくださっていた。また清顕というのはひとつの小説の主人公ではあるけれど、全体に対してはどういう風に影響していく人物かということも考えながら向き合ってくださっているようにも見えました。他のパートを経たあと、もう一度『春の雪』のパートに戻ってきた時に、他で得たエネルギーをさらにもう一段階『春の雪』に載せようという意識を持っていてくださるように感じたので。もちろん、初見の脚本をいきなり「さあ、読んでください」と渡した状態でしたから、まだ何がどうという段階ではないんですけどね。ただ、どこを目指してこの座組が歩んでいくか、水面下で確認しあえたような感覚はありました。もし他の俳優さんだったら松枝清顕の美しさを演じるということが下手するとポーズに陥ってしまう可能性もあったかもしれないけれど、東出さんはそのアプローチでは清顕の美しさには到達できない、一瞬一瞬、嘘のないことを積み重ねることで清顕の持つ美しさにたどりつこうとする、そんな方針みたいなものをもう持たれているんだろうなと思いました。
長田育恵
――それは頼もしいですね。マックスさんはワークショップの時の、キャストの印象はいかがでしたか。
ウェブスター とても魅力的で才能のある方々です。非常に手応えを感じました。それぞれ強い個性があり、それぞれが異なったとてもいい強味を持っていたので、全員が揃った時にはさらにいい味が出てくるんじゃないかなと思っています。そして、(笈田)ヨシさんは今回のワークショップにはまだ参加されていなかったんですが、実は僕にとって世界中で最も大好きな役者のひとりなので、今回、彼とご一緒できることは非常に光栄です。
――本多繁邦役を演じるのは大鶴佐助さん、首藤康之さん、笈田ヨシさんの三人だそうですが。
長田 まだ三人並んだところは見ていないのですが、私は佐助さんと首藤さんがとても似ているように感じたんです。それは外見のことではなくて、内面の部分で。柔軟性であるとか、あと何かを取り入れたことに対して反応を返そうとするところ、心の中に持っている柔らかい部分とか。なんだか、漠然としていますけど(笑)。中身で一本通ってるという感じがすごくある。本多という人の人生は順風満帆なわけではなくいろんな挫折があって、歳をとるにしたがってちょっとひねくれてきたりもするのですが、でも心の中の一番根っこではいつまでも夢を信じていたり、素朴な部分があって。汚れきれないから苦しい、ということもあるんですよね。演技で身につけるのではない、そういう根幹の部分が二人はそっくり。きっとヨシさんも、そういう方なんじゃないかと思います。だからこの三人の本多は心の中の部分できちんと一本通るのではないかという、妙な説得力を私は感じました。
ウェブスター 三人ともがみなさん経験豊富ですし、とても強いエネルギーを出してくださっているように感じます。僕も、とっても素敵なパフォーマーたちだと思いましたね。
――マックスさんは日本人の役者たちと作品づくりをするにあたって、どんなところに面白さや難しさを感じられますか。
ウェブスター それについては、国籍問わずですよ(笑)。人間というのはアメージングな存在であり、複雑であり。そこはイギリス人だろうと日本人だろうと同じです。ですから、難しさはロンドンで演出している時と同じですね。役を演じてもらいつつ真の内容がお客様に明確に伝わるようにするというのは、僕が伝えなきゃいけないことなので、まあそれはどこでだって大変です。まるで一曲の楽曲のように、上手にリズムを作っていかないとひとつの作品としては成立しませんからね。
――三島がもし生きていたら、この企画を面白がってくれそうな気がします。
長田 お客様にもそういう風に感じていただく作品にしたいというのが大前提であるし、その上で何を大事にしたかということもちゃんとわかっていただける作品にしたいなと思っています。
――『豊饒の海』は輪廻転生の話ですが。お二人は、輪廻転生は信じていますか。
長田 その話は、ちょっと前にも稽古場でしていたんですよ。日本人には割とその考え方が最初からあるよねって。まず先に、マックスはどう思われますか?
ウェブスター ちなみに僕は、生まれ変わりに関しては信じていないです。この小説の中で、本多は美しい人間と出会うたび、彼は同じパターンを繰り返すんですね。それって実はわれわれの姿とも似ていて。人生の中で起こることはいつもパターン化していて、それがくるくる回っているんです。両親との関係性にしても、自分のパートナーとの関係性にしてもそう。でもそれが物語の後半に差し掛かってくると何かが変わってきて、なぜかこのくるっと回っている円のところを、本多は直線的に横切っていく。そうすると時間というか時空の考え方も変わって、時間は永遠にくるくると回っているのに対し、まっすぐ横切っていく時は戻ってくることはない、なぜならば一方向に突き進んでいくだけだから。そう思うと、生まれ変わりは信じないと先ほど言いましたが、くるくる回っている時間は永遠にずっと続いていくのですが、でもやはり歴史というものは常にどこかに向かっていくはず。その折り合いを考えていくと、とても面白いですよね。
マックス・ウェブスター
長田 これは私だけの感覚か、日本人ならではの感覚なのかはわかりませんが。魂が一回限りで終わりじゃないという考えは、子供のころから信じていました。日本には「縁がある」という言い方があり、これはつまり前世とか次の世、来世があることが前提になっていると思うんです。縁があって出会うのは、前世で何かつながりがあったからだとか言いますし。何かちょっと面倒くさい関係になったと思っても、なぜか何度も何度も関わるシチュエーションになる人とは「もしかしたら前世が肉親だったから仕方がないのかもしれない」と思ったり(笑)。
――そういうこと、よくありますね(笑)。
長田 日本人には祖先とか自然に対する信仰が昔からあるので、人間が死んだら、自然みたいな部分に一度取り込まれて、また帰ってくるという思想がある。それは科学的なことではなく、土着の精神性としてなんとなくあるものなので。だから本多がそれを信じたいという気持ちも、日本人からしたら特殊なことではないように思うんです。
ウェブスター 三島さんはこの作品を、美しいヒューマンドラマというレベルにも目線を置いてくださっていて、男の子が女の子に恋をする物語という面もあれば、若い男が軍を動かそうとするみたいな側面もある。難解な、哲学的なことだけには決してとどまっていませんから、お客様もきっと心をグッと掴まれることになると思います。そして観終わった時には「すごかったなあ、あの後ってどうなるんだろう?」と、先の展開を知りたくなる。もしくは観終わったら「あの時の○○は~」って、人と語り合いたくなるかもしれない。この物語には人間というものに対する深く鋭い想いがあるからこそ、観終わった後に何か心を大きく動かすものが生まれるんだと思います。
長田 今おっしゃってくださった通り、やはりこの作品は人間ドラマなんですよね。もしかしたら、三島作品ということですごく難しくて理解できないんじゃないかとか、とても崇高なものを観に来るという感覚の方が多いかもしれないのですが、ちゃんと地に足がついている、等身大の人間たちのドラマだということを感じながら観ていただきたいなと思うんです。ここで表現する美しさというのは偶像とか、工芸作品みたいな美しさを指すのではなくて、自分の感情だったり、目の前に生きている人間との関係性の中で生まれてくるもの。そこから得た確信や真実という大事なものをひとつひとつ掴んでいき、それを積み重ねていく。その先にきっと、三島が到達したかった美しさはあるように思います。この物語の最後の景色は、本多というナビゲーターと共に彼の人生をたどっていって初めて目撃できるものだと思うので、お客様にはぜひ登場人物たちと一緒にこの物語を体験してもらいつつ、その景色までたどり着いていただきたいです。
取材・文=田中里津子  写真撮影=山本れお

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