若々しく奥深いピアニシズム~喜寿の
ピアニスト田崎悦子が取り組む、ショ
パン・シューマン・リストの愛と葛藤

みずみずしくエネルギッシュなピアノの音色に思わず息を飲んだのは、今年5月、東京文化会館小ホールでのこと。奏者は、今月喜寿を迎えた田崎悦子である。
『三大作曲家の愛と葛藤』と題し、ショパン(1810~49)、シューマン(1810~56)、リスト(1811~86)のピアノ曲を、春と秋にシリーズで披露する春公演だった。客席には、涙ぐんで聴いている人もいた。田崎が曲を弾き終えるごとに、我に返ったように拍手する人もいた。
「19世紀の同時期に活躍した3人だけど、全く違う人柄、作風。でも皆、私が男を感じる人。曲を弾くと抱きしめられてる感じというか、官能に陥るというか(笑)」とは、公演前の田崎の言葉だ。
田崎は、留学生が珍しかった60年代に奨学金を得てNYのジュリアード音楽院で学び、ショルティ、ゼルキン、カザルスら巨匠の薫陶を受け、米国で30年間活躍。帰国後は、八ヶ岳山麓に居を構え、ワークショップを開いたりしながら演奏活動を続けている。
「ああいう音でないとイヤと思う音が、いつも心にある」という。「最初の音から人の心を射る」理想の音に対する探究は一生続く
10月の秋公演について伺うと「今度のプログラムには、恋愛したり演奏したり“人生の真っ最中”の3人の、生きるエネルギーの全てが入っています。エネルギーの色はそれぞれ違いますけどね」
色の違いは、以下のとおり。
「ショパンは、16~17歳頃のたまらなく美しいノクターン、それからマズルカを4曲ほど」という。春に弾いた『幻想ポロネーズ』は、年上の恋人、ジョルジュ・サンドとの生活が軋み始めた晩年の傑作だった。今回は、彼が亡くなってから親友が出版した『ノクターン第19番』のよう。ノスタルジックな旋律に低音の陰影が揺らぎ、はかなさやミステリアスなニュアンスも漂う。祖国ポーランドの民俗舞踊を基にしたマズルカの曲番は、当日のお楽しみらしい。
シューマンは『クライスレリアーナ』。ドイツの作家ホフマンがかなわぬ恋を描いた小説に、自身の多難な恋を重ねたといわれる、28歳頃の曲だ。相手は9歳年下のピアニスト、クララ・ヴィークだが、クララの父に結婚を猛反対されていた。「これまでに何度も弾いたけど、自分の感じ方や感性をもっと放出しようと思っています。8曲からなっていて、それぞれドラマチックな場所と歌う場所があるので、激しいところはもっと激しく、優しいところはもっと優しく……」 ちなみに、法廷闘争の末、1840年にクララと結婚するまで、父ヴィークの猛反対は延々続くが、この間にシューマンのピアノ名曲が次々と生まれている。
そしてリストは、旅先での心象や感動を3~15分程度の曲にした作品集『巡礼の年』の「第2年 イタリア」。『巡礼の年』は「第1年」から「第3年」まであり、「第2年」は20代後半にイタリアで感銘を受けたさまざまな芸術をもとにしている。例えば「婚礼」はラファエロが描いた聖母マリアと聖ヨゼフの婚礼画に、「物思いに沈む人は」ミケランジェロの彫刻に、それぞれインスピレーションを受けてといった具合。7曲からなり、演奏時間は50分超だ。「ピアノの名手リストは、これまで作曲家としてはあまり高く評価されずにきていますが、独創的な傑作がいろいろあって、私は好きです。人間的にも興味深くて、敬虔でありながら女性にモテて恋をする、ピアノの貴公子だけど庶民的なところもあるなど、相反するキャラクターを持ち合わせていて、きっと苦しかったと思います。今回、7曲全部演奏しますが、最後の『ダンテを読んで』には、天国と地獄、悪魔と神など、まさに両極端が共在していて、ハーモニーや休みのとり方なども独特です」
普段の田崎は、小鳥の声で目覚め、とれたての野菜を味わったり、近所に回覧板を回したりのスローライフを満喫しながら、ピアノに向かっている。都内でレッスンもしていて「往復の電車の窓から景色を眺めるのも好き」だそうだ。「運動は?」と尋ねたら「柴犬2匹と散歩!」と、笑顔が返ってきた。
文・写真=原納 暢子

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