〈世界ゴールド祭〉ノゾエ征爾×菅原
直樹が、演劇をやることで高齢者から
生まれ出る強烈パワーを語る。

「世界からゴールド世代が集い、高齢社会にクリエイティブな潮流を巻き起こそう」をコンセプトにした日本初となる高齢者による舞台芸術の国際フェスティバル〈世界ゴールド祭〉が、彩の国さいたま芸術劇場を中心に開催される。60歳以上の人びとによる大群集劇『1万人のゴールド・シアター2016』で演出を担当したノゾエ征爾が『1万人の〜』から派生したゴールド・アーツ・クラブ738人とつくり上げる『病は気から』、岡山県を拠点にOiBokkeShiというチームで老いと演劇をテーマに活動を続ける菅原直樹が徘徊演劇『よみちにひはくれない』の浦和バージョンで参加する。彼らが感じる高齢者、そして高齢者との演劇づくりについて聞いた。
〈世界ゴールド祭〉で世界とつながる
−−まずは〈世界ゴールド祭〉という企画を聞いて、どんな印象を抱かれましたか? 
ノゾエ ついに来たかと(笑)。『1万人のゴールド・シアター2016』で高齢者との公演にかかわらせていただいたのを機に、今回もやってくるロンドンのサドラーズ・ウェルズ劇場のカンパニー・オブ・エルダーズさんをたまたま見学させていただく機会もあったり、海外でもさまざまな取り組みがあるとは聞いていたので、そこに参加するんだなぁと。2016年のころには思いもしなかったことですよね。
菅原 僕もOiBokkeShiで活動を始めたあたりから、認知症に優しい劇場があったり海外でのいろんな事例を聞いて、とても興味を持っていました。だから〈世界ゴールド祭〉という形でほかの方々とつながれるのはとても貴重な機会だと感じました。
ノゾエ なんと言っても世界ですもんね。
菅原 驚きました。僕は東京から引きこもるように岡山県和気町という小さな町に移って活動してきたので、それが一気に世界とつながるなんて。たしかに他所にはない珍しい活動かもしれませんし、面白い融合ができるというのは発見でしたが、介護と演劇を組み合わせたことによる発信の力はすごいですね。各国で高齢者演劇の実践を積み上げてきた方々と、岡山で積み上げてきたものが重なるのは、これまでの活動をぐっと発展させる機会になるのかなと。
ノゾエ まさかこんなプロジェクトにかかわることになるとは、アングラをやっていたころには夢にも思いませんでした。
ノゾエ征爾
−−ノゾエさんは2010年より世田谷区内の高齢者施設での巡回公演も行っていますが、亡くなった蜷川さんから引き継いだ『1万人の〜』がここにつながっていると思います。振り返っていかがですか?
ノゾエ やったんだという事実は残っているんですけど、それが自分の心、気持ちとはまだフィットしてないというか。他人事だったような気もします。イベント自体はとてつもないものだったし、誰でもやれることではないものですよね。ただ自分としてはもっといろいろできたんじゃないかなと思ったりはします。というか、本番中にリベンジしたいという気持ちが湧いていました。
−−菅原さんは今、ワークショップでいろんな町に引っ張りだこですが、他所の町で作品をつくるというのは?
菅原 初めてです。OiBokkeShiの活動は91歳の看板俳優・おかじいこと岡田忠雄さんとの信頼関係があってやってきたものなので、ちょっと不安と緊張があります。僕の演出家歴なんて岡山に行ってからで、今でも肩書きは俳優と介護福祉士です。ご一緒するネクスト・シアター、ゴールド・シアターの皆さんに演出家として鍛えていただければと思います。そんな弱気じゃいけないんでしょうけど。
−−ノゾエさんから何かアドバイスはありますか?
ノゾエ いやいや、状況が勝手にそうさせてくれるというか、そうせざるを得ないというか、その連続がきっといい方向に導いてくれますよ(笑)。
菅原 わかりました。その状況を楽しみたいと思います。
ノゾエ 僕もまさかの連続で気がついたら、自分では予想もしていなかったような現場に呼んでいただけたわけです。そこで自分の思いとズレたから満たされないのかと言えば逆で、むしろすごく楽しい。菅原さんも周りがこれからますます放っておかないと思うから、気がついたら、気がついたら、気がついたらの連続で岡山に引きこもってなんかいられなくなると思いますよ。
菅原直樹
−−菅原さんがOiBokkeShiの活動をスタートさせたのは、さきほどおっしゃった岡田さんとの信頼関係が重要だったということですが、改めて教えていただけますか。
菅原 岡田さんと出会ったばかりのときは僕は俳優でした。ところが岡田さんは僕のことを「監督、監督」と言うんです。最初は監督じゃないんだけどと思ったんですけど、岡田さんの前では監督という役割を引き受けようというところからOiBokkeShiが始まりました。だから岡田さんが僕のことを監督にしてくれたわけです。
演劇をやることで老人という役割から解放される
−−日本のこれから、すでに現在もそうですが、年齢構成は相当に高齢者に比重があります。そんな環境の中での高齢者と演劇との出会いについて可能性を感じるところはありますか?
ノゾエ 僕はすごく身近な感覚でしかとらえていないんですけど、『1万人の〜』は、参加者の皆さんだって思いもよらなかった企画だと思うんですよ。彼ら自身も突き動かされるものがあって、参加してみたら素晴らしい生きがいができた、いい場所ができたみたいなことを感じていらっしゃるのを僕も感じていました。個々の活力、臭い言葉ですけど笑顔、逆に怒っているときもあるんですけど、そういうものが自然に生まれるんですよね。正直これから先どのように発展させるのか難しいんですけど、続けていきたくなる魅力があるし、続ける先に何か見えてくるものがあるんじゃないかと思うんです。だからやれる限りやりたいと思っています。
−−ゴールド・シアターの方々とかかわってみて、街を歩いていて、高齢者の方が気になるとかありますか?
ノゾエ あります、あります。目があったりするだけで参加者じゃないかなって思いますね(笑)。
菅原 『1万人の〜』の出演者は1000人規模ですもんね、どこかで会うかもしれない。
ノゾエ だから電車の席は必ず譲るようにしています。
菅原 演劇は、演出家が役をつくり、俳優が演じるものですよね。僕の場合は主にOiBokkeShiですが、高齢者になってから役を演じることはとても重要かもしれないと思うんです。介護職員として老人ホームで働いているときに思ったことですが、ホームのお年寄りは認知症を患ったり障害を持ったりして、どんどん役を奪われていくんです。これまでの人生ではサラリーマン役だったり、クリーニング屋さん役だったり、あるいはお父さんお母さん役だったり、それぞれ役割を持って生きてきた。やっぱり生きている限り人は役割を持ちたいんじゃないかと思うんです。そのときに演劇に出会うことで、これまでやってきた役にも、やれなかった役にも挑戦できる。それは大きな楽しみになるんじゃないでしょうか。と同時にその人にできる役割を見つけてあげることがいいケアにもなる。さっき僕は岡田さんの前では監督という役割でいようと話しましたが、むしろ岡田さんが俳優という役割を演じたかったんだと思うんです。人って自分にあった役割を見つけると生き生きしますよね。それは子供からお年寄りまでそう。お年寄りの場合、自分は俳優で、役を演じるという視点が持てればつらくて大変な老いが楽しくなることもあるんじゃないかなと思います。
菅原直樹
−−菅原さんが介護福祉士でもあることからの発見だと思うのですが、認知症の方が見えている世界を受け入れることだとか、俳優のコミュニケーションに似ているところはありますよね。
菅原 そう思います。先日、岡田さんが脳梗塞で入院したんです(取材は7月末。現在は回復されています)。幸い後遺症はないんですが、しばらくベッドで安静にしていないといけないんですよね。岡田さんは病院生活が慣れないものだから、立ち上がったりいろいろしたいと言うんですよ。そのときに今は寝たきりの役ですから寝たままにしていた方がいいんじゃないですか、僕も寝たきりの役の台本を書いてきますんでと言ったら「はい、そうですか」って。脳梗塞や寝たきりなのはつらくて悲しいことですけど、自分は俳優だという意識を持つと、その状況を俳優として表現するということで大きな意義が出てくるんじゃないかなあと。しかも岡田さんは理学療法士や言語聴覚士の方とリハビリに取り組んでいるんですけど、主に歩行訓練と発声をやっている。それを本格的な俳優のトレーニングは初めてだと燃えているんですよ。演劇という生きがいのおかげでリハビリも熱心に取り組んでくれているんです。ですから日常から俳優という視点を持つことにで、老いという現実も受け入られるということじゃないですかね。
ノゾエ それはすごい力だと思いますね。僕ら自身も演劇をやっていたことが報われるような気持ちになります。表現というフワッとしたものではなくて、一般の生活者の喜びに近いものがたしかにあるというか。
菅原 岡田さんの中では特に生活と演劇は深く結びついていて。昨日もお見舞いに行ったんですけど、生前葬の話をしていたのに、いつのまにか新作公演の話になってしまった(苦笑)。
ノゾエ 素晴らしい。もはや職業病ですね。
菅原 僕も老いや介護の話が演劇の専門用語で話せるというのは面白くて。
ノゾエ征爾
−−ノゾエさんは、高齢者のパワーはすごいなと思ったことはありますか?
ノゾエ 無邪気なやる気。それが過剰になってくると邪気になってしまうんですけどね。一人で歌うシーンがほしいと言い出したり、せりふが少ないと言い出したり、本番当日に突然キラキラした衣装を持ってきて着たがったり。でもそうやってなんでもかんでもストレートに言えるのがすごいですね。ただ一人にOKを出したら、私も私もって大変なことになるんで。いや、もちろん大多数の方は役の中で考えてくださるんですけどね。わがままを言う方も頭ではわかっているんですけど、なんか解放されてしまうみたいなんです。
菅原 そういう欲求のある人のアンテナに引っかかりやすいのかもしれませんね、演劇というのは。
ノゾエ なんか、現場に来てパーンと弾けるみたいです。
菅原 もしかしたら役を演じることで、世間一般のお年寄り像から解放されるのかもしれませんね。歳をとると社会が求める年寄り像があって、それに合わせて年寄りを演じなければいけないところもある。けれど演劇になると別の役があるんですよね。岡田さんにも第2作目で「お母さん」「お母さん」って泣きじゃくる小学4年生を演じていただいたんですけど、それこそ生き生きと、感情がこもっているんですよ。岡田さんすごいですねえと話をすると、歳をとってもお母さんの胸に抱かれたいという気持ちがあるんですって。実は認知症の方でも夜中に「お母さん、お母さん」と寂しがるときがあるんですよね。もしかしたら認知症の方も、認知症になることで世間一般のお年寄り像から解放されているんじゃないとさえ思えてくる。だからお年寄りはみんな解放されたいという気持ちがあって、高齢者で演劇をやる方はそれによって解放されるというか。そのエネルギーを感じることはありますし、表現したいという気持ちが出てくる。人は歳をとると本当に不条理なことがいっぱい起きます。今までできたことができなくなりますし、物忘れも多くなるし、体も動かなくなっていく。奥さんが亡くなったりもする。それに対して言葉にならない思いを表現したいという気持ちになるんじゃないでしょうか。
ノゾエ 逆に若いころに役者になりたかった、学生時代ちょっとだけやってて、ここで本気で役者をやれるという方もいますね。けれどやる気の差は激しくて、ここに人に会いに来るのが楽しいだけの人もいます。でもそういうスタンスさえも認められて、受け入れられるという環境は大事なのかなと思います。
大げさでもいいから、高齢者としての姿を演じ尽くしてほしい(ノゾエ)
ゴールド・アーツ・クラブ「病は気から」月組 (c) 宮川舞子
−−それぞれの作品について教えてください。
ノゾエ 僕はモリエールの『病は気から』という喜劇を潤色して演出します。ようは気持ちだよねと言っているようなお話です。病を扱っていることも、高齢者の皆さんが演じることで真実味も生まれるし、同時に喜劇性も増幅される感じがあるんです。たとえば役の上で膝が痛いとか、腰が痛いというせりふも言ってもらったりするんですけど、半分は演技なんですけど、半分はどこか本当っぽさもあったりして、僕らが病気なんですというよりも彼らが言う方が気持ちよく許される気がします。この本番が終わったら入院するんですという方が本当にいらっしゃったりするんですけど、それを舞台上で言っていただいたりすると、なんだか病院が健やかな場所に聞こえてくるというか。何かが肯定されるというか、報われるというか、灰色っぽかったものに色がつくというか。そこのバランスが、彼らがこの作品をやる面白さかなって思いますね。
−−前回できなかったからこそ、今回はここだけは実現したいというところはありますか?
ノゾエ 存分に呻いて、徘徊してほしいです(笑)。これから先、なるかもしれない、あるいは、もうなっているかもしれない姿を思いっきり、大げさに演じ尽くしてもらいたいですね。老いや病という負のイメージのものを、全身全霊で、思いきり力強く演じる。それを見たいです。そして、できたらみんなで会場中を徘徊する。いつかなるかもしれない笑えない出来事を、一度皆で笑っておく。一生懸命やったら笑いが生まれた。一生懸命生きたら笑えた。笑いってある意味肯定だと思っていて、たとえばクレームの多い参加者もたまにいたりするんですけど、そういう方に、ちょっと面白い演出をつけたりすると急に笑えて、そうすると愛おしくなったりして、ちょっと嫌だったものが肯定される瞬間というか。だからいろんな笑いであふれさせたい。つまり、肯定の嵐にしたい。そんな空間をつくれたらと思っています。
フィクションと現実の境界が曖昧になっていく徘徊演劇
さいたまゴールド・シアター × 菅原直樹(日本)「よみちにひはくれない」 (c) hi foo farm
−−菅原さんの作品『よみちにひはくれない』という作品です。
菅原 これはOiBokkeShiの旗揚げ公演、3年前くらいにやった町歩き演劇、徘徊演劇を浦和を舞台に変えて、ゴールド・シアター、ネクスト・シアターの方に出演していただいて上演します。浦和の商店街を舞台に、主人公の旦那さんが認知症のおばあさんを探して回るというお芝居で、お客さんは俳優についていくわけです。基本的なストーリーの流れはOiBokkeShiのときとほぼ同じなんですけど、町の特性が投影されたりするので、再演というよりも改定上演になります。俳優が劇場を飛び出して町を徘徊するというニュアンスも出せたらいいなと思います。そうすることでフィクションと現実の境界が曖昧になっていくお芝居になるんじゃないでしょうか。僕が介護の現場でお芝居を取り入れていく、それも現実にフィクションを取り入れるということなので、そういったことの面白さをお伝えできればなって思っています。
−−浦和の印象はいかがですか?
菅原 浦和は商店街がいくつかあって、また古いお店も多いんですよ。また再開発で高層マンションもできている状況でとても興味深い街です。再開発されることで次の時代を生きる若い人たちも多いけれど、商店街から少しずれると昔ながらの銭湯があって高齢者の方々の社交場になっていたりもする。変わっていく中でも変わらないものもある、ということで面白いんです。和気町でやったときはシャッター商店街の話だったので、高齢者、認知症の方を描くということと町の老いを描くということがセットになったんですけど、浦和の場合はどんなふうになるか楽しみですね。
《ノゾエ征爾》脚本家・演出家・俳優・劇団「はえぎわ」主宰。1995年、青山学院大学在学中に演劇を始める。1999年に劇団「はえぎわ」を始動。以降、全作品の作・演出を手がける。2012年、はえぎわ公演『○○トアル風景』にて、第56回岸田國士戯曲賞受賞。劇団外の活動も多く、2010年より世田谷区内の高齢者施設での巡回公演(世田谷パブリックシアター@ホーム公演)や、広島や北九州、静岡など地方での長期滞在創作など、幅広く活動。近年の演出作品に『気づかいルーシー』『ボクの穴、彼の穴。』『太陽のかわりに音楽を。』、出演作品に『ニンゲン御破算』など。『1万人のゴールド・シアター2016』では脚本・演出を手がけた。11月には、三島由紀夫原作『命売ります』の脚本・演出・出演予定。
《菅原直樹》作家、演出家、俳優、介護福祉士。「老いと演劇」OiBokkeShi主宰。平田オリザが主宰する青年団に俳優として所属。小劇場を中心に、前田司郎、松井周、多田淳之介、柴幸男、神里雄大など、新進劇作家・演出家の作品に多数出演。2010年より特別養護老人ホームの介護職員として勤務。2012年より岡山県に移住。介護と演劇の相性の良さを実感し、地域における介護と演劇の新しいあり方を模索している。認知症ケアに演劇手法を生かしたワークショップを全国各地で実施。OiBokkeShiの活動を追ったTVドキュメンタリー番組「よみちにひはくれない~若き“俳優介護士”の挑戦~」(岡山放送)が第24回FNSドキュメンタリー大賞優秀賞受賞。
取材・文:いまいこういち

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