レイ・ブラッドベリの世界を、白井晃
と吉沢悠らが音楽のように美しい舞台
へと作り上げる『華氏451度』

華氏451度、それは紙が自然発火する温度。読書の禁じられた世界で本を焼き払う“ファイアマン”として働くモンターグ。自分の仕事に愉しさと誇りを持っていた彼だが、一人の少女との出会いが、彼の人生を大きく変えていく――。
アメリカの作家、レイ・ブラッドベリのSF小説「華氏451度」は、1953年に発表された。実に65年も前に書かれたものだが、近未来を描いていることもあり、内容に古さや隔世の感は全く感じられない。むしろここに描かれているディストピアは、現代の私たちに現実感を持って迫ってくるようにも思える。
1966年には巨匠フランソワ・トリュフォーによって映画化もされ、ブラッドベリの代表作の一つとして名高いこの小説だが、舞台化されるというニュースを聞いたとき、「あの世界を舞台で表現できるのか?」と驚きと不安が先に立った。しかし、演出が白井晃だと聞き、その思いは即座に喜びと期待に変わった。
というのも、2014年にKAATで上演された白井演出の舞台『Lost Memory Theatre』を鑑賞したとき、ディストピアを思わせる世界で繰り広げられる、演劇・音楽・ダンスが融合された美しい詩のようなこの作品から、ブラッドベリ的なものを強烈に感じたのだ。そして、白井はこれまでもポール・オースター作品など、様々な小説の舞台化に挑み、その手腕を発揮してきている。「SFの抒情詩人」と謳われるブラッドベリの世界を、白井ならばきっと舞台上に鮮やかに描いてみせてくれるはずだ。
このたび、そんな大きな期待を抱いている舞台の稽古場を見る幸運に恵まれた。見学してきた稽古場の様子をお伝えしよう。
【稽古場見学1日目】
この日の稽古は、後半のクライマックス近くのシーンから始まった。追手から逃げるモンターグの緊張感あるシーンだ。
極めてシンプルな舞台上に、無数の本が足の踏み場もないほど無造作に転がっている。その上をもがくように歩き、時に足を取られて転びそうになっている吉沢悠演じるモンターグの姿は、『本』によってその人生が大きく変わってしまった男の姿を印象付ける。
シンプルな舞台美術である分、俳優の存在自体が舞台の土台となるが、舞台経験豊富な出演者たちが確かな演技で応えている。草村礼子は、このシーンではセリフがないのだが、舞台上にいるだけで、世界がどのように変化しようと決して変わらず揺るがない楔のような存在感を放つ。モンターグ役の吉沢以外の俳優は何役か演じるのだが、このシーンにおいて寓話的キャラクターを演じる美波は、幻想的な雰囲気をまとって舞台上の空気を支配する。草村の安定感と、美波の浮遊感、そして不安と恐怖で心を揺らめかせながらも、辛うじて自分の正義を貫こうとするモンターグの人間らしさを柔軟に演じる吉沢。この稽古場に「華氏451度」の世界が既に確立されつつあることを感じられるシーンだった。
白井が自ら動き、一つひとつ説明しながら吉沢に演出をつける。吉沢は真剣な表情で、時折白井に質問をして、じっくりと自分の脳と身体にモンターグの感情と動きをなじませる。白井も吉沢も、お互いが納得するまで、時間をかけて何度でもその作業を繰り返していた。
この作品は書物をめぐる物語なので、劇中に文章が引用される。それらは文字で読んでも十分美しい文章だが、俳優の体を通して音として聞くと、その美しさに血が通い、ぬくもりが加わる。吉沢の声には凛とした強さがあり、一語一語の輪郭がくっきりと伝わってくる。小説を読んだだけでは味わえない、舞台ならではの魅力を感じる至福の瞬間だ。
【稽古場見学2日目】
前回の見学から1週間後、再び稽古場を訪れた。
モンターグが昔の記憶を蘇らせるシーン、ここは前回の見学時にも稽古していたのだが、1週間の時を経て、吉沢の演技は力強い説得力を手に入れていた。人々が考えることを捨て、記憶することも忘れてしまったこの世界で、モンターグもやはり、過去のことを忘れてしまっていたが、とあるきっかけで記憶を取り戻す。その瞬間の吉沢の表情に心をつかまれる。人にはそれぞれ積み上げてきた人生の歴史がある。舞台上に積み上げられた本は人類の叡智の積み重ね、世界の歴史そのもののメタファーであり、それと同時にモンターグの人生のメタファーでもあるのだ。
ここまでクライマックスシーンの稽古が行われていたが、翻ってオープニングの稽古が始まった。バッハの軽やかな調べに乗せて、ファイアマンたちが颯爽と登場する。本を投げ捨て本棚を壊す、それを生き生きと楽しそうに行っている。彼らはこれを己の崇高な使命と信じている。モンターグもこの仕事に誇りを持ち、自信に満ちたどこか傲慢にも思える表情を見せる。先ほどまで吉沢が見せていたクライマックスシーンのモンターグとはまるで人が違ったようでドキリとさせられる。
長い小説を舞台化しているので、話の進むスピードは早い。テンポよく場面転換が進み、職場での顔、家での顔、そしてクラリスの前での顔、とモンターグは次から次へと表情を変える。そして吉沢以外の俳優は、様々な役を演じていく。白井の演出は、まるで音楽のようだ。俳優たちは音符のごとく、舞台という五線譜の上を軽やかに流れるように変化していく。そのハーモニーが見事に一つの楽曲を奏でて、音楽のように美しい舞台が進行していく。
稽古場を二日見学させてもらい、この舞台に対する期待は高まるばかりだった。小説の面白さ、映画の面白さ、そして舞台の面白さ。「華氏451度」という同じ作品だが、それぞれの表現方法で見えてくるものが違う。舞台版でしか味わえない「華氏451度」の魅力を、このカンパニーは見せてくれるはずだ。
2018年9月28日からKAAT神奈川芸術劇場で迎える初日、舞台上にどのような世界が広がるのか今から楽しみである。
取材・文=久田絢子

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